誰かの体温を感じながら寝るのは、何年ぶりだろう――そこまで考えて、きっとおぞましい記憶しか浮かんでこないと思い立って、凜はその考えを捨てた。
狭いベッドにふたりが横たわっている。悠は凜の胸に顔をうずめながら、先ほどからずっと嗚咽している。凜のTシャツはだいぶ濡れていた。
しばらく見なかったあいだに、悠は痩せていた。
いや、やつれたという表現が正しい。もともと細かった体はさらに細くなり、軽く触れただけで崩れそうな脆さを感じさせる。
きっと、心も――
先ほどまで、長い長い話をしていた。地震が起きてから現在に至るまでの話。
津波で光太が死んだと語ったあたりから、悠の感情は不安定になっていた。体は震え、涙が止めどなくあふれている。
すべての話が終わり、「ちょっと休もう」と凜は言った。部屋から退出しようと立ち上がると、悠はすがりついてきた。
不安と寂寞の浮かぶ碧眼が、「行かないで」と訴えてきた。そしてそれを拒むことが、凜にはなぜかできなかった。
「……悠」
「――っ――わ――わたし――は」
「……?」
「どうして――わたしはここにいるの?」
「それは――」
「どうして凜くんも――っ――こ、ここにいるの?」
「――っ」
「ねえ――あの人たちは誰?」
霞や斑鳩――黒月夜のことを言っているのだろう。
「あの人たちは……その」
頭の中で必死に言葉を探す。
うまい言葉は浮かんでこない。でもなぜか自然と口から出ていた。悠を斜めに見下ろしながら言う。
「黒月夜は俺の、命の恩人だよ」
「恩……人?」
悠もゆっくりと上体を起こした。
「俺の実家のことって聞いてる?」
「……う、うん。少しだけ」
煌武家は地元の有力者だったこと。真奈海の家よりも大家族であったこと。自分は末っ子であることなどを伝えた。
「それでね――家族を皆殺しにして、屋敷に火をつけてくれたの。黒月夜が」
「――――ぇ」
「嘘じゃないよ。本当の話」
無意識に、悠は凜から離れた。
「あのろくでもない煌武家の人間を、皆殺しに――あ、ちょっと違う」
「――り――凜くん――?」
「俺もひとり殺した。いちばん上の兄貴。もうどうしようもないクズでさ。霞さんからもらった短剣でこう、首をぶすりって」
「凜くん!?」
頬に感じる衝撃。凜は痛覚でひりひりする頬を手で押さえた。平手打ちされたことに気づくのに、何秒もかかってしまう。
先ほどまでとは別の意味合いの涙を、悠は流していた。
「どうして――どうしてそんなこと、笑顔でしゃべれるの!?」
「……笑顔?」
自分の顔をまさぐると、口角が上がっているのがわかった。鏡を見なくてもわかる。
きっと、歪んだ笑顔が貼りついているはずだ。自分は笑いながら家族の死を語っていたのか。
……そんなことはどうでもいい。
どうして悠は、自分にそんな眼差しを向けるのだろう。
怯えや恐怖――そして、拒絶。
「わ――わたしの知ってる凜くんじゃ――ないっ!?」
「――――っ!?」
悠が知っている自分ってなんだろう――そもそも「自分」ってなんだ――いままで悠の前で見せていた「俺」って――めまぐるしい勢いで流れていく感情。
「ゆ――悠に俺のなにがわかるんだ!?」
おぞましい記憶が、ずっと封印していた感情が――「俺」に封じられていた虚構が次々と奥底からよみがえってくる。
すぅ――と、凜の顔から感情が消えた。
「――わかったよ。煌武家で俺がなにをされてきたのか、教えてあげる」
凜は勢いよく悠を押し倒した。
ゆっくりと顔を近づけていく。
悠は怯えながら目をつむった。
やがて、凜の口が悠の耳もとに。
淡々とつぶやかれる言葉に、悠は心から戦慄した。
「――ぁ――あぁ――っ!?」
そんなことが現実にあっていいわけがない。
しかし凜の口調や雰囲気はすべて、それが真実であると証明している。
「い――――いやぁっ!?」
思わず突き飛ばしてしまい、凜は衝撃でベッドから落ちる。
「……はは」
絞りかすのような笑みを浮かべる凜。悠に見向きもせず、そのままゆらゆらと、おぼつかない足取りで部屋から退出していった。
悠は泣いた。
凜の闇に触れた悠の心のうちで、自分の「闇」と混ざっていく。
心は泣き叫んでいるのに、涙はすでに枯れていた。