Catastrophe 11

 セイラたちが創樹院学園に到着した翌日。相変わらず爽やかに晴れた午前の陽射しの中、セイラは凜と悠についての聞き込みをしていた。
 1枚の写真がスマートフォンに保存されている。去年のミュージカルの本番前、出演者みんなで撮った写真だ。
 大勢の避難民に写真を見せ目撃情報を募っているが、結果は芳しくない。
 あらためて写真を見る。いま見ると凜の表情が少しおかしい。みんなが笑って映っている中、凜も笑っているが、その笑みはどこか歪に見えて仕方がない。
 どうして気づかなかった、と何度も脳裏をよぎる後悔。もしかして自分は、楽しい日常生活を送る中で大事なものを見失い、勘が鈍ってしまったのではないかと、本気で考えている。
 別のところで同じように聞き込みをしていた惺が戻ってきた。
 
「どうだった?」
 
 惺は首を横に振る。
 
「ただでさえ非常事態なんだ。知らない人間の顔なんて、誰もいちいち覚えてない」
 
 最初からわかっていた。しかしそれでも、なにか動いていないと気が済まなかった。
 
「そういえば、東雲先生も行方不明らしい」
「なに?」
「さっき織田先生から聞いた。地震による安否不明とは違うらしい。地震の当日、無断欠勤してたって」
 
 地震当日、学園は休みだったが、全体会議のために教職員の出勤はあった。しかし彼女は朝から顔を見せず、心配していたところに地震が起きた。当然、そんなことを気にしている余裕はなくなった。
 セイラがおもむろにつぶやく。
 
「地震と無関係となると、不自然な符合があるな」
「凜の失踪と?」
「気にしすぎかもしれないが……惺から見て、東雲先生はどうだったんだ?」
「あの人は『読みにくい』人だったよ。悠と同じように……ただ、心にまるで揺らぎがなかったのは、いま思えば不自然だったかもしれない」
 
 もしも惺が「海堂霞」と一度でも会ったことがあるのなら、東雲の正体を一発で見抜いていただろう。どんなに姿形を変えていても、まったく別人の雰囲気を装っていても、人の根本的な「気配」の質は変らない。惺の〈ワールド・リアライズ〉には、それを見破る力があった。
 
「セイラちゃん! 真城くん!」
 
 椿姫が走ってくる。血相を変えて。
 
「どうした?」
「真奈海ちゃんが! 真奈海ちゃんがいなくなってっ!」
「なんだと?」
「ちょっと目を離した隙に……いま、みんなで捜してる!」
  
 真奈海の家族――妹の結衣と翠、弟の幹也と由貴彦、そして父親の5人は、昨日の朝自宅近くで遺体として発見された。全員溺死だったそうだ。
 それを織田から聞いた真奈海は気を失い、目が覚めても魂がいまにも抜けてしまうのではないかと思えるほど深く憔悴したのは言うまでもなかった。
 昨夜、真奈海は椿姫や紗夜華、美緒と一緒に休んだが、うなされていてあまり寝てなかったと聞いていた。朝食ものどを通らず、生きているのが気の毒に思えるほど、真奈海の精神と体は疲弊しきっていた。
 惺は目をつむり、深呼吸。すぐに目を開け、唇を噛みしめた。
 
「あっちだ!」
 
 惺が指さした先――本校舎の上のほう。
 
「まさか、屋上……っ!?」
 
 惺とセイラが一目散に駆け出す。椿姫も追った。
 途中、詩桜里と鉢合わせした。
 
「豊崎真奈海さんだったかしら、いまさっき見かけたんだけど、様子がおかしくて」
「どこで!?」
「C校舎に入っていくところを見たの。声をかける暇もなくて」
「緊急事態だ! 詩桜里は誰か先生を呼んできてくれ!」
 
