異常な冷たさを肌に感じて、悠は目が覚めた。
「――――ぇ?」
しばらく、周囲の状況が理解できなかった。どうして自分が瓦礫の山の中にいるのか、さっぱりわからない。
思わず鼻を押える。周囲は強い潮の香りと、うまく表現できない異臭が混ざった強い臭気に満たされていた。
自分はたしか、行きつけの病院にいたはず。待合室で呼ばれるのを待っていて――海は近くても、ここまで強く潮の香りがするなんてあり得なかった。
「――っ!?」
徐々に思い出してきた。
地震――この世の終わりを彷彿とさせるような激しい揺れに襲われ、いつの間にか気を失ってしまっていた。
ポケットからスマートフォンを取り出す。記憶にある時間よりも数時間ほど経過していた。瓦礫の隙間からわずかな明かりが差し込んでいるところを見ると、まだ陽は沈んでない。
「だ……誰か! 誰かいませんかっ!」
返事はない。
人がやっと通れるような隙間を見つけて、スマートフォンのライト機能を使って照らしながら這いつくばるように進んでいく。
地面は濡れている。薄暗くてよくわからないが、それが海水なのはにおいでわかった。
……津波……? こんなところまで?
悠のいた病院は、待合室の窓から風光明媚な海岸線が見えることを自慢にしていた。ただ、見えるといっても建物は高台にあり、距離もけっこう離れていた。
不意に、なにか冷たくて柔らかいものに手が触れる。
ライトが人の顔を映し出した。
「きゃあっ!?」
顔見知りの女性看護師だった。体の半分以上が瓦礫に埋まり、すでに事切れている。
「……嘘……そんな……っ」
濡れた地面がどんどん熱を奪う。さらに精神への衝撃が重なって、悠の意識は再び途絶えようとしていた。
凜、奈々、小夜子。智美や遼太郎――セイラや真奈海、紗夜華や椿姫、美緒たちの顔が、次々と浮かんでは消えていく。
そして、惺。
優しく笑いかける惺の顔が浮かんだ。大好きだった父によく似てきた微笑み。それが悠をもっとも勇気づけた。
気を強く持って、目を見開いた。
……こんなところじゃ、終われない!
まだ死にたくない!
開かれたままだった女性看護師のまぶたを、そっと伏せてあげた。
しばらく進むと、立ち上がれるほどには開けた場所に出た。しかし通い慣れた病院のここがどこに当たるか、まるでわからない。
涙を飲んで、悠は先に進んでいく。何度か遺体らしき影を見つけるが、どうすることもできない。
どうして自分だけ生きているのだろう?
何度も何度もつまずき、涙を必死にこらえようとしながら、それでもこらえきれずこぼしながら、悠は進んでいく。
「――――?」
尋常じゃない気配を感じ、悠は足を止めた。
恐る恐るライトで照らす。
「――――っ!?」
怪物が目の前にいた。
見たこともない生物――まさに怪物としか呼称できない異質で凄絶な姿。瓦礫に挟まれて動けない様子だが、与えてくる恐怖は想像を絶していた。
悠に気づいた怪物が、低いうめき声をあげた。
「――――ぁ――っ、――――っ!?」
後ずさる悠。
彼女が知るよしもない。この怪物が、悠にとって長い付き合いのある主治医が「変質」した姿であることを。
悠が倒れる。負荷に耐えられなくなった彼女の意識は、再び暗闇へと沈んでいった。
――この病院の内部にいた数十人の人間は、「結果的」に悠を除いて全員が死亡していた。
崩れてきた瓦礫に生き埋めになった者。瓦礫の直撃は免れても、津波の浸水に襲われて身動きが取れず、そのまま溺れ死んだ者――
そして、怪物へと変貌を遂げた者。
誰も知らない。
瓦礫が、まるで「悠を避ける」かのように降り注いだ事実に。悠のいた場所「だけ」が、たまたま津波の浸水を免れていた不可思議な事実に。
悠本人ですら、これらの事実を知るよしはない。