第二章 03

 気がつくと、一限目の授業はいつの間にか終わっていた。
 
『どうして……ピアノを捨てたの?』
 
 アヤセユイという女子生徒の言葉が、頭の中から離れない。まるで呪いの呪文のように、思考の隅から隅までを埋め尽くしている。
 その事実を初対面の彼女が知るはずがない。ありえない。でも、そのありえない現実を俺は目の当たりにした。
 なぜだ。どうして彼女は俺の――他人にもっとも触れられたくない真実を知っている?
 F組へ行って、直接彼女から問い質してみるか。
 ……いや、それはよそう。
 俺はまだ、彼女が何者なのか知らない。彼女は俺のことを知っているような素振りだったけど、俺が持っている彼女についての情報は、目下のところ名前しか持ち合わせていない。
 まずは情報収集が必要、という結論に至った。
 ……それなら、あいつの協力が必要か。
 ポケットから携帯を取り出した。携帯を自分から使うのはあまり好きではないが、あいつと直接会うためにF組へ行くと、例のアヤセユイと鉢合わせする可能性がある。そうなると気まずいから、現代文明の恩恵を甘んじて受けることにした。
 
《アヤセユイって女子、おまえのクラスにいるか?》
 
 明瞭簡単に、用件だけを書いてあいつに送った。しばらく待っていると携帯が震える。予想どおり二分もかからず、即行での返信。
 
《きみからメールなんてめずらしいね。綾瀬由衣さんは、昨日うちのクラスに転校してきた子だよ。なんとびっくり。イタリアからの帰国子女だってさ。……ところで、どうしてそんなこと聞くんだい?》
 
 綾瀬由衣という字を書くらしい。それに転校――イタリア――帰国子女――いろいろと気になるキーワードが多い。帰国子女なんて、どこの学校でもそれなりにめずらしい。しかも、五月も半分が過ぎたこの時期に転校というのも、どこかおかしな話だ。
 
《ちらっと見かけてすげーかわいい子だったから、俺の手篭めにしようと画策してる。教えてくれてありがとう。……あ、別に彼女のことをもっと知りたいとか、至って全然まったく綺麗さっぱり考えていないからな。別に調べてくれなくてもいいぞ。それじゃ》
 
 自分の笑えない冗談に苦笑しそうになる。
 すぐに返信があった。
 
《……(絶句)。が、がんばってね》
 
 白々しい反応だ。あいつのほくそ笑んでいる姿が目に浮かぶ。まあ、これは俺に対するあいつなりの冗談だろうから、どっちもどっちだけど。
 狐の化かし合いみたいなことはこれくらいでやめて、あいつがその綾瀬由衣からいろいろと聞き出してくれることを祈ろう。
 綾瀬由衣が、あいつの巧みな話術に引っかかってくれることを、心の底から願った。





光紡ぐ神の旋律 ~ Melodies of Memories ~

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