「セイラ、これからどうする?」
築山の森を抜け道路に出たところで、惺が言った。地震で無慈悲に破壊された街に、人工的な明かりは存在しない。月明かりの輝き――自然の恩恵だけを頼りに、ふたりはそっと周囲の様子をうかがった。
人の気配はない。
「できるだけ早く、ここから離れたほうがよさそうだな」
「……けど、徒歩だと限界がある」
いくら惺でも、凜を背負ったまま無茶はできない。
「――っ。まずい。敵が分散してこっちに向かってる!」
急に背後を振り向き、惺が忌々しそうに口にした。セイラも舌打ちする。
「さすがのレイジでも、あの人数は抑えられないか」
と、道路の先でセイラがなにかを見つけた。
真っ赤なスポーツカーが路肩に寄せられている。すぐそれに駆け寄ったセイラはドアを開けた。ロックはされてない。そして、運転席のシートの上に無造作に置かれていたスマートキーを見て、にやりとした。
シートに座ってイグニッション・キーを押すと、無事にエンジンがかかる。
「でかしたぞ、詩桜里。惺――!」
惺は助手席のドアを開け、「ごめんな、凜」と小さく謝りながら狭い後部座席に凜を放り込んだ。続いて惺も車に乗り込む。
セイラが勢いよくアクセルを踏むと、車は発進した。SFGに見つかる恐れがあるため、ヘッドライトはつけない。
勘だけで暗闇の中を器用に進んでいく。地震が破壊した道路はでこぼこしているが、走れないほどではなかった。
「この車は?」
「詩桜里の愛車だ。車から避難する際はなるべく路肩に止めて、ロックもせずキーも置きっ放しにする。災害時のマニュアルどおりだな。さすがは真面目な公務員」
詩桜里が創樹院学園に避難してきたとき、「――星蹟グランブリッジを降りてしばらく走ったあたりで地震に巻き込まれて――」と言っていたのを、セイラは思い出した。この道路は、星蹟グランブリッジから自宅マンションに向かう道のひとつだ。
車を走らせる中、惺は背後を気にしていた。存在する意味があるのかわからない狭い後部座席で、うずくまるようにして凜が相変わらず気を失っているが、惺の意識が向かう先はそこではなかった。
「レイジの心配をしているのか?」
「それもだけど、海堂霞さんも。彼女も残ったみたいだし……」
「あいつは敵だぞ。わたしたちを騙していたのを忘れたのか?」
「そうだけど」
「……おまえは優しいな」
やれやれ、と苦笑するセイラ。
車のバンパーがなにか突起物に当たりこすられる。崩れ落ちた建物が道路の半分をふさいでいて、1台がやっと通れるような隙間を、車体の側面をがりがり削りながら無理やり抜けた。暗闇の上に最悪に近い道路状況の中で、詩桜里の車は、持ち主が見たら気を失いそうなレベルで損傷していく。
「ははっ、奇遇だな。これで持ち主本人と同じで傷物になった。……惺、そうむすっとするな。さすがのわたしでも、冗談を言ってないとやっていられない状況なんだ」
「レイジさんが心配か?」
「あいつは『殺しても死なない人間』のお手本のような男だ。しかし――」
その先をセイラは言わなかったが、惺はすぐに察して話題を変えた。
「どこに向かってるんだ?」
「決めてない。距離をとってから身を隠せそうな場所を見繕うつもりだ」
「それなら、手に入れたい物があるんだ。だから――」
◇ ◇ ◇
薄汚れたベッドの上で凜が眠り、ひび割れた窓から差し込む月明かりがその横顔を照らしている。それを傍らで眺めていたセイラは、久かたぶりの安堵を覚えた。
「……無事でよかった」
地震の前日から行方不明になっていた凜は、まるで消息の手がかりがつかめないでいた。それでも無事にこうして生きている。凜の服は泥だらけでぼろぼろたったため、セイラが着替えさせていた。
しばらくすると惺が戻ってくる。
「地下は浸水してたんじゃないのか?」
「大丈夫。地下の防水設備は完璧なんだ。1階は悲惨だったけど、地下は無事だった」
「そうか。それで、目的の物は手に入ったのか?」
惺はうなずいた。
真城邸の2階にある惺の自室。本棚やサイドボード、キャビネットなどはすべて倒れ、中身がそこらじゅうに散らばっている。20畳ほどもある部屋は、高校生の自室にするには広大で贅沢すぎる。それもそのはず、ここはかつて父・蒼一の部屋だった場所だ。
1階はさらに悲惨だった。かつて友人たちと食事会を開いたリビングは津波で徹底的に流され、もはや見る影もない。島の上にぽつんと構えている真城邸に、津波を防ぐ防御力はなかった。不幸中の幸いなのが、こうして全壊を免れていたことだけだ。
「凜は?」
「まだ目覚めない」
眠っている凜の表情は苦悶がにじみ出ていて、時折うなされていた。
惺は凜の顔をのぞき込む。
「……心がぐちゃぐちゃなのを、星術で無理やり抑えている……? いったいなにがあったんだ?」
「目覚めて落ち着いたら詳しく訊こう。素直に話してもらえるかわからないが」
と、惺が窓の外を注視した。
「どうした?」
「……お客さんだ」
直後、爆発音が響いた。