7-2

《あなたにこれあげるわ》

 アヌビスが差し出してきたのは、ひと振りの刀剣だった。
 漆めいた赤黒い拵え。反りのある日本刀のように見えるが、西洋風の意匠が強かった。短刀と呼ぶには長く、長刀と呼ぶには短い。

《日本の小太刀を意識して、アタシが拵えたの。いまのあなたにぴったりなサイズでしょう。銘は「カラド・ヴェイヌス」。フォンエルディアの古い言葉で、「迷い鳥」という意味よ》

 惺はカラド・ヴェイヌスを受け取り、鞘から抜いた。
 黒光りする刀身が、惺の濁った瞳を映している。

《武術の鍛錬は始めたばかりだったかしら。アタシがちゃんと引き継いであげるから、心配しないでいいわよ。大丈夫、あなたは間違いなく天稟の持ち主だから》

 仮面を惺の顔に近づける。

《シルバーワンなんか足もとに及ばない――に育ててあげるわ》

◇     ◇     ◇

 
 細かい粉塵が風に舞っている。
 戦乱続く中東某国の全景を、惺とアヌビスが「遥かなる高み」から見下ろしていた。

《このあたりは昔から宗教対立が激しくてね。何十年も前からずぅ~っと争ってるの。あのシディアスがさじを投げるくらい延々とね。あはは、ほんと馬鹿よねぇ!》

 乾いた空気に、アヌビスの乾いた嗤いが溶ける。
 惺は無言で、じっと足もとを見つめていた。
 戦車の砲弾が家屋を破壊し、地対空ミサイルがすぐそばをかすめる。銃声が響くたびに誰かの悲鳴が轟いた。それが足もとの至るところで繰り返されており、陰惨で救いようのない光景を作りあげている。
 惺は宙に浮かんでいた。地上から数十メートル離れた空中で、眼下に無感情の視線を向けている。空を見上げれば誰かが気づきそうなものだが、宙に浮かんでいるふたりのことを地上の人間たちは知るよしもない。
 惺の視線が、隣にいるアヌビスに向かう。濁りつつある瞳に、一抹の憂いが秘められていた。

《なんで争いがやめられないのかって? さあねえ……アタシもずいぶん長く世界を見てきたけど、それだけはわからないの。わかっているのは、人間は想像以上に愚かだってことね》

 惺にとっての世界はぬくもりに満ちていて、とても優しかった。クリスやアルマやセイラ。そして蒼一や悠の顔が浮かぶ。

《そういう一面があるのは認めましょう。でもね、母国のクズどもを思い出して。やっぱり大多数の人間は醜くて愚かで残虐極まりなくて、それに彩られた世界は徹底的根本的に不幸なのよ》

 違う。
 違う――はず。

《違わない。目を背けないで直視しなさい。この世がどんな絶望に満たされているか。ぬくもりや優しさなんてものがいかに薄っぺらくて頼りないものなのか。これから見せてあげるわ――》

 ふと気づいたら、惺はまるで別の場所に移動していた。手に持っていたはずのカラド・ヴェイヌスもどこかに消えている。
 崩れかかった壁や天井が見える。どこかの室内で、照明はついてなく薄暗い。
 室内にいたのは惺だけではなかった。子どもたち数人が、部屋の隅で固まっている。5歳から13歳くらいまでの男女。彼らは唐突に「出現」した惺を見て驚愕し、なにか小声でしゃべり出す。
 惺はこの国の言葉を理解できないが、その「感情」を読んだ。
 ――恐怖心。
 やがて部屋の外から足音が近づいてきた。子どもたちが身を縮こまらせる。恐怖心がさらに強まる。
 ドアが勢いよく開いた。武装した大人の男がひとり、室内に入ってくる。彼は惺や子どもたちに、サブマシンガンの銃口と一緒に冷酷な視線を向けた。

「こんなところに隠れていたか。――おい、入ってこい」

 うながされ、もうひとりの人物が入ってくる。14か15歳ほどに見える、くりっとした瞳が特徴的な少年。彼も武装していた。拳銃を握っており、冷めた瞳で室内を見る。
 最初に入ってきた男性が鋭い口調で言う。

「全員殺せ」

 少年は電撃が走ったように体をすくませたあと、男性を見た。

「こいつらは将来、敵の兵士になる恐れがある。成長したこいつらに仲間が殺されてもいいのか? 家族を殺された恨みを思い出せ!」

 ぐっ――と息を殺す少年。
 彼は少年兵だった。家族を目の前で殺され、強い復讐心と揺るがない信念を育みつつ兵士に志願。厳しい訓練を経て、今回初陣に立った。大人の男のほうは教育係で、いわば最後の試練を少年に課している。
 部屋に隠れていたのは、敵対する派閥に属する子どもたちだった。彼らを殺すことができれば、少年兵はやっと一人前として認められる。
 もっとも近くにいた惺に、少年は銃口を向けた。惺はこの国の人間ではないが、少年や教育係の男に気づく様子はない。
 ――しかし、引き金は引かれなかった。
 少年は苦悶に満ちた表情で銃口を降ろす。自分の弟のような年齢の子を殺す。一線を越えることが、少年にはどうしてもできなかった。

「なぜ殺さないんだ!?」

 男性の拳が少年の頭を打った。衝撃で少年の体が転がる。

「時間がないんだ! ――もういい。俺がやる」

 一歩下がり、サブマシンガンを構えた。
 どくん、と。惺の心臓が鼓動を強める。目の前にあるのは確実な死。

 ――なぜこの男に殺されなくてはいけない?

