煌武聖陽は、煌武家の三男として生を受けた。
彼には兄と姉がふたりずついたが、それらとは大きく違った子どもだった。
たぐいまれな天才的頭脳。5歳のときにはもう大学生レベルの知識を備え、語学や数学、物理学や経済学など幅広い分野に興味を持っていた。
小学生になる頃には株や先物取引などにも才覚を現し、もともと莫大だった煌武家の総資産を、数十倍にまで膨れあがらせた。
そんな彼にも、悩みはあった。
家族の歪な人間性と、歪んだ関係。聡明な聖陽は、早い段階から自分の家族が異常だと気づいていた。
自由がなかった。自分は鳥かごの中の鳥なんだろうかと――自分は死ぬまでこのかごの中にいるのだろうかと、何度も自問していた。
特に父親の束縛は病的なまでに厳しかった。家人を屋敷の外に出すことをほとんど認めず、学校に通った記憶もそんなにない。
父は病的なまでに煌武家の血筋に執着し、外部の「血」を入れることを拒んでいた。最後の子ども――凜が生まれたときにはもう六十代半ばを過ぎており、日頃の不摂生が影響してほぼ寝たきりになっていた。それでも屋敷の中での発言力はいちばん大きい。兄ふたりは完全に恐怖政治に屈し、言いなりとなっていた。
そんな中でも、凜は違った。凜も直感的に煌武家の異常性に気づき、物心つく頃からすでに家族を憎んでいた。
聖陽にとって凜は救いだった。ほかのきょうだいとはそれぞれ母親が違うが、凜と自分の母親は一緒だった。その母親は凜が生まれてすぐ病死。すなわち凜は、同じ血筋と感性を持つ唯一の肉親となった。だから凜だけは可愛がり、必死になって守ろうとした。
聖陽は気になった。どうしてうちの家族だけこんなに異常なのか、と。彼が遺伝子工学に興味を持ち始めたのは、その頃だった。家族の遺伝子情報を調べれば、その謎が解明できるのではないかと。
猛烈に反対する父や家族から逃げるように、聖陽はアメリカの大学へ進んだ。このとき凜も一緒に連れていけなかったのは、いまだに後悔している。守り手がいなくなった凜がその後どういう目に遭ったのか、想像に難くない。
在学中にその頭脳を認められ、ゾディアーク・エネルギーからスカウト。大学は中退し、ゾディアーク・エネルギーへ身を置いた。
それから数年間のうちに、聖陽は星核炉の秘密や〈神の遺伝子〉についての情報を――一般人が絶対に知ることができない情報を知ることになった。
そして6年前。一度凜の様子を見ようと密かに帰省したとき、事件は起こった。
聖陽は軟禁された。重度の糖尿病を患い、死にかけている父が最後の力を振り絞って兄たちに命じたらしい。「聖陽を二度と屋敷から出すな」と。兄たちも本気だったようで、どうしても逃げられない。外部との連絡も遮断された。
だから聖陽は、凜に助けを求めた。
凜は求めに応じた。凜が仲介役となり、黒月夜の海堂霞と連絡を試みる。黒月夜と煌武家は古くからの付き合いで、持ちつ持たれつの関係をずっと続けていた。
聖陽は霞に言った。
「煌武家の人間を皆殺しにしてください。家の資産をすべて報酬として持っていって構いませんから」
「いいのか?」
「この家はもう毒にしかならない。……ただし、凜だけは殺さないでください」
その言葉に、霞は笑いながら返した。「なら、凜をわたしにくれ」と。霞が凜を気に入っていたのは知っていたので、聖陽は迷いつつもそれに応じることにした。
――その数日後、煌武家の屋敷は焼け落ちた。
◇ ◇ ◇
黒月夜のアジトの一室。
殺風景な室内の、薄汚れたベッドで眠っている凜。その傍らに、パイプ椅子に腰かけた斑鳩がいた。唐突に、斑鳩がポケットから呼び出し音が聞こえてくる。彼はスマートフォンを取り出し応答した。
「もしもし――ああ――そう? わかった。あとで行くよ。姐さんにもそう伝えておいて」
スマートフォンをしまい、斑鳩はまた凜に視線を落とす。
「健康に育ってくれてなによりだよ。性格はかなりひねくれたみたいだけどね……ふふ」
ふと、凜の顔に手を伸ばす。
「……ん……」
凜は寝返りを打った。ふとんがはだけ、Tシャツ姿の上半身があらわになる。そしてそれを見た斑鳩はきょとんとし、思わず手を引っ込めた。
「凜がここまで歪んじゃったのは、半分は煌武家のせいかな……残りの半分は間違いなく姐さんだ。やれやれ」
「……ん……?」
凜が目覚めた。
「おはよう、凜」
「に……兄――斑鳩さん? 戻ってたの?」
斑鳩がしばらく仕事でいなくなることを、凜は聞いていた。
「兄さんでもいいんだよ。きみとの関係はみんなに話してある」
「……っ……あんたは、俺の知っている煌武聖陽じゃない……!」
「そう? ちょっと残念だけど……。えっとね、起き抜けで悪いけど大事な話が――」
凜の様子が唐突におかしくなる。
「――っ!? あ――ぁ――っ!?」
「凜?」
「で、出てけぇっっっ!?」
顔を真っ赤にしながら、凜は枕を投げつけてきた。それをひょいっとよけた斑鳩は、そのままドアまで後退した。
「着替え終わったら声かけてね」
――数分後。
許しを得てから再び部屋に入る。凜は背筋をぴんと伸ばし、悠然とベッドに腰かけていた。先ほど激昂した様子は微塵も見られない。
これはなにも触れないほうがいいねと判断した斑鳩は、すぐに本題に入った。
「きみは地震が起きてから外に出てないでしょ」
うなずく凜。
「じゃ、いま外の世界がどういうふうになっているのか知らないよね。これからどんな地獄が待ち受けているのかも含めて、すべて説明しよう」
「地獄……?」
「控えめに言っても地獄だよ。ひねくれ者の凜ならむしろ喜ぶんじゃないかな。『うわぁい、世界は滅ぶんだー』って」
「ば、馬鹿にするなっ!?」
「はっはっは。――とりあえず順を追って話そうか」
〈アクエリアス〉の暴走と地震の関係。異種化騒ぎや星蹟島の封鎖までの顛末を、斑鳩は語った。
すべてを聞き終えて、青ざめる凜。
「そ、そんな――っ!?」
「ま、いろいろと思うところはあるだろうけど、それは重要じゃない。凜に頼みがあるんだ……あー、そんな警戒しなくて大丈夫だって。僕についてきてくれ」
「ど、どこに?」
斑鳩がにやりとする。
「真城悠ちゃんに会いたくないかい?」
――その数分後、凜と悠は小汚いアジトの一室で再会した。