6-7

 赤黒い閃光が奔る。
 ウォーサイスの重い一撃が、クリスに迫っていた。直ちにセイント・ヴァルステンを〈マテリアライズ〉で顕現。それを受ける。
 
「ぐっ――!」
 
 車が突っ込んできたような衝撃が伝わり、クリスの表情が歪んだ。
 アヌビスの攻撃は続く。大ぶりな攻撃だが鋭く、隙はまったくない。クリスに反撃をする余裕はなく、攻撃をさばくのに必死だった。

 ――蒼一がいないこのタイミングで……っ!

 彼とはいま一時的に別行動をとっていた。このテーマパークからそれほど離れていない、シディアス総本部に顔を出している。そろそろ合流する予定だったが、まだ到着してなかった。
 休日のテーマパークなどという、人の多い場所にアヌビスのような暗殺者が出てくるとは考えにくい。以前ショッピングモールへ行ったときも蒼一はいなかったが、なにも問題なかった。だから今回も大丈夫だろうと、どこかでそう考えていた。
 しかし、甘かった。
 油断が慢心が生じさせていたことに、クリスは全力で後悔する。

《月並みな台詞で悪いけどね――》

 しばしの応酬のあと、アヌビスは後ろに跳んで距離をとった。その動きは羽毛のように軽やかで、重力を感じさせない。
 
《――抵抗するなら容赦しないわよ》

「セイラは渡さない!」

《あんたを殺して、遺体をバラバラにしてお父さんに送りつけてもいいのよ。……あら、それ妙案ね。ユーベル・レオンハルトの泣き顔を拝めるのかしら》
 
 うふふ、と不敵に微笑むアヌビス。
 絶句しているのはクリスだけではない。この空間にいるほぼすべての人々は、状況にまるで理解が及ばず言葉を失っていた。離れたところでアルマは床にぺたんと座り込み震えている。惺はそんなアルマを守るように抱きしめていた。
 恐怖は限界を突破していて、もはや誰も悲鳴すらあげられない。

 ――クリスの背後で、銃声が響いた。

 弾丸はまっすぐ、アヌビスの心臓への軌跡を描いている。
 しかしアヌビスの数十センチ手前で、見えない壁に阻まれたように弾丸が止まった。
 アヌビスが銃声のしたほうを見ると、セイラが銀色に輝く50口径の拳銃を構えていた。
 
《育ての親に銃を向けるって、反抗期にもほどがあるわよ!》
 
 彼女の瞳には、明らかな反抗の意志が宿っている。
 
《――――。凪の海のような無感情な瞳があなたの魅力だったのに。なにその反抗的な目は。いっちょ前に感情なんか宿して――》
  
 クリスの視界から、アヌビスが一瞬で消える。

「セイラ! 逃げて!」
 
 クリスがそう叫んだ瞬間にはもう、アヌビスはセイラの目の前にいた。セイラは微動だにできない。
 アヌビスの漆黒の手がセイラの頭の上に置かれる。その瞬間、彼女の体が震えた。
 
《……蒼一の仕業か。アタシが作り出した最高傑作をぐちゃぐちゃにしてくれちゃって。だいたいセイラってなによ。ま、まさか家族ごっこ? アタシのいちばん嫌いな偽善!? やめてよね。反吐が出ちゃう》
 
 頭の上に置いていた手を、セイラの首に移動させる。そして、首を絞めながら華奢な体を持ちあげた。
 
「――っ、――っっ!?」
 
 苦しそうに顔を歪ませるセイラ。全力で暴れるが、アヌビスの膂力があまりにも強大で振りほどけない。
 なにかに気づいたアヌビスが振り返る。
 全身から怒気を放つクリスが接近していた。セイント・ヴァルステンを振り抜き、青白い閃光が奔る。久方ぶりに使用した〈マーシャル・フォース〉だが、クリスの動きにブランクは感じさせない。
 