 一瞬のうちにどれだけ考えても、理由など見つからない。

 ――逃げる?

 逃げ場はない。それに、たとえ自分が逃げたとしても、ほかの子どもたちはきっと殺されてしまう。
 惺に彼らを助ける道理も庇う理由もない。でも見捨てることなどできない。どうすればいい?
 惺の中で、いままで知らなかった様々な感情が激流となっていく。
 そして、はじめて生まれる激情が「激怒」だと知った。

「な――っ!?」

 驚愕で見開かれた男性の目に、まばゆい光の粒子が映る。
 物質顕現星術〈マテリアライズ〉――翠碧色の光の粒子が無数に惺の左手周辺に集まり、相反するような色合いの刀剣へと姿を変える。

「な、なんだ貴様は!?」

 常識の埒外にある出来事に慌てながらも、男性は引き金に指をかける。
 ――それが引かれるよりも速く、惺はカラド・ヴェイヌスを抜いた。抜いた勢いを乗せながら刃を奔らせる。惺の動作に躊躇はなく、瞳は瞋恚の炎をたたえていた。
 きょとんとする男性。彼にはなにが起きたのかわからなかった。

 
 だから、サブマシンガンを持っていた自分の両腕がばっさりと切断されていることに気づくまで、数瞬の時間を要した。

「――ぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああっ!?」

 絶叫と一緒に大量の血液をまき散らす。ただでさえ薄汚れていた床に、生臭い血の海が広がっていく。
 凄絶な光景に声を失っている子どもたち。少年兵の彼も、瞳に涙と恐怖を浮かべていた。
 いちばん驚いていたのは惺だった。カラド・ヴェイヌスを握る手が震えている。
 人を傷つけてしまったという単純明快な事実だけが、数秒のタイムラグを経て惺に襲いかかってくる。
 そのとき、唐突に。

《――とどめを刺しなさい、惺》

 アヌビスの「声」だけが、惺の脳内に響いてくる。

《その男は放っておいてもきっと出血多量で死ぬわ。想像を絶する苦痛の果てにね。だったら、いまあなたが、彼の息の根を止めてあげることがせめてもの情けじゃないかしら》

 殺すことが情け? 惺は震えながら膝をついた。カラド・ヴェイヌスを握っている手から力が抜ける。
 それからしばらく、惺は動けなかった。
 惺だけでなく、この場にいる全員の時間が止まっていた。

《……まあ、初陣にしては上出来か》

 強い眠気を感じた矢先、惺の意識は沈む。だから次の瞬間にこの場にアヌビスが現れたことを、惺は知らなかった。

《はぁーい。こんにちは》

 陽気な挨拶に答える者など、この場に存在するはずがなかった。
 おそらく死神そのものにしか見えないのだろう。子どもたちも少年兵も両腕を切断された男性もみな、あらゆる思考が停止する。
 絶望と失望と恐怖だけが、この場を支配した。

◇     ◇     ◇

 
 数時間後。夜空を背景に、惺とアヌビスが再び浮かんでいる。

《さあ惺。もっと世界を見てまわりましょう! 探せばもっと美しい世界が見られるわよ》

 惺はなんの反応も返さなかった。眼下に広がる荒涼とした大地に、無感動な眼差しを向けるのみ。

 
 惺にとって長いのか短いのかわからないまま、時間は無情にも過ぎ去っていく。

 惺は世界をまわった。
 中南米における麻薬戦争で、巻き込まれて血を流す市民からの怨嗟と憤怒を感じた。
 東南アジア諸国の地域紛争で、理不尽な死をいくつも見た。
 アフリカ某国の内戦では大量破壊兵器が使用され、地獄を垣間見た。対立する勢力が両方とも壊滅的な被害に見舞われ、もはや誰が勝って負けているのかわからない様相となった。

 やがて惺は世界の――人間の業を識る。
 クリスと蒼一がシディアスの騎士だったことは知っている。それは正義の味方――世界の守護者だと、どこかで聞いたことがあった。そんなのが存在するのに、この惨状はなんのか。

 ――なんの役にも立ってないじゃないか。
 
 打ちひしがれた惺を見て嗤うのは、アヌビスただひとりだった。


この記事が気に入ったら
フォローしてね!