空がわずかに白み始めている。長い夜が、あと少しで明けそうだった。
自室に隣接されたテラスで、惺は空を眺めていた。
ガラス戸が開き、セイラが顔を出す。
「凜は?」
惺が訊いた。
「海堂霞に寄り添っているよ」
セイラは室内に目を向けた。ベッドには海堂霞の遺体が横たわっており、傍らに凜がしゃがみ込んでいる。
「海堂霞は、最初からこうなることがわかっていたのか?」
凜を見つめながら、セイラが言った。
「どうだろうな。けど少なくとも、あの人が凜を愛していたのはたしかだと思う」
「……歪んだ愛情だな」
凜を自分たちにけしかけておいて、最後は凜を救うような言葉を放った霞の気持ちを、きっと一生理解できないだろうとセイラは思った。
セイラが気配に気づいて振り返ると、凜が立っていた。
「もういいのか?」
惺が声をかける。表情に世間話でもするような親しみやすさが込められていて、凜は激しく動揺した。
「お……俺……いや、わたしは……」
「ゆっくりでいい。海堂霞さんが言っていたように、いつか自分を信じられるようになれば――」
「な、なんでそんなに優しいんだよ!?」
「凜……?」
「わたしは女だ! ずっとみんなを騙していた!」
「最初から知ってたよ」
「――っ! お、俺……わ、わたしが悠に言ったことは、霞さんが言ってたことは全部真実だ! わたしは悠に死んでくれと言った!」
「だからなんだ。それを許すか許さないか決めるのは、悠本人だ。俺は悠を救い出す!」
「無理だよ……どこにいるかもわからないのに!?」
「悠の居場所ならわかっている」
「惺、どういうことだ?」
セイラが訊いた。
「そんな遠くにいるわけじゃない。あいつはまだ生きてる。だから――」
「無理だ!」
「凜……?」
「たとえ救い出せたとしても……悠は……悠は!」
凜の言葉が、惺とセイラを凍らせた。
「悠の寿命は、あと3年もないんだよ!」
惺とセイラが驚愕の表情を作ったまま、凜をまっすぐ見据えた。
「そんな悠に、わたしは死んでくれって言ったんだ!」
「待て。寿命とはなんの話だ!?」
と、セイラ。
「兄さんが――斑鳩聖が言っていたんだ。悠の神経の異常――そのうち手足が動かなくなって、ピアノが弾けなくなって――いずれ、最後は――3年以内に、自発的に心臓も動かせなくなって死に至るだろう、って――」
「そんなことは初耳だぞ!? 惺!」
大きく息を吐きながら、惺は天を仰いだ。
「そういう……ことか」
「おい、惺!」
「悠が俺に……周囲に、なにか大事なことを隠していたのは気づいていたんだ。くそっ、そういうことか!」
惺はテラスの壁を大きく叩いた。その後、惺は凜の目の前まで歩み寄る。
そして、平手でその頬を叩いた。
凜の瞳から、大粒の涙がこぼれ出す。
「泣きたいのは悠だ。いままで家族のように接していた人間に死ねなんて言われたら、どんな気持ちになるのか考えたくもない!」
「――っ!?」
しかし目をつむって拒絶する凜を、惺は抱きしめた。
「あ――」
「でも……それでも、悠は凜を恨んだり、嫌ったりしないだろう。俺もそうだ。俺は凜をこれ以上責めたりはしない」
「あ――ぁ――っ」
凜の顔を見つめる惺。
「つらかったな、凜」
あまりにも深く、あまりにも優しい翠碧色の瞳が、凜の目の前にあった。
いまだかつてないほどの感情が、凜の内部で爆発する。
いままでずっと手に入れたくて、手を伸ばして触れようとしていたもの。
でも手に入らなかったもの。
――希望。
人のぬくもり。
光に変換された奔流が、凜の冷えた体だけではなく、心までも包んだ。
「絶望に打ち震えている表情なんか、悠には似合わない。悠の微笑んでいる姿を、また見たくはないか?」
凜の瞳から、感情の発露が止まることなくこぼれ落ちる。
悠の姿が思い浮かぶ。
一度は絶望色に染めてしまった彼女の表情を、再び笑顔に戻したい。思えば凜が黒月夜のアジトで、危険を冒してまで惺に連絡をとったのは、少しでもそのような気持ちがあったからではないのか。
悠を救うことが、本当に可能だろうか。
自分にそんなことを願う権利があるのだろうか――凜の後悔に、底が尽きることはなかった。
「迷いなんてあるものか! 寿命? そんなもの、いまはどうだっていい。悠を救い出す。今度こそ、絶対に!」
惺が言い放ったときだった。
空がにわかに騒がしくなる。
東の空にわずかに顔を出してきた太陽にも負けず劣らない幻想的な光が発生し、地上をまばゆく照らし出した。
光の生み出すのは――
はるか遠くの海上にそびえる現代文明の象徴。
地震以来沈黙を保っていた星核炉〈アクエリアス〉が、静かに不気味に輝きを放っていた。