《……懲りないわねぇ、あなたも》
    
「セイラからっ――離れて!」

《育ての親が子どもを殺して、なにが悪いの?》

「――っ!? こ、子どもの首を絞め殺す親なんていないっ!」

《これだから箱入り娘は。ちょっとは現実を見なさいって》

 アヌビスは片手で巨大なウォーサイスを操り、クリスの斬撃を巧みにさばく。手首の最低限の動きだけで、変幻自在な剣術を寄せつけもしない。〈マーシャル・フォース〉で強化している斬撃でも、アヌビスには通用しなかった。
 それでも、クリスは攻撃を止めない。
 剣の連撃は殺気をまとい、激しい嵐を巻き起こす。クリスは生まれてはじめて、斬撃に殺気を込めていた。
 クリスは物心つく頃から穏やかで優しい性格をしている。人格の根本的なところで争いを好まない。本来、シディアスの騎士には向いてない性分だった。
 それでもいまのクリスは、アヌビスを殺してでも止めたいという覚悟がある。セイラはもう暗殺者に戻るべきではない。あの子はいま暗澹たる過去を乗り越え、光り輝く美来へ向かって進もうとしている最中だ。
 たとえ自分の手が再び血で染まってもいい。セイラを見捨てるわけにはいかない。
  
「はああぁぁぁっ――!」
 
 裂帛の気合いに覚悟と信念と矜恃――あらゆる感情を込める。それと呼応するように、クリスの昂ぶる感情が、一瞬でエネルギーに変換される。
 直後、セイント・ヴァルステンが激しい光を発した。
 なによりもクリスを動かす激情があった。

「――あなたは――レイリアのかたきっっっ!」

 暗黒をすべて呑み込む凄まじい閃光が、アヌビスへ襲いかかる。

 
 しかし――届かなかった。

 
 大きく見開かれたクリスの空色の瞳。そこには、人差し指と中指だけでセイント・ヴァルステンの切っ先を受け止めるアヌビスの姿が映っていた。
 クリスの攻撃を受け止めたのは、セイラを締めあげていたほうの手だった。セイラは半分気を失ったまま、床に転がっている。
 クリスが無意識のうちにアヌビスから離れようとする。が、アヌビスの指に挟まれたセイント・ヴァルステンはびくともしない。
 絶望するクリスに向かって、アヌビスがウォーサイスを振るう。漆黒の刃とは逆の石突の部分が、クリスのみぞおちに炸裂した。
 
「かは――っ!?」
 
 その衝撃でクリスの体が浮き、勢いよく吹っ飛ばされる。すぐには起き上がれない。強烈な痛みが呼吸困難を呼び起こし、視界に閃光が散る。
 クリスの顔に影が差す。見上げると、絶望という名の暗黒が自分を睥睨していた。

《レイリアって誰よ?》

「――――っっっ!?」

《変な言いがかりはよして。あとね、シルバーワンみたいな出来損ないのおもちゃ、欲しければくれてやるわ。もう興味なーい》

「あ――あなたはどこまでっ――!?」 

《だいたい、あなたは勘違いしている。アタシがここに来た目的は、シルバーワンじゃないの――》

「え――?」

 その瞬間、クリスの瞳に影が横切る。影の正体に気づいたとき、クリスは背筋が凍った。

「だめっ!? お願い逃げてっ!」

 アヌビスの漆黒の体に、惺が飛びついていた。いまだかつてないほど、彼の表情に「感情」が浮かんでいる。
 あまりにも悲壮な表情だった。
 
《うふふ。こんにちは。久しぶりねぇ》

 惺の首根っこをつかみ、まるで犬猫の仔のように軽々しく持ちあげた。暴れる惺。しかし仮面の「瞳」にじぃっと見つめられ、すぐにおとなしくなる。
 なんとか力を振り絞り、膝立ちになったクリスがアヌビスに険しい視線を投げる。
 
「惺を離して!」
 
 意外にもアヌビスはクリスの言ったとおりにした。魔の手から解放された惺が、地面に降り立つ。
 しかし惺は凍りついて動けない。まるで金縛りにあっているかのように、微動だにせずアヌビスを見上げていた。
 
《真城惺くん。この空間にいる人間、皆殺しにしていーい?》
 
 惺は震えながら首を横に振った。
 
《嫌でしょう? でも、アタシにはそれ、簡単にできるの。まずはそこの金髪のお姉さんを殺す。次にシルバーワン――あの子の首をはねる。その次は、あそこにしゃがみ込んでいる赤い髪の女の子――なんかどこかで見たことある顔ねえ……? ――あの子の体を真っ二つにする。あとはまあ、面倒だから星術でこのテーマパークごと吹っ飛ばしてやろうかしら》

