Brave02-1

 ICIS日本支部星蹟第2分室。
 目の前の自動ドアに取りつけられた表札に、そう書かれている。そのすぐ横に設置された生体認証端末に手のひらをかざす。
 ドアが開き、内部に足を踏み入れた。
 誰もいない。
 
「人を呼び出しておいて留守か。やれやれ」
 
 とりあえず、やたら高級そうなソファに腰かけて待つことにする。ソファの前にはこれまた高級そうなガラステーブルがあった。
 この部屋の中でいちばん大きな存在感を放つ、黒檀で造られた両袖のプレジデントデスクはもちろん詩桜里のもの。その近くには、片袖の事務デスクが、壁に向かってふたつ並んでいる。左側のデスクの上はノートパソコンや固定電話、デスクライトに書類ケースなどが整然と置かれているが、もう片方のデスクの上にはなにもない。
 そのデスクの隣にはやや背の低いサイドボード。60インチほどのモニターがサイドボードの上の壁にかけてある。さらにその隣には、マホガニーの大きな書棚。そして観葉植物が隅に置いてあった。
 わたしが腰かけているソファの後ろは壁の上半分がガラス張りになっていて、その向こう側は応接室になっている。ソファがふたつ向かい合わせに置かれていて、そのあいだには、アンティーク調の赤茶色のローテーブルが置かれていた。
 応接室の横は給湯室で、わずかに紅茶の香りが漂ってくる。
 
「詩桜里の根城か。本人の性格が表れているな」
 
 室内の調度品は、ざっと見たところほとんどが高級品。このソファも、眠気を催すほど座り心地がいい。すべて経費で購入したのだろうけど、上もよく許可したものだ――などと、どうでもいいことを考えていたとき、ドアが開いた。
 はじめて見る女性が入ってきた。彼女は、わたしがいることにややびっくりした様子だ。
 肩まで伸びた灰色の髪。髪の色よりもやや薄い灰色のスーツ。身長は150センチほどか。年齢はわたしより上だろうが、やや幼い印象を与える顔立ち。重そうなファイルや書類を、その細い腕に抱えていた。
 
「あの、もしかしてセイラ・ファム・アルテイシア特別捜査官ですか?」
「そうだが、きみは?」
「申し遅れました。わたくし、本日付でこの分室に配属されましたリスティ・ツァーチェヴィーデム二等事務官です」
「ああ。詩桜里が言っていた新人というのは、きみのことか。変わったファミリーネームだな?」
「はい。特に日本人には発音しにくいみたいで」
 
 苦笑しつつ、彼女は言った。詩桜里が彼女の名前を呼ぼうとして、情けなく噛んでいる光景が、容易に想像できる。
 
「よろしく頼む」 
「はい。よろしくお願いします。アルテイシア捜査官」
「わたしのことはセイラで構わないぞ。きみのほうが年上だろう?」
 
 年上相手を「きみ」呼ばわりしていることは、この際置いておこう。
 
「いえ、ですが、階級はあなたのほうが上ですし」
「そういう上下関係はあまり気にするな。詩桜里も似たようなこと言ってなかったか?」
「……はい。では、セイラ捜査官と呼ばせていただきます」
 
 捜査官と事務官の違いがあるとはいえ、二級事務官は特別捜査官であるわたしより階級は下だ。だが、二等事務官は難関とされる国際公務員試験第二種に合格しないとなれないから、優秀なのは間違いないだろう。
 リスティは持っていたファイルや書類を自分のデスクに置いた。ふたつあるうちの片方――ものが置かれているデスクが、彼女専用のようだ。
 
「詩桜里から優秀な新人が入ったと聞いている。期待してるぞ」
「そんな、やめてくださいよ。わたしなんて、柊室長に運よく拾ってもらっただけですから」
「室長……?」
「はい?」
「いや。詩桜里もついに室長か。出世したな、と思って」
 
 あの年齢で室長にまでなった女性は、世界各地に支部を置くICISでもめずらしい事例のはずだ。
 リスティは静かに笑った。
 
「どうした?」
「いえ、本当に室長のことを名前で呼び捨てにしているんですね」
「ふむ……察するに、そのことを詩桜里はきみに愚痴のように話したわけか」
「あ、いえ、そういうわけでは」
 
 たしかに、年上の上司をふつうは呼び捨てにしない。でも、いまさら柊室長なんて呼べるものか。
 
「それで、噂の室長さんはどこだ? 今日わたしは彼女に呼ばれたんだが」
「室長は現在外出中です。でも、もうお帰りになる予定ですよ――あ、いま紅茶淹れますね」
 
 リスティが給湯室へ入っていった。
 数分後、ティーセットを持って彼女は戻ってきた。
 
「……この香りは」
「気づきました? めずらしい紅茶だそうです」
「リーゼラムだな」
「あれ、よく銘柄ご存じですね? 室長いわく、日本どころか世界的にもまだあまり流通してないとのことらしいですが」
「つい最近、これを口にする機会があってな……ふふ、世間は狭いとはよく言ったものだな」
「そうなんですか――」
 
 そのとき、ドアが開いた。
 緋色の髪を揺らしながら、詩桜里が入ってくる。
 
「あらリスティ、リーゼラム淹れたのね。わたしにもちょうだい……って、セイラ?」
「わざわざ来てやったぞ」
「――ぷ――っ」
「……詩桜里?」
 
 詩桜里の様子がおかしい。口もとを手で隠しながら、体をぷるぷると震わせている。
 
「や、やっぱりだめ……我慢できない……あは、あはははははっ!」
 
 詩桜里の笑い声が、室内に響きわたった。


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