ドッグの天井が大きく開け放たれ、生まれたばかりの陽光が差し込んでいた。
 それに照らされる真紅の機体がある。全長56メートル、全幅29メートル、全高14メートル。シロナガスクジラを彷彿とさせる大きな流線型の胴体の前方と後方に、小型の両翼が伸びている。計4つの翼には、それぞれ大型のティルトローターが備わっていた。
 飛行空艇アーク・レビンソン。個人輸送業〈アーク・レビンソン〉が誇る中型の飛行空艇だ。AIによる全自動の定期点検を昨日で終え、本日から出航する。つまり、しばらくクリスの「家」になる存在だ。クリスはそれを感慨深げに眺めたあと、近くのドアから外に出る。
 クリスがこの場所にやって来てから3日目の朝。空は雲ひとつない快晴で、陽光はまぶしい。しばらく歩くと、ドックの壁の近くに座っている惺が見えてきた。
 コンクリートの地面に置かれた小型スピーカーが、軽快な音を流している。それに合わせて、惺は床に座りながらストレッチをやっていた。

 ――や、やわらかいっ!?

 クリスが驚愕するのも無理はなかった。
 惺は華奢な足を大きく広げ、上半身を前へ伸ばす。胸が床にくっついていた。次に、足を縦に開いてぴんと伸ばす。今度は股の部分が床にくっついていた。それからしばらく、惺はストレッチに全神経を集中させる。
 やがて、立ち上がった惺が縦横無尽に動き出す。音楽は引き続き、軽快なメロディを響かせている。壁際に木製のベンチが置いてあり、クリスはそれに座りながら、しばらく惺のダイナミックな動きを眺めた。

 ――バレエ……?

 片足を軸にしてくるっと回転したり、両足を縦に開きながら高く跳躍したり。あまり詳しくはないが、バレエの動きであることだけはわかった。
 つい最近まで車椅子で生活していたとは思えない動きのキレ。ヴァイオリンを超絶技巧で弾きこなしたり、目が見えないのに絵を描いたり、もはや惺の存在はクリスの理解の範疇を超えている。
 やがて音楽が止まり、惺も体を楽にさせる。玉のような汗をかいていた。
 ふと、惺がじっとクリスを見つめてきた。

「あ……えっと、わたしはやらないよ。こう見えて体硬いの。そんなのやったら死んじゃう」

 惺の返事はない。だが、心なしかがっかりしたように見えた。

◇     ◇     ◇

 
 その後、クリスと惺はアーク・レビンソンの内部をアルマに案内してもらった。各地の空港で荷物や郵便物の集荷と出荷を繰り返すため、基本的にはずっとフォンエルディア中を飛びまわっている。長くて1ヶ月は家に帰らないこともあるそうだ。
 そのためアーク・レビンソン内部には、居住のためのスペースが用意されていた。食堂やキッチン、バスルームなども完備。ベッドを備えた部屋もいくつか用意されており、外部に泊まらなくても夜を過ごせる。
 部屋はふたり用が3つ。ギリアムとアマンダ、アルマとレオナルドの組み合わせ。そして空いていた最後の部屋をクリスと惺にあてがった。しばらく滞在するということで、ふたりのためにそれぞれベッドなど必要な生活用品をあらかじめ運び入れる。
 ひととおり案内してもらったあと、3人は機内でもっとも大きな区画である貨物室に向かう。
 貨物室へのドアが見えてきたところで、怒鳴り合う声が聞こえてきた。それを聞いたアルマの肩ががっくりと下がる。

「あーあ……お父さんとお母さん、またけんかしてる。クリスさんがいればだいじょーぶかなって思ってたのに」
「は、早く止めないと」
「大丈夫だと思います。いつものことだから。この前なんか殴り合ってたんだよ」
「え、えぇ?」

