Brave04-2

 重厚な和風の門を抜けると、立派な邸宅が現れた。
 
「で、でかっ……」
 
 真奈海がぽかんと口を開けている。
 敷地をぐるりと囲む壁は古く、和風の造りだった。対してこの邸宅はそれほど古くなく、どちらかと言えば洋式で現代的な造り。庭も広大で、木々や花壇、池などがなければサッカーもできそうだ。
 紗夜華の家。この星蹟島の中でも有数の高級住宅地の中で、確固たる存在感を放っている。
 つまり、詩桜里の実家でもある。
 聞くと、もともと純和風の屋敷が建っていたが、紗夜華が生まれた頃に建て直したらしい。庭の隅には古ぼけた2階建ての倉があり、昔の残滓を感じさせた。
 
「柊さんちて、お金持ちなんだねー」
 
 嫌味でもなんでもなく、ただ感心した様子の真奈海。事実だけに否定しづらいのか、紗夜華は曖昧に笑っただけだった。
 玄関に上がり、紗夜華が用意してくれたスリッパをはく。真奈海は靴を脱ぎながら、「ここが玄関? うちの居間よりも広いんですけどっ」とつぶやいてる。
  
「家族はいないのか?」
「ええ。母はまだ仕事で学園だし、父は去年から海外に赴任してるの」
 
 紗夜華と詩桜里の父親は著名な大学教授で、現在はアメリカの大学に招聘されている。そのことはもちろん詩桜里から聞いて知っていたが、はじめて知ったふうに装う。嘘はよくないが、必要な嘘というのも多分にして存在するだろう。
 玄関からリビングへ移動する。
 瀟洒な北欧系の家具でコーディネートされたリビングに、また真奈海が驚きの声をあげていた。彼女は友達の家に上がると興奮するタイプらしい。
 紗夜華はキッチンに向かい、紅茶を淹れる準備をする。
 
「ねえねえ、柊さんってたしかお姉さんいるんだよね。一緒には住んでないの?」
「ええ。姉はひとり暮らしよ。……あ、でも、最近こっちに帰ってきたらしいのよね。あのマンションわかる?」
 
 庭に通じる大きな窓の外を指さし、紗夜華が言った。指さした先には、見慣れた高層マンションがそびえていた。
  
「え、まさか、あのマンションでひとり暮らし?」
「ええ。母から聞いた話だとね。歩いても行ける距離だから、なにもわざわざひとり暮らしする必要ないと思うのだけど」
「んん? なんかそれって、最近お姉さんと直接会ってないような……?」
「そうね。直接最後に会ったのは……今年のお正月だったかしら?」
「仲悪いとか……あ! ごめん、聞いちゃいけなかった?」
「そんなことないわよ。仕事が忙しいんですって」
 
 どこかで覚えのある会話だった。
 
「へえ……。お姉さんって仕事なにやってるの?」
「ICIS捜査官よ」
「ICIS!? って、国際犯罪捜査なんちゃらってやつだよね! すごい!」
「すごいのかしら……尊敬はしてるけど」
「それだけ優秀だと、男にもてるのではないか?」
 
 笑いをこらえて訊くのは、意外につらかった。なぜならここ数年の詩桜里の男遍歴は、すべて記憶している。あいつが酔っ払って、聞いてもないのに勝手に語り出すという悪癖の積み重ねの結果だ。
 
「どうなのかしら。彼氏ができてもわりとすぐ別れちゃうみたいだし……あ、でも、最近誰かと同棲しているんじゃないかしら」
「なっ!?」
「セ、セイラ? 急にどうしたの?」
 
 真奈海がきょとんとしながら訊いてきた。
 
「すまない。なんでもないから気にしないでくれ。紗夜華はどうしてそう思ったんだ?」
「姉はそういうことに関して明確なこと言わないんだけど、たまに電話で話したりしてると、どうもそういう雰囲気が……ごめんなさい。うまく言えないんだけど、勘ってやつね」
「そうか……ふむ」
 
