惺が連れ去られてから、2ヶ月が過ぎ去ろうとしていた。すでに11月に入っており、南半球のフォンエルディアでは春の陽気さに包まれている。
 クリスは実家に身を置いていた。フォンエルディアの首都エルドラード。その郊外にクリスの実家はある。小高い丘の上に広大な敷地が広がり、森や池や花壇や畑などを抜けた先に、2階建ての豪邸が鎮座している。
 2階の外れにある客室。窓際に蒼一が立ち、スマートフォンで通話している。クリスとセイラは向かい合わせでソファに座っていた。セイラは無言のまま、抱きしめているアノマロカリスのぬいぐるみと見つめ合っていた。
 春の夜風が窓から差し込んできていても、クリスたちの表情は晴れない。
 シディアスによる南極大陸の調査は不発に終わっていた。1ヶ月をかけて大陸全土をくまなく探しても、パワードトルーパーたちの消息はわからないまま。
 そして惺もいまだに見つからない。
 やがて通話を終えた蒼一が、ソファに座っているクリスを見る。神妙な面持ちをしていることに、クリスは思わず身構える。

「ヴィクター研究所に異変があったらしい」
「異変ですか? あそこはずっとシディアスの管理下に置かれてましたよね?」

 3年前のあの出来事後、研究所を爆破して完全に消滅させようという案も出てきていたらしい。だがそれは断念された。理由は簡単。爆破するにはあまりにも規模が大きすぎたためだ。そのため誰も踏み込むことがないよう、シディアスが厳重に管理するしか選択肢がなかった。

「研究所に突然踏み込めなくなったらしい。扉がなんらかの原因で封印されて、びくともしないそうだ。物理的な施錠ではなく、星術的なものだと報告があった」
「どうして急に……?」
「それから、惺と思われる目撃情報がちらほら出てきた」

 驚くクリスに、蒼一が目撃情報の場所を伝える。

「か、海外ですか!?」
「ああ。どうやらきな臭い地域をアヌビスと一緒にまわっているらしいな」
「どうしてそんなっ」
「喜ばしい状況じゃないのは明らかだ。アヌビスが本気だったら、目撃情報など出てくるわけがない。研究所の件も含めて、それがこのタイミングで出てきているということは――」
「……罠?」
「その可能性は高い。わたしに対する罠なのは間違いないだろうが……しかし」

 蒼一はテーブルの上に置かれていた、惺のスケッチブックを手に取った。
 最後の絵は、アルマの誕生日を祝ったパーティーが描かれていた。テーブルを囲み、幸せで楽しそうな表情を浮かべるアルマ。セイラは仏頂面だが、料理を見つめる瞳は光り輝いている。レビンソン一家の面々は、優しい眼差しを家族に向けていた。
 幸福に満ちた空間を、鮮やかで精緻な筆致で切りとっている。色はないが、以前の絵のように黒く塗りつぶされることはなかった。

「惺は五感を失っているが、人の感情に対する感受性が異常に強い。よくも悪くも感化されやすいんだ。早く見つけ出さないと」

 これまで蒼一やクリスが一緒に見せていた世界が「光」だとすると、アヌビスがいま見せているのはいわば世界の「闇」。

「クリス、わたしはただちに南極へ向かう。おそらく惺はあそこにいる」
「わたしも行きます!」

 蒼一は静かに首を横に振った。
 
「これから先は危険だ。この家でセイラと一緒におとなしくしていてほしい」

 名前を呼ばれたからか、いままで黙って聞いていたセイラも顔を上げる。
 クリスは立ち上がった。

「嫌です!」
「クリス……」
「この期に及んで、わたしが投げ出すとでも?」
「しかし」
「わたしは惺を守れなかった。だから、あの子を救い出す義務があるんです! セイラだけでも――」
「嫌」

 言い切るセイラの瞳には、強い決意が宿っている。

「セ、セイラ?」
「わたしも最後まで付き合う」

 セイラはぬいぐるみを抱きながら立ち上がり、蒼一のもとへ歩み寄った。

「アヌビスは強い。それはわたしがいちばよく知っている。……蒼一は、あいつよりも強い?」
「いや……実力は互角といったところだ。あとは運と状況次第だな」
「それなら、なおさら戦力が必要なはず。わたしはもう、誰かを殺すために銃を使うことはしない。……自首するのは、すべて終わってからにする」

 クリスがセイラの背後に立ち、彼女の肩に手を置いた。

「ありがとうセイラ。ねえ、蒼一――」

 クリスもセイラも真摯な眼差しで蒼一を見つめる。アノマロカリスのつぶらな瞳も、蒼一になにか訴えかけているようだった。
 やがて蒼一は、観念したように大きく息を吐いた。


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