Extrication 02

 警報が響きわたっている。
 ICIS日本支部のオペレーションルームは、いまだかつて見たこともないような混乱に満ちていた。
 
「アルテイシア捜査官は雨龍捜査官とともに、依然逃走中! だ、第1区画突破されました!」
「隔壁を下ろすんだ! 閉じ込めろ!」
「か、隔壁が!? 異常発生! 隔壁が下りません! 外部からのハッキングを感知!」
「馬鹿な!? ICISのメインシステムにハッキングだと!?」
「両名、第2区画を突破!」
 
 怒号が飛び交うオペレーションルーム。
 苦虫を噛みつぶしたような表情の詩桜里が、呆然とたたずんでいた。
 ……どうしてこんなことに。
 そもそも、レイジがセイラのいた部屋にたどり着けること自体がおかしい。警備は万全で、虫1匹入り込めるような隙もなかったはず。
 詩桜里がなんとなく見つめる先に、オペレーターのひとりとなっていたリスティがいる。――が、リスティは詩桜里の視線に気づき、思わず目を逸らした。彼女らしくない様子に、詩桜里に直感が走る。
 ――まさか。

「リスティ!」

 詩桜里がリスティに詰め寄る。
 
「あなたの仕業ね!? いくら雨龍捜査官でも、なんの後ろ盾もないままセイラのところには行けない!」
 
 リスティは泣きそうな表情でうつむくが、すぐに顔を上げて椅子から立ち上がった。
 
「し、室長は、あのままセイラ捜査官が囚われているのが本人のためだと、本気でお考えですか!」
「だって、そうしないとセイラは――!?」
 
 今度はリスティがセイラに詰め寄った。
 
「嘘です! 室長もどこかで間違っているって感じていたはずです! そうじゃなきゃ、あんな哀しそうな涙は流さない!」
 
 見たこともないほど声を張りあげるリスティに、詩桜里はたじろいだ。周囲も呆然として見守っている。
  
「リスティ……あなた」
「雨龍捜査官は言いました。『俺は自分の信念を信じる。セイラもきっとそうするだろう。――じゃあ、リスティちゃんはどうする?』って……わ、わたしは……っ」
 
 大粒の涙を流すリスティ。心がここまで震えるのは、彼女にとってははじめての経験だった。
 そのとき、オペレーターのひとりが声をあげる。
 
「にゅ、入電! ……こ、これはっ!? 柊捜査官! アルテイシア捜査官のIDからです!」
「つないで!」
 
 壁一面を占める大型モニターに、セイラの端正な顔が映し出された。
 
『やあ詩桜里。人には無茶するなとか散々言ってたくせに、自分はいいのか?』
 
 セイラの表情は穏やかだった。
 
「そ、それにはわけがあるの! これ以上あなたが無茶をしたら――」
『わたしの「自由」を奪う、とでも上に脅されたか?』
「あなた、気づいて……?」
『律儀なおまえがあんな無茶をしでかしたんだ。それくらいしか理由は思い浮かばない』
 
 詩桜里は苦しそうにうなずいた。
 かつてセイラは、犯罪組織シュルスの暗殺者として世界各地で要人の暗殺に従事していた。それによって生じた影響は計り知れない。
 即刻死刑になってもおかしくない大罪だが、セイラが捕まったフォンエルディアには死刑制度は存在しない。そのため、ICIS総本部が統括する特別収容施設にしばらく収監。セイラ本人は、ここで死ぬまで暮らすのだろうとなんの疑問もなく思っていた。
 だが、そうはならなかった。
 超法規的処置。上層部の計らいで、条件つきの解放が実現された。
 セイラに与えられた条件は、ICIS捜査官として、犯罪捜査に無条件で従事すること。
 そしてどんな状況であっても、たとえ相手が凶悪犯罪者でも、敵対した者や犯罪者の命を奪わないこと。
 セイラは条件を受け入れた。
 捜査官となったセイラの活躍はめざましかった。もともと本人が凄腕の暗殺者だったのだ。だから犯罪者の心理など手に取るようにわかる。彼女が捜査に加わったおかげで、多くの難事件が解決される運びとなっていた。
 更正と手柄と手腕が認められ、日本に来る頃にはもう、セイラの待遇はだいぶ改善されていた。観察役である詩桜里の許可さえ取れば外出も自由。一般人との交流も制限はなきに等しい。セイラの過去を考えれば、それは破格の待遇だった。
 
「……観察期間を即刻終了させて収監。そのまま本国に送り返すことも辞さないって」
 
 汐見沢の一件以降、それがICIS日本支部上層部の総意だった。つまり、セイラが長年の努力で勝ちとってきた「自由」を、再び奪うことにほかならない。
 
『なるほど。上層部の意向もわからないわけではない。それくらいの前科がわたしにはある』
「セイラ……」
『すべて終わったときは、おとなしく投降することをここで誓おう』
「でもっ」
『なあ詩桜里。はじめて会ったとき、わたしがおまえに言ったことを覚えているか?』
「……っ」
 
 昨日のことのように思い出す。
 あのときのセイラは、まだ笑うことができなかった。自分の大罪を自覚し、後戻りできない壮絶な過去に押し潰されそうになっていた。
 そんな中、迷子になった子どものような孤独を全身から発しながら、セイラが言った言葉。

『わたしは、「人間」になりたいんだ』

 モニターの向こうで、セイラはあのときと同じ言葉を言った。
 
「覚えてるっ! 忘れるわけないでしょう! その手伝いをしてくれと頼まれて、わたしがうなずくと、不器用な笑みを浮かべながら『ありがとう』って言ってくれたこともすべて!」
『……ありがとう』
 
 不器用な笑みを浮かべながら、そして若干恥ずかしそうにしながら、セイラは言った。
 
『だがいまの状況はなんだ。悠が行方不明になったことはレイジから聞いた。さらに、惺まで官憲の手に落ちた……!』
「だ、だからって、あなたが無茶していい理由にはならない!」
『親友が行方不明になり、愛する者が謂われなき罪で囚われている。ふたりの先にどんな未来があるんだ? わたしは親友を――悠を絶対に見つけ出す! そして愛する者を――惺を解放する! 誰にも邪魔はさせない! それができなくてなにが「人間」だ!』
「でもっ!」
『もう一度言うぞ、詩桜里――』
 
 セイラは大きく息を吸って、その魂を叫んだ。


『わたしは、人間になりたいんだっ!』


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