 詩桜里と同棲――というより同居しているのはこのわたしだとはさすがに言えない。
 もしも紗夜華が興味を持って、それを追求したらどうなることやら。しかし紗夜華の勘のよさは恐ろしい。姉以上ではないだろうか。
 紅茶セットとクッキーを載せたトレイを持って、紗夜華が席に着いた。
 
「まさか姉の話でこんなに盛りあがるとは思わなかったわね」
「小説を書く上で、姉の話は参考にしないのか? ICIS捜査官の生の話なんて、そうそう聞けるものじゃないだろう」
「……それは……そうね。考えたこともなかったわ。でも、守秘義務とかいろいろあるんじゃない?」
 
 たしかにICISは守秘義務にうるさい。業務内容の都合上、それは致し方ないことだ。
 
「さて、そろそろ本題を始めましょうか。女子会ならぬ勉強会を」
 
 勉強会はいつもの根城で行う予定だったが、そうならなかった事情はもちんろんある。あれだけ勉強会に参加すると豪語していた美緒と奈々は今日になって急遽、「The World End」メンバーたちとの話し合いをすることになった。その話し合いの場所に、紗夜華がいつもの談話室を提案した。先日の女子会のときに美緒の事情を知った紗夜華が「それなら、落ち着いて話し合えるところがいいでしょ?」と気を利かしてくれたわけだ。
 それでどうして勉強会が紗夜華の家になったのかは、ただの偶然、話の流れ。ちなみに、勉強会に誘ったほかに惺、椿姫、光太は用事があってNGだった。惺はともかく、椿姫や光太は心底残念そうにしていた。
 いつの間にか真奈海が頭を抱えている。
 
「あー……勉強会ね……うん、たしかにそれが本題なんだけど、このままおしゃべりしてるほうが楽しいよねー? ねー?」
「凜からくれぐれも真奈海を頼む、と言われていてな。それを反故にするわけにはいかないんだ」
「実はわたしも、豊崎さんが弱音を吐いたら、おしりぺんぺんでもなんでもいいから、気合いを入れ直してくれって頼まれているのだけど」
 
 わたしと紗夜華が不敵に笑うと、真奈海はついに観念したように脱力した。
 
「うう……凜ってば容赦がないんだよう……って、おしりぺんぺんってなにさ!? あたしはいたずらしてお父さんに怒られる弟か! 昨日もうちでそんなシーン見たし!」
「ま、そうされたくなかったら、おとなしく勉強するんだな」
「わかったよぅ……」
 
 鞄から勉強道具一式を取り出し、真奈海は自分の頬を両手で叩いて無理やり気合いを入れた。
 まずは数学。しかし、取りかかって数秒で撃沈する真奈海。そして、それこそ母のような慈愛に満ちた眼差しを向ける紗夜華。丁寧に解説する紗夜華が楽しそうなのは、おそらく友達に勉強を教えるという行為がはじめてだからだろう。好奇心を満たす行為は、なんであれ活力を与える。
 真奈海の勉強は、紗夜華が見ていれば問題なさそうだ。



 しばらく勉強した頃。休憩のため、紗夜華が紅茶を淹れ直していた。真奈海は集中力が切れたのか、テーブルに突っ伏し、覚えたばかりの公式をぶつぶつと呪文のように唱えている。
 
「真奈海、いま間違えてたぞ」
「うそぉっ! ……あーだめだ。頭が働かない」
 
 正しい公式を教えているとき、不意に玄関のドアが開けられる音がした。
 
「あら? お母さん……がこんな早く帰ってくるはずないか。誰かしら」
 
 リビングへつながるドアが、勢いよく開け放たれる。
 
「はぁい、紗夜華! 久しぶりね」
 
 詩桜里だった。
 
「お姉ちゃん?」
「あら、お友達来て――っ!?」
 
 詩桜里はわたしを見て驚き、アニメでいえば作画崩壊したようなとても不細工な顔になった。
 ――が、さすが詩桜里。こういうときの切り替えは早い。
 
「えーと、い、いらっしゃい」
「急にどうしたの?」
「突然空き時間ができたから、久しぶりに顔を出そうと思って。……わたしもご一緒していい?」
「うん。……あ、わたしの姉、詩桜里です。こちらは豊崎さん」
「は、はじめまして」
 