 アルマはのほほんとしている。 
 急いで貨物室の中に入ったクリスは、とりあえず安堵した。
 アマンダとギリアムの争いはまだ、殴り合いには発展してなかったようだ。もしも武力衝突が起きているのなら、元シディアスの騎士として全力で仲裁しなければと覚悟していたクリスには、やや肩すかしの結果だ。
 しかし剣呑な雰囲気は流れている。こめかみに青筋を浮かべたアマンダが、その場で正座しているギリアムを見下ろしていた。
 近くの木箱に座っているレオナルドだけが、のんきにあくびをしていた。
 
「で、説明してもらえるんだろうね?」
「説明しようとしたじゃねえか! なのにおめえ、口よりも先に手が出やがって! なんて女だ!」

 そう言うギリアムの頬は、ほのかに赤く染まっている。すでに武力衝突が起こったあとだったのかと、クリスはがっくりとした。
 
「あんたが素直に……ん? ああ、クリス。そんな顔してどうした?」 
「……あの、なにがあったんですか?」
「この男がね、会社に内緒でおかしな荷物を運ぼうとしてるんだ」

 アマンダに睨まれたギリアムは、怯えたようにそっぽを向いた。
  
「なにがおかしいんですか?」
「たとえ手のひらサイズの小箱だろうと、ここに運ばれた段階で全部コンピューターに登録されるんだ。でもその荷物は未登録でね」
「なにかの手違いとか……」
「そのあたりはアレックスがしっかりやっているだろうから、考えられないな」

 アレックスとはレビンソン家の長男である。レイリアの兄に当たり、現在29歳の既婚者。アーク・レビンソンで飛びまわるのが好きなアマンダやギリアムの代わりに、事務作業のすべてを妻と一緒に切り盛りしている。現在は事務所の3階をリフォームし、新居として住んでいた。クリスはここに来た初日に挨拶を済ませている。

「いちばんおかしいのは、その荷物をX線検査装置に通しても、中身がまるで見えないんだ」
「……装置の故障とか?」
「装置はこのあいだ買い換えたばかりなんだ。万が一にも故障はない。――ほら、この箱だよ」

 アマンダの視線の先、貨物室の隅にそれはあった。
 縦1メートル50センチ、横幅80センチメートル、高さ70センチメートルほどの木箱。どこから見ても、なんの変哲もないただの木箱だ。
 
「さて、ギリアム・レビンソン容疑者。知ってることすべてしゃべってもらうからね。貴様に黙秘権など存在しない!」
「そんな横暴な!? 弁護士を呼んでくれっ――レ、レオナルドっ、なにがおかしいんだっ!? ――お、おおアルマ、おまえだけが頼りなんだ。助けてくれ!」
「お父さん、隠し事はいけないと思います。クリスさんもそう思うよね?」
「え……ええ。まあ」
  
 アマンダの瞳が、危うい光を宿した。
 
「――じゃあ、久方ぶりに本気の実力行使といくかい」
 
 言うと同時にポキポキと拳を鳴らす。
 ギリアムの足が正座しながら震え出した。同時に、刑の執行が目前迫った死刑囚のような表情を浮かべる。

「ま、まままままま待てっ! 話せばわかる!」
「あたしはやなんだよ? でもあんたがしゃべらないから……いい歳して隠し事なんかして、来たばかりのクリスに醜態を晒して、情けないったらありゃしないね」
「うぐっ」
「天国のレイリアが見ていたらなんて思うか」
「レ、レイリアのことは言うなよぉ……っ」

 声に泣きが混じっている。やがて、観念したギリアムが語り出した。
 この木箱は会社の手続きを通さず、ギリアム個人で引き受けた荷物らしい。2週間ほど前、地元のバーで偶然知り合った人物から依頼され、指定日の配達になるよう秘密裏に手配していたもの。また、「輸送の記録がどこにも残らないようにしてほしい」とも頼まれたそうだ。昨日のうちにそっとここに運び込んでいたが、目聡いアマンダにばれてしまったらしい。 
 
