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 シディアスの騎士――世界を導く最高機関「世界政府」が擁する軍事組織。それが『シディアス』であり、それを構成する高い戦闘能力を持った戦士の総称だ。
 シディアスは世界の安定と調和を司る平和の象徴的存在である。有事の際に現場に派遣され、各国家や勢力とのあいだに入り調停役として活動する。当然ながら、話し合いで解決できない場合は武力を行使することもある。そのためシディアス及びシディアスの騎士の活動範囲は、地球上のあらゆる地域に及んでいる。 
 シディアスの本拠地は、世界政府の本部がある国家「フォンエルディア」に存在していた。太平洋に浮かぶ大陸と、その全土を領土にした国家の名称である。大陸はオーストラリア大陸と南米大陸に挟まれた海域に広がっている。無数の大都市が大陸全土の至るところで栄えており、それらが政治的に結集してひとつの巨大国家を形作っていた。
 人が住んでいる地域ならどこにでも派遣されるシディアスの騎士。ところが今回クリスたちが行っている任務は、それなりにめずらしい事例だった。
 永住する人間が存在しない極地、南極大陸。1ヶ月ほど前、そのとある地域において異変が発生する。その地域に置かれた各国の観測基地の一部から、定期連絡や通信が途絶えるという事案が、短期間のうちに立て続けに発生した。該当する国家はただちに調査隊を組織し、それぞれ現場に派遣。
 そして調査隊が見たものは共通して、信じがたい光景だった。
 観測基地で生活していた人間たちが、ミイラ化して死んでいた。その総数は500人に及び、全滅した観測基地もいくつかある。
 調査隊の報告を受けて、事態を重く見た世界政府はシディアスの派遣を決める。このような不可解な事態に対応するのも、シディアスに課せられた役目のひとつである。
 その後、事件がある特定の地域周辺で起こっていることが判明する。南極大陸の南西方向に広がる「マリーバードランド」と呼ばれる地域。全滅した観測基地はすべて、その地域に隣接していた。
 やがてシディアスは、大陸の観測基地からすべての人間が避難したのとほぼ同時期に、この地下施設を発見する。唯一と思われる出入り口は巧みに偽装され、衛星写真や航空写真などでは発見できないようになっていた。
 そんな施設がまともであるわけがないと、誰もが直感する。
 実際、そのとおりだった。

◇     ◇     ◇

 
 階段を下り、曲がりくねった廊下を進んでいくクリスたち。やがて、先頭を歩いていたレイリアがはっとして足を止める。十数メートル先には大きな両開きの扉が、開いたままになっていた。 
 中から人の叫ぶ声と、虫の羽音のようなものが響いてくる。4人はただちに臨戦態勢をとり、扉の陰から中をうかがう。
 クリスたちは二重の意味で驚愕した。
 ひとつめは、部屋の内部――否、部屋と呼ぶには広大すぎる、その空間。
 緑の深い、神秘的な大森林が広がっていた。屹立する樹木の背は高く、鬱蒼と生い茂る葉は瑞々しい。見渡せる範囲全域に大量の土が盛られ、ところどころに大きな岩が隆起している。ここが地下の空間であることを忘れてしまうほどの大自然だ。
 ふたつめの予想外かつ最大の驚愕は、仲間である騎士たちが全力で戦っている相手。

 巨大化した昆虫の軍団。

 カマキリやクワガタ、ハチや蛾。そしてサソリやクモ。どれも体高が大人の人間とそう変わりなく、体長は大型動物のように巨大。
 軍団は多種多様な攻撃を繰り広げていた。カマキリは剣のような鎌を巧みに振るい、クワガタはハサミ状の顎で近接攻撃を仕掛け、ハチは空中から針を飛ばし、蛾は有毒そうな粉をまき散らす。それぞれが特徴的な「武器」を操り、騎士たちを追い詰めていた。
 なにより圧倒的なのは、彼我の戦力差だ。
 シディアスの騎士は30人程度。騎士は剣や槍やハルバードなどの近接武器がほとんどを占め、レイリアのような、光の弓弦が張られた弓を巧みに操っているのは半数に満たない。
 対する軍団は、大森林を埋め尽くすように蠢いている。倒されてもまるで減る様子を見せなかった。
 戦っている騎士たちのオーバーコートはいま、虫たちの体液で形容のしようがない色に染まっている。
 もはや戦闘ではなく、この規模は「戦争」だ――クリスが絶望しかけたそのとき、1匹のカマキリが、ぎょろりと彼女に眼を向けてきた。濁った赤黒い眼が新しい獲物を認識。ほかの虫たちもそれに倣うかのように、同じような色合いの眼を向けてきた。

「ちっ、見つかった!」

 ティアースが叫んだ。

「各自〈マーシャル・フォース〉を全力展開! 手加減はいらない! レイリアとアーシャは援護を頼む! クリス、行くぞ!」
「はい!」

 4人は飛び出した。それとほぼ同時に、虫の一軍がクリスたちめがけて突進してくる。最初にこちらに気づいたカマキリはクリスを獲物と定めたようで、彼女めがけて一直線に疾走。
 自分の背丈とそう変わらないカマキリが迫ってくるさまは、冗談抜きで恐ろしい。
 しかしいま、クリスを支配しているのは別の恐怖だった。

 ――ここで怖じ気づいていたら、絶対に死ぬ!