 惺は勢いよく首を横に振った。
 
《アタシもね、無垢な命を奪う趣味はないの。だから、あなたに選択肢をあげるわ――》
 
 アヌビスがしゃがみ込み、惺の顔に仮面を近づける。
 
《アタシについてきなさい、惺》

 ふふ、っと小さく不敵に嗤ったあと、アヌビスは続けた。
 
《そうしたら、誰も殺さないであげる。本当よ。アタシ、冗談は言うけど嘘は言わないの――アタシの目的は、最初からあ・な・た》
 
 惺の震えが止まった。そして恐る恐る周囲を見渡す。
 離れた場所で、セイラが気を失って倒れている。アルマは涙で顔をくしゃくしゃにしながら惺を見つめている。名前も知らない大勢の人々の表情にも、絶望と恐怖がありありと浮かんでいた。

「惺っ!?」
 
 膝立ちのクリスが叫ぶ。が、悲痛な声は惺に届かない。
      
《さあ――どうする?》
 
 惺は頭を抱え、心の底から悶えた。
 やがて、ゆっくりと顔を上げた惺の顔には、決死の覚悟が宿っていた。
 小さくうなずく惺を見て、アヌビスは嗤う。
 
《いい子ね、惺。あなたのこと気に入ったわ》

 アヌビスがセイラに向く。聞こえているかどうかわからないまま、異形の存在は「声」を投げかけた。
 
《あなたのことはもうどうでもいい。好きに生きなさい。もちろん、どこかで野垂れ死んでもぜーんぜん構わない》
 
 クリスが動いた。全力を振り絞り、神速でセイント・ヴァルステンを振り抜――
 ――それよりもさらに速く、アヌビスが動いていた。
 一瞬で接近していたアヌビスの拳が、クリスの腹に炸裂していた。技術もなにもない、ただ無造作に殴っただけ。
 それなのに、クリスの意識の大部分が持っていかれる。彼女の体は再び冷たい床に沈んだ。
 
「あ……あき……ら……」

《安心しなさい。あなたの代わりに、この子はアタシが面倒を見てあげる――あの子――最後に――だからあなたは、生かして――――》
 
 アヌビスの声が遠ざかっていく。
 薄れゆく意識が惺の表情をとらえた。無表情ではない。哀しい表情でクリスを見つめている。
 そして最後、クリスが意識を失う直前に届いた声。
       
《――この子に、世界のすべてを教えてあげる――あは――あはははははははははっっっっ!》

 クリスの意識は、そこで途絶えた。

◇     ◇     ◇

 
 自らの名を呼ぶ優しい声が聞こえ、クリスは目を覚ました。真っ先に視界に飛び込んできたのが、淡い亜麻色の髪と精悍な顔立ち。
 ぼんやりとしていた輪郭が一瞬で実像を結んだ。

「そ――蒼――一?」

 床に寝そべっていたクリスを、蒼一が抱きかかえている。
 場所は変わらず、テーマパークの施設の中。ガラスを失った天井が、蒼穹を切りとっていた。体感的にも現実的にも、あの恐るべき出来事からあまり時間は経ってないらしい。
 蒼一の鳶色の瞳はあまりに深く、哀しげな光をたたえていて、すべてを知悉していると雄弁に物語っていた。

「遅くなってすまない。大丈夫か?」
「ぅ――ぅぁ――っ」

 親友を亡くしたときにすべて流しきったと思っていた涙が、言葉よりも先にあふれてくる。

「ごめんなさい……っ……わたし、守れなかった……っ!」
「クリスのせいじゃない。アヌビスの行動を読み切れなかったわたしの責任だ」
「でも――っ」

 蒼一はクリスを抱きしめた。

「怪我人はいるが死者は出てない。アヌビスがなにを考えているのかわからないが、あいつが出てきて死人が出なかったことは、いままでなかった。それだけは僥倖と言える。セイラもアルマちゃんも無事だよ」

 それらの事実は気休めにもならない。
 惺はもういない。
 蒼一の腕の中で、クリスはいつまでも慟哭していた。


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