 挨拶する真奈海はどこか緊張している。
 
「こちらはアルテイシアさん。フォンエルディアからの留学生よ」
「はじめまして、お姉さん」
 
 にこやかに挨拶すると、詩桜里はどこか引きつった笑いを伴って返事をしてくれた。かなりやりにくそうだ。これはこれでおもしろい。
 席に着いた詩桜里に、紗夜華が紅茶を用意する。紅茶にはうるさい詩桜里でも、紗夜華の淹れ方には文句をつけようもない。
 
「帰ってくるなら連絡してくれたらよかったのに」
「ほんと急に決まったのよ。それより、あなたがお友達呼ぶなんてめずらしい……というか、はじめてじゃない?」
「そうかもね」
「ふふ。青春してるようで安心したわ」
 
 紅茶を飲み、詩桜里は破顔した。
 
「ゆっくりできるの?」
「ううん。1時間くらいしたらまた戻らないと。……勉強してるの?」
 
 テーブルに広げられたノートやタブレットを見ながら、詩桜里が言った。
 
「ええ。来週、期末テストだから」
「あー、もうそんな時期か。懐かしいなぁ」
 
 姉は創樹院学園のOGなのよ、と紗夜華が真奈海に説明した。
 
「そういえばお姉ちゃん、織田光一郎先生と同期じゃなかった? ふたりの担任なの」
「そうなんですかっ!?」
 
 驚く真奈海。織田先生が学園のOBなのは知っていたはずだが、ふつう友達の姉と自分の担任が同期であることはめずらしい。真奈海の驚きようも無理はなかった。
 
「織田くんの教え子かー。ふふ、昔の彼を知ったら驚くかもね」
「その話、詳しく聞かせてください!」
 
 先ほどまでテーブルに突っ伏していたとは思えないほど、活気に満ちていた。
 
「……真奈海、勉強は?」
「なに言ってるのさ。織田っちの弱点知るチャンスだよ!」
「弱点なんか知ってどうするんだ?」
「からかう!」
 
 目を輝かせながら言った。
 
「セイラさんは、担任の過去話聞きたくないの?」
 
 と、詩桜里。あくまでも初対面を装っている。詩桜里にさん付けされて、背中がかゆくなった。
 だが、うかつ。
 
「あれ……セイラってファーストネーム言った?」
 
 首を傾げる紗夜華。本当に洞察力が高い。
 紗夜華の鋭い疑問に、詩桜里は慌てた。
 
「ほ、ほら、そこのノートに名前書いてあるじゃない」
 
 テーブルに置かれたわたしのノートの表紙には、筆記体でフルネームを記載していた。とっさの言いわけにしては上出来だ。
 詩桜里はそのまま強引に話を進める。
 
「彼って学生時代、かなりやんちゃしていて――」
 
 詩桜里の昔話は、それなりに興味をそそる内容だった。
 織田先生は中学時代からいろいろなところで問題を起こし、警察のお世話になったこともあったらしい。創樹院学園へ入学してもそのあたりは変わらず、他校の生徒とけんかすることが日常茶飯事だったそうだ。そのせいか当時の先生たちからも煙たがられていた。しかし成績だけはよかったようで、扱いにくさには定評があったという。
 織田先生が1年のときの担任が、詩桜里たちの母親であり、現学園長代理の柊緋芽子であった事実、そして真奈海の1年のときの担任である鳴海はるか先生が話に登場してきたことに、真奈海はさらに驚いていた。
 