「目前に死を感じたら体は熱したままでいい。ただし、頭は無理やりにでも冷ませ。そして勝利をイメージしろ」――騎士としての師である蒼一から叩き込まれた言葉。父も似たようなことを言っていた。
 生存への強い本能が、クリスの魔力と反応。刹那、白銀の刃が淡い青色の光で満たされる。
 カマキリの鎌が、左右から襲いかかってきた。
 迷っている時間などない。だからクリスは、剣を構えながら一瞬でイメージする。この状況で、どうすれば勝利を手にできるのか。
 二刀流の鎌を、横薙ぎの一閃をもって防ぐ。そのときの衝撃で、カマキリの体勢が崩れた。

「はぁっっ!」

 剣術の理を知らない虫に、クリスが遅れをとるはずがなかった。衝撃波を伴った斬撃が、カマキリの脳天から上半身を真っ二つに両断。そして毒々しい緑の体液がクリスに降り注ぐ前に、彼女は勢いよく刃を振り抜いた。
 足もとに迫っていたカブトムシが、クリスに向かって角を突き出していた。カマキリより体高は低いが、それでもクリスの腰の高さほどはある。角は鋭利に尖っており、その雄大なシルエットは、ヘラクレスオオカブトそっくりだった。
 剣と角が衝突し、火花を散らす。衝突の瞬間、力点を巧みに移動させて角の軌道をずらすことを忘れなかった。目標を失い、前につんのめった形で怯んだカブトムシの頭部に刃を突き立てる。
 だが――
 ガキンッという甲高い音とともに、クリスの刃が弾かれた。

 ――硬い!?

 光沢を放つ頭部の外殻に軽微な裂傷が生まれたが、致命傷には至ってない。しかし衝撃で目をまわしたのか、動きが鈍る。
 クリスはすかさず敵の横に移動し、剣に魔力を込めながら全力で振り上げた。
 外殻はやはり硬く、手応えは薄い。しかしテコの原理で持ち上がった巨体がひっくり返り、無様な姿を晒した。カブトムシはひっくり返ったら自分では起き上がれない。その弱点はこの巨体にも有効だったようで、脚をひたすらばたつかせるだけでなにもできなかった。
 体の裏面までは外殻に覆われてない。とどめを刺そうと、クリスは再び剣を振り上げる。
 その刹那、背後から突然漂ってくる凄まじい悪臭に、クリスは鼻を押さえながら振り返った。
 丸っこい輪郭を持つ巨大なカメムシがいた。ほかにも地を這う巨大ムカデや、人の顔ほどに大きな蚊とおぼしき生物が空中を飛びまわっている。

 ――この数はまずい……っ!

 一度に相手にできる数ではない。周囲の仲間たちもみな死闘を繰り広げていて、協力して対処できる状況でもない。 

「全員、後退しろ!」

 そのとき誰かの怒号が飛び、クリスは迅速に後退した。弾丸のような速度で飛び込んできたなんらかの虫を、何匹か斬り落としながら。
 途中レイリアとアーシャと合流。さらにティアースや、ほかの場所で戦っていた騎士たちとも合流を果たした。
 騎士たちの背後と左手側は壁。この広大な室内の隅に当たる場所だ。だが近くに扉はなく、逃げ道は存在しない。
 巨大生物たちは騎士を強敵と認識したのか、警戒するような素振りを見せてある程度の距離を保ったまま近づいてこない。先ほどまでの攻勢が嘘のようだった。
 クリスがちらっと確認する限り、先遣部隊としてこの施設に侵入した「ほぼ」全員の騎士がいた。誰も彼も満身創痍だが、無事だったことに一瞬の安堵を覚える。しかしすぐ、目の前の現実を見てそれは消え去った。

「こんなときに蒼一はどこでなにやってるのよ。部下のピンチなのよ!」

 弓を構えながら、レイリアがつぶやく。体力と魔力を使いすぎたのか、顔色は悪い。

「あの人が無意味な行動をするはずがない。きっとなにか意味が――」
「クリスは優しいね。蒼一だけ生き延びていたら、全員で化けて出てやる!」

 レイリアが毒づいた直後、何重にも重なった低い駆動音が響いてくる。虫の羽音ではなく、人工的な響きの音。
 瞬間、クリスたちの右手に広がる樹木の隙間から無数の影が飛び出してきた。

「……嘘でしょ」

 レイリアがつぶやく。みな同じ気持ちだった。 
 先ほど廊下でクリスが遭遇したドローン。それと同種、あるいは亜種と思われる機体が数百機、樹木の葉を散らしながらこちらへ飛翔してきた。
 巨大な虫だけでも精いっぱいなのに、いまさらこの数のドローンまで相手にしないといけないのか。もちろんそんな余裕は皆無で、クリスだけでなく騎士全員が一様に絶望のどん底に落ちた。
 やがてドローンの数は加速度的に増え、天井が見えないほどに空中を覆い尽くす。
 悪夢のような現実が、クリたちを打ちのめした。
 