「中身はなんだい?」 
「……き、聞いてない」
「はぁっ!? あんた、取り扱う荷物に関しては本家から口酸っぱく注意されているだろう!」

 本家とは、国営の運輸局のことである。フォンエルディア国内のあらゆる運輸業を厳しく管轄するほか、税金で荷物や郵便物の輸送事業を行っている特殊法人。しかし料金は高い、規約が細かくて融通が利かない、届くまで時間がかかりすぎるなどと、うるさく言ってくるわりには役に立たないと悪名高い。〈アーク・レビンソン〉をはじめとする個人運輸業が、国内で隆盛なのはそのような背景がある。
 
「最近だって、どこかのホテルが爆破されて何百人も死んだだろう!」

 そのニュースはクリスも見た。

「レイリアやクリスのおかげで、ステラ・レーギアだったか? そんな悪党どもは退治された。けどな、それでも悪いやつらはいるところにいるんだよ!」  
「だ、だってよぉ! 金払いがよかったんだから仕方ねえだろぉっ! ……そ、そもそも、あーだこーだ理由をつけて俺の小遣い減らしやがって、この鬼嫁! 緊縮財政!」
「やばい物だったらどうするつもりだい! あんた社長だろっ! 会社潰して、社員を路頭に迷わせる気か! アレックスのところには、もうすぐ子どもが生まれるんだぞ!」

 アレックスの妻は妊娠していた。まもなく臨月に入るそうだ。レイリアの葬儀が行われた直後に妊娠が判明し、レビンソン一家は哀しみと喜びを一度に味わった。

「だいたい、あんたのそういういい加減なところが、レオナルドにも遺伝してるんだよ!」
「こいつのいい加減さは突然変異だ! 俺のせいじゃねえ!」

 ちょっと待てやと、流れ弾を喰らったレオナルドも参戦。貨物室が一気に騒がしくなる。クリスがあいだに入って止めようとするが、とりつく島もない。
 つんつんと服の袖を引っ張られ、クリスは振り返った。

「……ごめんね、クリスさん」
「アルマはその……いつも大変ね」
「大丈夫です。もう慣れてるから……慣れちゃったの」

 11歳にしては悟りきった表情だった。
 そのときクリスは、例の木箱の前へいつの間にか移動していた惺に気づく。

「どうしたの?」

 惺はゆっくりとクリスに向き、首を横に振った。
 どういう意味なのかわからない。しかし、なんとなくあまりいい意味ではないように感じられた。
 クリスは言い争いを続ける3人に向く。

「あの! 落ち着いてください! ほかに箱の中身を調べる方法はないんですか?」

 怒りの矛を収めたアマンダが答える。

「ないね。X線検査装置は最新式で、ほかにも赤外線だとか放射線? そういういろんな検査も行えるんだよ。全部やってだめだった」
「箱を暴くのは?」

 ギリアムが突然いきり立った。

「それだけはだめだっ! 俺たち個人輸送業のあいだで、クライアントの荷物を勝手に暴くなんて、いちばんやっちゃいけねえことなんだ! それをやったら廃業だっ!」
「で、でも、もしも危険物だったら――」
「だ、大丈夫だ。さすがの俺にも矜恃がある。クライアントも法に引っかかる物だとは言ってない。それにクライアントは銀行員で、かなり人がよさそうだった! そ、それに俺の勘だとそれは危険物じゃない……だから大丈夫……た、たぶん……きっと…………おそらく?」

 見ていてかわいそうになってきた。 
 ぎりっ、とアマンダは唇を噛む。

「キャンセルだ。クライアントに依頼しろ」

 ギリアムは首を横に振った。

「用があるときはこちらから連絡するって言われて、あっちの連絡先は知らされてないんだ」
「そんな馬鹿な話があるか! そんなのどう考えてもやばい物じゃないかっ! こんなやばい案件、いくらで引き受けたんだ?」
 
