Catastrophe 15

 創樹院学園の敷地の地下には、教職員や来客専用の広大な駐車場がある。
 午前1時。照明は完全に消えていて、外の明かりが入り込む隙間はない。内部は暗闇で満たされていた。
 ひと筋の白光が内部を照らした。セイラの持つハンディライトの明かりだ。
 数時間ほど仮眠を取り、ここにやって来た。
 詩桜里から教わった場所へ向かう。天上や壁が至るところで崩れているが、駐車場自体の崩落の危険性はなさそうだった。
 足もとや頭上に気をつけ進んでいくと、目的の場所にたどり着く。
 アマミヤ自動車のセダンが停まっている。色はブラック。ざっと見たところ、傷はついてないようだ。ちなみに右隣に止まっているミニバンは、天上から瓦礫が落ちてフロントガラスが割れている。左隣のSUVは、巨大な瓦礫の下敷きになって半分潰れていた。
 
「……運がいいな」
 
 ロックを解除して運転席に乗り込む。
 エンジンをかけると、電気自動車特有の低い駆動音が響いた。エネルギーはほぼ満タンだった。
 ヘッドライトをつける。
 すると――

「――っ!?」
 
 目の前に人影が立っていた。
 
「……あ、惺?」
 
 人影――惺は助手席にまわり込み、ドアを開け乗り込んできた。恬然として、涼しい表情をしている。
 
「びっくりさせるのはやめてくれ。心臓に悪い」
「この程度でびっくりするほど、可愛い心臓を持っていたとは知らなかった」
「……けんかを売りにきたのか?」
「違う。ドライブするなら一緒に、と思って」
「仕事だ」
「邪魔はしない」
「命の保証はできない」
「知ってるさ。島の北東部に行くんだろ? 怪物騒ぎに政府の動き。たしかに気になるな。俺も同じだ」
「なんでそこまで知ってる?」
「実は、セイラと詩桜里さんの会話を聞いていた」
「なに?」
「あの場に最初からいたんだよ。途中で柊さん……ああ、妹のほうがやってきて、顔を出すタイミングを逃した」
「盗み聞きとは悪いやつめ」
「それについては謝るよ。……悠が気になるんだ」
「わかった。シートベルトを」
 
 惺がシートベルトを締めたことを確認し、セイラはアクセルを踏む。
 暗闇の中を突き進み、出口から一般道へ出る。
 
「街灯や家の明かりがついてないと、思ったより暗いんだな」
 
 変わり果てた街並みを見ながら、惺が感想を口にした。学園周辺の地盤は硬いことで知られているが、それでも被害は甚大だった。
 
「その代わり、夜空がきれいだ」
「ああ。そうだな」
 
 車は進んでいく。道路はやはり損傷が激しく、そこまでスピードは出せなかった。
 
「なあ、悠はまだ生きてるのか?」
「ずいぶん訊きにくいことをさらっと……」
「光太や真奈海の家族。楽観視できる状況ではないと、もう嫌ってほど思い知ったからな。で、どうなんだ?」
「生きてるよ。もしそうじゃなかったら、いくら俺でも取り乱している」
「そうか。居場所までわかれば言うことなしだが」
「この距離じゃまだ無理だな」
 
 それからしばらく、無言が続いた。
 車は相変わらず、ゆっくりとしたスピードで走っている。
 
「惺、ひとつ確認したい」
 
 惺がセイラを見た。言葉の響きから、真面目な話だと直感する。
 
「真奈海が飛び降りようとしたとき、おまえも一緒に飛び降りようとしたな」
「……ああ」
「あのとき、おまえは本気で死ぬつもりだった。違うか?」
「…………」
「わたしの目は誤魔化せないぞ!」
 
 急ブレーキ。
 
「おい、セイラ……!」
「わたしは怒ってるんだ! あのとき真奈海が止めなかったら、おまえは間違いなく飛んでいた!」
「あのときの豊崎は本気だった。意識のすべてが『死』に向かっていた……あそこまでしないと、説得なんかできなかったさ。死ぬふりなんかで無理やり説得してみろ。きっと豊崎の死期が伸びただけだ」
「しかしっ!」
「あのとき俺が死んでいたら、たぶん豊崎も死んでいた。俺が生きているなら、豊崎も生きる。根拠なんかない。けど、俺も豊崎も絶対に生きるだろうと、なぜか確信していたんだ」
「本気で死のうとしたのに生きることがわかっていた? はんっ、そんなのは矛盾だ。論理でもなんでもない!」
「そうだな。でも、あのとき俺にはほかの方法は思い浮かばなかった。最初からそれが正解であるかのように、あの行動をとった。セイラだったらどうしていた?」
 
