麗らかな木漏れ日の中を3人の学生が歩いている。
セイラ、真奈海、惺。平日の昼にもかかわらず私服で出歩いているのは、学園が休日となっているためだ。「星蹟市民の日」という、星蹟市特有の祝日だった。
「しかしさぁ、川嶋ってほんっっと馬鹿だよね」
「まあそう言うな、真奈海」
「あたしも人のこと言えないけどさぁ、あそこまで馬鹿じゃないよ」
セイラと真奈海が並んで話している。惺はふたりの少し後ろを歩きながら苦笑していた。
2月のはじめに行われた実力テストで、光太の学力は「これはマジでやばい」と判断された。担任である織田が頭を抱え、冗談なのか本気なのか、セイラたちに「俺の手には負えない。なんとかしてくれ」と頼み込んできた。
今月末には学年末テストが控えており、そこで結果を出せないのなら、光太が後輩になってしまう可能性が高い。演劇祭の前に行われた期末テストで彼が赤点回避したのは、実力や努力ではなく奇跡の結果だった、という噂を裏付けようとしていた。
バスに乗って星蹟島の北部に位置する海岸沿いの地域にやってきた。3人が向かっているのは光太の家だ。
バス停から木立に囲まれた長い坂を下っていくと入り江があり、そこを中心に村落が広がっている。星蹟島の中でも特に古い歴史を有する漁村で、光太の家は入り江にほど近いところにある。
「そういえば真奈海、凜から返事は?」
「ないねぇ」
セイラが惺を見ると、彼も首を横に振った。
光太の家で勉強会を開くことが決まり、昨日の夜、セイラは凜にLINEを送った。しかしいつまで経っても返事が来ず、そのままにしてあった。
「凜が返事を寄こさないのはめずらしいな。あとで悠か奈々に訊いてみよう」
――と、セイラのスマートフォンが着信を知らせる。
相手は奈々だった。声色が不安げに揺れていることに、セイラは気づく。
『ちょっと訊きたいことがあるんです。お兄ちゃんと一緒じゃありませんか?』
「凜? いいや。昨日、学園で別れたあとは会ってないが」
『そう……ですか』
「凜がどうしたんだ?」
『それが……お兄ちゃん、昨日の夜から姿が見えなくて……』
「なんだと?」
『昨日の夜遅くにお兄ちゃんが出かけたのを、悠ちゃんが見てるんですけど……それから帰ってきてないみたいで……それに……変な手紙が』
――そのときだった。
セイラと惺のふたりが急に顔を見合わせ、訝しげな表情を作る。
「……およ。どうしたの?」
真奈海の問いかけに答える代わりに、ふたりは周囲に視線をめぐらす。
「なんだ、この感覚は……? 惺――」
「ああ……嫌な予感がする」
「え、え? ちょっと、なに?」
真奈海も周囲をきょろきょろと見まわし、やがて唐突に言葉を失った。不安と恐怖心を瞳に浮かべ、一点を見つめる。
「真奈海? どうした?」
「あ――あれ――」
真奈海が遠くを指さす。長い坂を下ったはるか向こう――水平線の彼方。その方向に存在するのは、かすかに見える星核炉〈アクエリアス〉。
いつも超然として海上に佇んでいる現代文明の象徴が、そのときだけ違う様相を呈していた。
〈アクエリアス〉から、まばゆい光の柱が立ちのぼっている。七色に光る巨大な光の柱。それが〈アクエリアス〉上空で無数で枝分かれし、空全体に広がろうとしていた。
不可思議な様相の空に、3人が眉をひそめる。
『あれ……空が……』
「奈々も見えるか?」
『は、はい……なんですか、あれ?』
「わからない……でも、嫌な予感が――」
――そのとき。
地面が小さな脈動を始めた。
「わっ、地震?」
真奈海が叫ぶ。
揺れは収まらない。
「わわっ! 大きいっ!?」
揺れはどんどん大きくなっていく。
やがて、立っていられないほどに――
「きゃぁっ!?」
「豊崎っ」
バランスを崩した真奈海を惺が受け止める。そのまましゃがみ込んだ。
セイラも膝を折り、スマートフォンに向かって叫んだ。
「奈々! 聞こえるか? 家にいるのならすぐに高台へ避難しろ!」
『セイラ先輩っ――』
「――奈々? 奈々!」
返事はない。通話は切れていた。
揺れは一向に収まらず、やがて――
「きゃあぁぁぁぁっ――――!?」
真奈海の叫びをかき消すような振動――天地をひっくり返したような激烈な揺れが襲ってくる。
「地震」という名称から受けるイメージをはるかに超越する衝撃。
あらゆる事象が空と地面の境界線を見失い、なすすべなくその場に転がる。
道路がひっくり返ったように揺れ、標識人も樹木も建物もなにもかも――すべてが、自然の驚異の前にひれ伏した。
周囲の至るものがぶつかり合い、耳をつんざく轟音を奏でる。
――それから数分後。
徐々に揺れが収まっていく。
「……っ……惺……真奈海?」
泥だらけになったセイラが、ゆっくりと起き上がる。惺も起き上がり、彼に抱えられるようにしていた真奈海も目を開けた。
惺が愛用していた眼鏡が地面に落ち、衝撃の影響か、紅茶色のレンズが割れている。だが惺もほかのふたりも、それを気にしている余裕などなかった。
「――――ぁ」
真奈海の紫色の瞳が、信じられない光景を映し出す。
彼女の足もと――コンクリートの道路が大きく割れていた。周囲の樹木は軒並み倒れ、付近の家や壁などの人工物もほとんどが崩壊するか、崩壊しようとしている。
にわかに人の悲鳴やサイレンなどが響きわたり、煙や異臭も漂い始めた。
「――――っ!?」
真奈海はさらに信じがたい光景を目にした。
坂の下に広がっていたはずの村落。数分前まで何事もなく平和に存在していたはずの、光太の故郷。
そんなものはすでに存在していなかった。
あるのは瓦礫の山。原形をとどめていない人工物のなれの果て。
まるで世界そのものが、崩壊したように感じられた。
「ぁ――ああ――っ!?」
倒れそうになる真奈海の体を、惺が支えた。
「光太!」
立ち上がって駆け出そうとしたセイラの腕を、惺が強くつかんだ。
「セイラ! だめだ!」
「なにがだめなんだ!? 村には光太が」
「あれを見ろ!」
惺が指さす方向。
坂の下。数分前までのどかな漁村が存在していた場所のさらに先。
海岸線がかつて見たことないほど後退していた。
さらにその先――
巨大な海水の塊が、容赦のない自然の驚異がすぐそこまで迫っていた。