 ギリアムは目を逸らした。だがその先にアルマがいて、彼女は父を哀しそうな目で見つめる。再び観念し、がっくりとうなだれたギリアムがちょいちょいと指を動かし、アマンダを呼ぶ。やれやれといった表情をしながら、アマンダはギリアムに耳を寄せた。
 
「はぁっ!?」
 
 耳打ちされたとたん、アマンダが大きく驚いた。
 
「な、なんだその金額は!? 法外なんてレベルじゃないだろ! こんな木箱ひとつで!?」
「だ、だろ? びっくりするだろ? 俺も最初に金額聞いたとき、ションベンちびるほど驚いちまって……しかも冗談半分で引き受けた直後、先払いで全額振り込まれたんだ。俺のへそくり口座を確認したとき、こりゃもう大きなほうも漏らすんじゃないかと――」

 アルマの視線が「ばっちいからやめて」と訴えてきたので、ギリアムは黙る。

「アマンダさん、もう警察かシディアスに引き取ってもらったほうがいいのでは? シディアスならわたしから連絡できますけど」
「それがいちばん安全だろうが、振り込まれた金はどうする? 連絡先がわからないんじゃ突っ返しようがない。ギリアム、配達先はどこだ?」
「地点指定だ。エクスウォードの外れあたりで引き渡すことになってる……ああ、クリスに説明するとだな、うちら個人輸送業は、本家じゃできないそういう細かい仕事も請け負ってるんだよ。住所なんて誰も知らない僻地の開発現場とかな。最近じゃめずらしいが」

 しばらく思考をめぐらせたアマンダが、やがて決断した。

「仕方ないね。依頼は最後まで引き受けよう。元シディアスの騎士がいるんだ。多少の荒事になっても問題ないだろう?」
「……ええ、まあ」

 木箱が途中で爆発したらさすがにどうしようもないが、それは言わないことにした。

「ただし、配達先でクライアントの連絡先や素性を聞き取って、必要経費をさっ引いたぶんの金は返す。そして二度とそこからの依頼は受けない」
「お、おう」
「あと、あんたのへそくり口座の中身は、この際だからすべて没収する。異論は認めない」
 
 ギリアムは断末魔をあげながら、その場に倒れ込んだ。

◇     ◇     ◇

  
 すべての準備を終えたアーク・レビンソンが空へと飛び立つ。
 ぐんぐんと上昇していくが、機内に振動や音はほとんど伝わってこない。  
 ブリッジの操縦席にはギリアムが座っている。その隣の副操縦席にはレオナルドが座っていた。彼は操縦士見習いで、父のもとで修行中の身だ。
 クリスとアルマ、そして惺は窓際の席に並んで座っている。
 
「ねえアルマ、そういえば学校はいいの? 今日平日だけど」
 
 話を聞くと、アルマは普段からこのアーク・レビンソンに乗り込み、手伝いをしているらしい。特に食事当番はほぼ専任で任されているそうだ。
  
「インターネットの通信教育で、空いた時間に勉強してるんです。でも、たまに学校にも行ってるよ」
「あたしはふつーに学校に通ってほしいんだがねぇ」
 
 ブリッジのほぼ中央にある席に座っていたアマンダが、苦笑しながら口を開いた。
 アルマが頬を膨らませる。
 
「だって、お母さんとお父さんだけじゃ心配なんだもん! すぐけんかするし、レオナルドは頼りにならないし」

 クリスはすんなりと納得した。 
 歳の離れた妹から頼りない発言されて、「悪かったな」とレオナルドは毒づき、ギリアムはげらげら笑う。彼のへそくり口座は本当に没収されたようで、もはや無理やり笑うしかないのかもしれないが。
 そのとき、機械音声が規定の高度に達したと告げる。続いてギリアムが「シートベルトは外していいぞ」と言った。
 
「クリスさん、お部屋に行こう!」

 シートベルトを外したアルマがぴょこんと立ち上がり、クリスと惺の手を引っ張る。 
 こうして、クリスの新しい生活が始まった。


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