「……全員、最後までがんばろう」

 そう言って、ティアースが剣を構える。
 クリスも覚悟を決めた。もはや戦うことしか選択肢が残されていない。

 ――そして、次の瞬間。
 ドローンの一斉射撃が始まった。

「え――っ!?」

 クリスが、そしてほかの騎士たちが驚くのも無理はなかった。
 ドローンの銃口は、目の前の虫たちに向いていた。そしてドローンは一斉に掃射しながら、上空から騎士たちを守るように展開する。
 容赦のない掃射が、巨大な虫の群れをまたたく間に屠っていく。彼らの体液を浴び、地面や樹木が本来の色を失った。
 弾切れとなったドローンはやがて、自らの体を最後の武器として特攻。
 唖然とするクリスたちをよそに、虫の軍団は10分と経たず、3分の1程度まで数を減らした。
 
「――やれやれ。思ったよりも残ったかな」

 クリスたちから見て右手の方向に、地面の隆起した丘のような場所がある。その上にいつの間にか立っていた男性が、勝ち誇ったような笑みを浮かべながら言った。
 淡い亜麻色の髪。精悍で端正な顔立ち。日本人離れした長い手足。長身を包む白いオーバーコートは染みひとつない。

「蒼一!」
「やあクリス。……まあ、積もる話はあとだ。みんなは休んでいてくれ。あとはわたしがやる」

 深い鳶色の瞳が、生き残った巨大虫たちを鋭く見据えた。
 仲間の死骸をまるで気にかけることなく踏みつけながら、生き残った虫たちが前進してくる。彼らの本能が強敵と判断したのか、一様に蒼一に視線を向けた。

「ま、これくらい広ければ火災にはならないだろう――」

 つぶやきながら、蒼一は右手を上空へ掲げる。その先に集まる膨大な魔力を、クリスは肌で感じる。
 
 突然、目の前に太陽が出現した。
 
 もちろん実際の太陽ではない。しかし、そう思えてしまうほどの大火球が、蒼一の頭上で爛々と輝く。
 星術――この世界にあまねく存在する不可視のエネルギー、通称「魔力」。それを紡ぎ、操ることで様々な現象を引き起こす特殊能力の総称。クリスの光をまとう剣術やレイリアの光の矢も、星術の理に根ざした能力である。
 洗練された武術と高度な星術という両翼。シディアスが世界の守護者として君臨できる所以。
 大火球は加速度的に巨大化し、輝きも比例して増していく。
 虫たちにとってそれは絶望の光となった。しかしクリスたちにとっては、勝利を確信させる光。
 蒼一がにやりとしながら念じる。  
 その刹那、大火球から巨大な奔流が無数に流れ出す。
 さながら焔をまとって暴れまわる龍。それが地面をなでるように進み、巨大虫たちを無慈悲に呑み込んでいった。
 虫の断末魔さえも灼熱に焼き尽くされていく。同時に大量の黒煙が巻き起こり、周囲を暗く染めた。
 ――数十秒後、蒼一の頭上から大火球は消えていた。
 同時に虫たちもすべて焼き尽くされ、灰すらほとんど残されていない。焼けただれた地面と空気に漂う黒煙が、わずかに痕跡を残すのみだった。空調が強烈に効いているのか、黒煙はすぐに退散する。
 やがて涼しい顔をしながら、蒼一が丘から下りてくる。

「全員、よく無事だった。さすがわたしの選んだ精鋭部隊だ」
「ちょっと蒼一! いままでどこに行ってたの!?」
「落ち着けレイリア。この下で施設のコントロールルームらしき部屋を見つけてね。そこでいろいろやっていたら遅くなった」
「もう。指揮官のあなたが勝手な行動してどうするのよ!」
「警備システムもすべて無効化して、通信妨害も解除させた。だからもう施設内は安全だよ。たぶん」
「たぶんって――」
「それよりレイリア、きみの妹分が大変なことになってるよ。放っておいていいのかい?」
「えっ――ちょ、ちょっとクリス! どうしたの!?」

 クリスが真っ青な顔をして、ちょうどぺたりと座り込んだところだった。彼女のオーバーコートは敵の体液を浴び、濁った青や緑で染まっている。彼女の顔色は、それとは関係なさそうだ。

「どこか怪我した!?」

 クリスは震えながら、力なく首を横に振った。

「ご、ごめんね……わたし、虫が苦手で……うぅっ」
「そ、そうだったっけ? ああもう、しっかりしなさい!」
「……も、もうだめ…………レイリア、ごめん……」

 地面に倒れる寸前で、クリスの体をレイリアが抱き留める。
 クリスの額に浮かんだ汗を、蒼一がハンカチで拭いてあげた。

「緊張の糸が切れたんだな。見習いの準騎士にしては上出来だ。……さて、ここに来る前に増援部隊を呼んだから、到着するまでゆっくり休んでくれ。大自然の中だから安心するだろう? ちょっと生臭くて焦げ臭いのは我慢だ」

 蒼一が軽快なウインクを飛ばす。
 もはやみんな、突っ込む気力さえ残されていなかった。


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