 すぐに事情を察知した詩桜里は、驚くべき速度で走り去る。
   
「くそ……っ……間に合ってくれ……っ!」
 
 裏口からC校舎に入り、窓ガラスの散乱した廊下を駆け抜ける。
 階段を数段飛ばしでのぼり、やがて屋上に出た。
 破損して倒れたフェンスの先、屋上の縁に、陽炎のように儚い影をまとった真奈海がいた。
 
「真奈海っ!?」
 
 声に気づいた真奈海が振り返る。しかし、朝のやわらかな陽射しに照らされた彼女の顔に生気はなかった。
 
「……来ないで……」
「豊崎! こっちへ戻るんだ!」
「……なんで? だって、もうみんないないんだよ……? みんながいるのは、あっち」
 
 そう言って、真奈海は縁に足をかける。
 
「真奈海ちゃんっ!?」
 
 椿姫が叫ぶと同時に惺が動く。
 その動きが見えたのは、セイラだけだった。
 人体の構造上、どんなに注意していても刹那の瞬間だけ隙を作る。まばたき――その一瞬の「虚」を突いて相手の死角に踏み込む高度な戦闘技術。それを応用して、惺は真奈海に接近した。
 
「――――っ!?」
 
 驚愕に目を見開く真奈海。彼女の腕を、惺は強くつかんだ。
 
「豊崎!」
「は……離してっ! もう……もう嫌なの! なんで……みんなぁ……っ」
「豊崎……」
「真城っちよく言ってたよね!? 『痛いのは生きてる証拠』だってっ! でも……でもぉ……こんな痛いのはやだよぉ……っ」
「――っ。でも、お母さんと紗綾ちゃんの安否はわかってない」
「もう無理だよ! だってお母さんと紗綾が行ってたのは――っ」
 
 母と末っ子の紗綾の安否はいまだ不明。ふたりは地震当日、病院に行っていた。紗綾が再び風邪を引き、朝から行きつけの小児科に行っていた。
 悠が通っていた病院とはまた違うが、海がよく見える場所にあるのは一緒だった。そしてその病院のあるのが、光太の家があった漁村に隣接する地域だった。あのあたりの被害が甚大なのは、光太の死を目の前で見た真奈海を絶望させていた。
 
「わかったよ」
 
 惺は真奈海の腕を放し、すかさず手のひらを握った。
 
「え……?」
「俺も一緒に死ぬ」
「――――っ!?」
「ひとりで死ぬのは寂しいだろ。俺も一緒に死ぬよ」
 
 惺が一歩踏み出す。
 あと一歩踏み出せば、空を舞う。
 
「ま――真城っち――?」
 
 惺は壮絶な笑みを浮かべた。
 
「俺と一緒は不安か? なら、俺が先に――」
 
 真奈海から手を離し、惺は体を傾けた。
 躊躇はなかった。セイラと椿姫が固唾をのんで見守っていることもお構いなしに、惺の体は空を舞って――
 
「だ、だめえっ!?」
 
 そうはならなかった。
 真奈海が惺に飛びかかり、ふたり一緒に校舎のほうに転がる。
 
「だめ……っ……だめだよぉ………うぁっ………ごめんね……ごめんなさい……っ」
 
 惺は黙って真奈海を抱きしめた。
 そこに詩桜里や織田、紗夜華や美緒や奈々が現れる。彼女たちは状況を悟り、嗚咽をこらえる。
 そして、最後に現れた人物。
 
「豊崎さん……!」
 
 子どもを抱いた鳴海はるかだった。
 豊崎紗綾――真奈海最愛の妹は、鳴海の腕の中で泣いていた。泣き声に気づいた真奈海が顔を上げる。
 
「さ……紗綾!?」
 
 鳴海が真奈海に近づいていく。
 
「豊崎さん……残念ながら……っ」
 
 鳴海の声に嗚咽が混じる。数年の教師生活で――いや、いままでの人生の中で、これほどまでに哀しみに彩られたことはなかった。
 
「お母さんは……亡くなりました」
「――――っ!?」
「でも! あなたの妹はこうして生きてる! お母さんが命を賭して守ったの!」


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