「織田くんが変わったのは3年になってからかな。わたしも同じクラスになったの。そのときの担任が、ほんとに素晴らしい先生でね。織田くんもはるかも、もちろんわたしもいまだに尊敬してるの」 
「お姉ちゃんやお母さんの話によく出てくる人? たしか、真城蒼一先生」
「……んん? 真城?」
「真奈海は知らなかったか。惺と悠の父親だ」
「ええっ!? そうだったの!?」
 
 真奈海は、今日何度目かの驚きの声をあげた。
 
「へえ。なんか、世間は狭いんだねぇ……ってあれ? なんでセイラがそんなこと知ってるの?」
「いろいろあってな。なあ、紗夜華」
「そうね」
 
 談話室で卒業アルバムを見たときを思い出す。
 
「あの詩桜里さん! 恋愛がらみのゴシップはないんですか? 浮いた話聞きたいです!」
「織田くんの? ……あー、彼は硬派だったからね。でも待って……たしか、教育実習生と禁断の関係になったとか噂が」
「ええっ!?」
「まあでも、本人は否定していたし、デマかもしれないから」
「んふふ。いいこと聞いた。明日訊いてみよう。……あと、はるかちゃんは昔からあんなに可愛かったんですか?」
「そうね。男子にもよくもててた。けど、はるかったら1年のときから真城先生にぞっこんでね。『わたし絶対、ヴァージンは真城先生に捧げる!』とか豪語してて」
 
 穏やかな感じを受ける鳴海先生とは思えない過激な言動だ。彼女も若かったということか。
 
「あれ? 織田っちとはるかちゃんが付き合ったのって……」
「卒業してからよ。同じ大学に進んだの知ってる?」
「はい! でも織田っち、どっちが告白したのとか、何度訊いても教えてくれなくて」
 
 詩桜里が笑った。
 
「教え子にアレを知られるのは、さすがに恥ずかしいと思うわよ」
「知ってるんですか!?」
「これからは、俺のためだけに笑って、泣いてくれ」
「おお!」
「織田くんがはるかに言った殺し文句。それではじめてはるかは織田くんにときめいたって」
「きゃあああっ! セイラ聞いた? 織田っち、超かっこいいっ!」
「……お姉ちゃん、ちょっとしゃべりすぎじゃ」
 
 苦笑いしている紗夜華は、いつの間にか創作ノートを広げて、万年筆を走らせていた。
 
「そういう紗夜華だって、ちゃっかりメモしてるじゃない」
「だって、お姉ちゃんからこういう話聞くのめずらしいし。織田先生と鳴海先生には悪いけど」
「あなたの引き出しにしまえるのなら、教師としての本望じゃないかしら。……そういえば、最近小説書いてる? よかったら、今度読ませて」
「えっ……あ、いいけど」
「……なんでそんなに驚くの?」
「だって、お姉ちゃんがそう言ってきたの、はじめてよ?」
「そうだったかしら」
 
 姉妹が見つめ合い、すぐに照れたようにお互い視線を外した。その光景に、真奈海は「姉妹愛。いいものですなー」と感心していた。
 
「そういえば、お姉ちゃんから前に聞いた話で、気になることがあって」
 
 ぱらぱらとノートのページをめぐる紗夜華。
 
「あら、なんか話したっけ?」
「昔の男の話」
「ええっ、ちょっと待って!? いつそんな話した?」
「最近では今年のお正月。もっと前にも何度かあったわ。……えーと、その、かなりきわどい話だけど。というより18禁?」
「ま、待ちなさい紗夜華! 検閲! ノート検閲するから見せなさいっ!?」
 
 真奈海が興味深そうな瞳をしている。おそらくわたしは聞いたことがある話かもしれないが、あらためて聞くのも悪くない。
 
「お姉さん。わたしと真奈海にも、後学のために聞かせてもらえませんか」
 
 冷や汗を流しながら、詩桜里が凍った。


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