 まるで出口の見えない禅問答だった。ハンドルの上で握り拳を作るセイラ。それを惺の横顔に叩き込んでやろうと思ったが、寸前でやめた。
 握り拳を解消するのと同時に、憤りを大きな吐息とともに吐き出す。
 
「頼む。二度とあんな真似はしないでくれ。今度やらかしたら、わたしがおまえを殺す」
「ああ……わかってる。すまなかった」
 
 セイラが再びアクセルを踏む。
 5分ほど走った頃。
 
「しかし、セイラに説教されるとは思わなかったな」
「わたしだって、したくてしたわけじゃない。そういえば、最近詩桜里から説教くさいと文句を言われた」
「それはセイラがどんどん人間くさくなってきている証拠だよ。いい意味で。詩桜里さんのそれは褒め言葉だ。最初に会った頃を考えると、変わったんだよ」
「最初のわたしはどんなだった?」
 
 しばらく考える惺。
 
「容姿だけは整った、愛想のないロボット」
「ちょっと待て。それはおまえも同じだっただろ。むしろ、わたしよりロボットに近かったはずだ」
「……懐かしい話だな」

 途中、何度か迂回して遠まわりしないといけなかった。
 家屋の倒壊や、水道管の破裂による完全な通行止め。星術でもどうにもできないようなレベルの崩壊。通常なら2時間程度の距離を倍近くは走り、やっと目的地周辺にたどり着いた。空は徐々に白み始めている。
 不意に、惺がなにかに気づいた。
 
「車を止めて。人の気配がする」
 
 エンジンを停止させ、セイラは耳を澄ませた。人より聴力の優れた彼女でも、特別な音は聞こえなかった。
 
「被災者か?」
「いや。雰囲気が違う。外に出よう」
 
 車外に出ると、あまりの寒さに震える。1年でもっとも寒い時期は脱したが、それでもまだ2月だ。
 
「あっちだ」
 
 道路から外れた路地に入っていく惺。セイラはその背中を追う。人の気配がまったくない住宅地の合間を進んでいくと、やがて壁に隠れるようにして止まった。
 視線でうながされ、セイラは壁の向こう側を見る。
 
「あれは……」
 
 どこかで見た光景だな、と思った。
 数人の人影が、車両を並べて作られたバリケードの前を守るように立っていた。真っ白な防護服の上に、防弾チョッキやガスマスク。そしてサブマシンガンを構えた姿。
 どうしてセレスティアル号の犯人グループがここに? と考えるセイラだったが、瞬時にそれは誤解だと気づく。
 
「あの装備と車両は自衛隊か」
 
 道路を封鎖するように立っていることから、その奥になにかがあることは明白だ。
 
「どうする?」
「わたしと惺なら簡単に突破できるだろうが、いまはまだ騒ぎはさけたい」
「同感だ」
「おまえは〈プロテクト〉を使えるか?」
 
 防護星術〈プロテクト〉。細菌兵器などの攻撃から身を守る高度な星術の一種。「人体に悪影響のある物質」だけに反応し、体内侵入を防ぐ効果がある。
 
「いや……」
「彼らが防護服を着ているのが気にかかる。ちょっと待ってろ」
 
 セイラが惺の額に手をかざし、〈プロテクト〉を行使。その後セイラは自分にも〈プロテクト〉をかけた。

「これで大丈夫だ」 
「……体が光ったりしないのか?」

 魔力でできた不可視の膜のようなものが全身を覆う感覚に包まれるが、見た目はなにも変わらない。

「そんなわかりやすいのはゲームの中だけだ。――行くぞ」
 
 来た道を少し戻り、別の曲がり角を進む。
 歴史を感じさせる商店街に出た。だが、そこに郷愁を感じさせる情緒はない。あるのは完全に倒壊した家屋の連なり。いまの星蹟島ではどこに行っても見られるであろう、無慈悲な瓦礫の山。
 感慨にふける時間はない。惺とセイラは迷わず瓦礫の上を進んだ。ふたりとも忍者のように軽い身のこなし。こんなところを人が通るなど考えてもないのだろう。周囲に自衛隊の見張りはいなかった。
 東の空が、熱と光を帯びてきた。夜空の深い蒼から清々しい碧に移り変わっていく瞬間。
 やがて、視界が開ける。
 廃墟の街がセイラたちの眼下にあった。盆地になっていて、セイラたちが立っている場所よりも低い。汐見沢という地域だ。

 もっとも、廃墟の街だけならまだ納得はできただろう。
 廃墟に醜悪な彩りを添える、無数の怪物たちの死骸がなければ。


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