ホワイトルームへ通じる扉は施錠されていなかった。特殊チタン合金製の頑丈な造りで、グレネードランチャー程度ではびくともしないだろう。
一歩踏み入れると、セイラは思わず足を止めた。異世界の空気が流れ込んでいるような奇妙な違和感。質量を感じさせるほどの膨大な、謎の圧力が襲いかかってくる。
いままで感じたことのない感覚だった。強いて似ているものをあげるなら、高度な星術とその術者と対峙したときの感覚に近い。
止まっていたのはほとんど一瞬。再び歩き出した。
ひんやりとした通路。ホワイトルームという名にふさわしく、白い無機質な壁に覆われている。扉と同じく特殊チタン合金製だ。窓はなく、照明も青白いLEDが等間隔に設置されているだけで、必要最低限だった。
いくつか角を曲がり、階段を降りると、開け放たれた自動ドアが現れる。
強い鉄のにおいを感じた。
血だ。
扉の陰に隠れて、セイラは中の様子をうかがう。もちろん星装銃を構えることも忘れてない。
広い空間。天井は高く、奥行きも幅もある。
黒光りする筐体と、それを囲むようにして連なる機械たち。大小様々なものが積み重なって巨大な機械群を形成し、壁の一面を覆うようにしていた。ほかには、至るところから無数のケーブルが外部に向かって伸びている。
人が死んでいた。
室内に散らばった死体。全部で3体。もはやおなじみとなったテロリストの装束。しかしどれも額や心臓に銃創があることから、自殺とは考えにくかった。
そして、部屋のほぼ中央に生きた人間が立っていた。こちらに背を向け、筐体に設置されたコンソールパネルを操作しているようだ。その人物の傍らには、大型トランクが置いてある。
「やはりねぇ……星核炉そのものよりも、エネルギーを変換する装置がね……大きすぎるよねぇ……」
男の声だった。誰に対してでもなく、ぶつぶつとつぶやいている。まるで緊張感のないトーンに、周囲の惨状がギャップとなって浮かび上がる。
「まあ、もう関係ないけど……ふふ。――ん?」
音もなく忍び寄ったセイラが、背後から星装銃を突きつけた。
「動くな」
「おっと、びっくり。誰だい?」
などと言っているが、まるでびっくりしている様子ではない。むしろ落ち着いている。
「ICISだ。両手を挙げろ」
男は言われたとおりにする。セイラは男が装備していた拳銃やナイフを外し、遠くに放り投げた。
「おかしいな。まだ外部からの突入はないはず。ふむ。ということは、最初から乗客として内部にいたってことか。まあそこまで確認してなかったからねぇ……」
「黙れ。テロリストとおしゃべりする趣味はない」
「そんなこと言わずに。たとえばほら、なんでテロリストどもが自殺したのか気にならないかい?」
セイラが動きを止めたのは一瞬だった。たしかに気になるが、それはいま知ることではない。この男自身もその「テロリストども」に入るはずだが、まるで区別しているような言い方も気になった。
「あとはあれだ。テロリストたちはどうやって侵入したのかとか。武器の持ち込み方法も気になるところだよね。それに、そこで寝そべっている連中だけは自殺じゃなくて他殺なのはどういうことか、とかさ」
頼んでもないのにずっとしゃべっている。この場合必要なのは情報ではなく、ただちに敵を行動不能に陥らせることだ。
「答えを最初に言っちゃうとね、そこの3人を殺したのは僕。ここは船内放送が聞こえないから――がぁっ!?」
男の体がびくんと震える。セイラが星装銃の引き金を引いていた。至近距離からの一撃。致命傷にはならない威力だが、昏倒させるには充分だった。
男は膝からくずおれる。セイラは男のガスマスクと目出し帽を取り除いた。
日本人に見える、平凡な三十代男性の顔がそこにあった。不細工ではないが、整っているわけでもない。印象に残らないタイプの顔立ちだ。
筐体のほうへ目を向ける。筐体のほぼ中央に当たる部分に小型の扉があり、開放されていた。
まさかこれは――と考えた矢先、銃声とともにセイラの頬を弾丸がかすめた。
常人離れした反射能力で飛び退き、星装銃を構えつつ体勢を立て直すと、昏倒させたはずの男が銃口を向けていた。
「実弾ではなくエネルギー弾か。『シュテル・ブラスター』の一種かな?」
言いつつ、再び発砲。
猫のような身体能力で跳躍しつつ弾をかわし、セイラは物陰に隠れた。
「あのねえ。きみはセオリーってものがわかってないね。映画とかではさ、いろいろ情報なり設定なりを聞き出すシーンでしょうに。せっかく僕が自分からしゃべっているのにさ。もったいないなぁ」
こんな状況でどうして貴様に説教されないといけないのかと、セイラは危うく突っ込みそうになった。
星装銃の出力は死なない程度に抑えてあるが、強力なスタンガンほどの威力は備えていたはずだ。大型動物でもしばらくは目覚めないはずだった。小型星核炉に気を取られ油断していたことで、男が動き出すのに気づくのが遅れた。しかしセイラがそのことで自己嫌悪に陥ったのは一瞬。
「こんな場所でなにをしている?」
「んー……宝探し、かな」
「貴様が黒幕か?」
「そうだよ。革命戦線アナなんちゃらは哀れなおとり。彼らには感謝しよう。もっとも、みんな死んじゃったけど。あはは! ――むむ」
笑い出したと思ったら、急に押し黙った。
「ああ、せっかくのところ悪いんだけど、そろそろ僕もおいとましなくちゃ」
「待て。気が変わった。もう少しおしゃべりに付き合ってもいいぞ」
「時間稼ぎのつもりかな? きみは美人さんだし、もったいないけど、もうタイムアップだ。突入されたら厄介だし――」
最後のほうの台詞は、ぶつぶつと独り言のようだった。
男はこちらに拳銃を向けながら、器用にトランクを抱え出入り口に向いた。セイラは星装銃を撃ち込むが、よけつつ拳銃で反撃された。
「じゃあね! もう会いたくないかも!」
そんな台詞を言い残して、駆け出す。セイラの動きを牽制しつつ、すぐに扉の外に消えた。
戦いに慣れている――セイラの率直な感想だ。ふざけた言動に意識が向くが、男は最低限かつ最適の動線で、見事に目的を達成している。頭の回転は速い。ついでに身体能力も高く、隙がない。
「わたしだって会いたくないが、そうはいかないんだ」
つぶやき、男を追う。
ホワイトルームへつながる扉からセイラが出ると、銃弾が飛んできた。難なくかわし、見ると男は遠くの曲がり角へ消える寸前だった。
男が抱えているトランクは、それなりに大きく重量もあるはずだ。にもかかわらず、男の動きは速い。さらにこちらに攻撃してくる余裕もあった。一筋縄ではいかないことを覚悟しながら、セイラは男を追った。
誰もいない、しんとした廊下を駆け抜ける。途中、物言わぬテロリストの死体を何度かまたいだ。
男は船の上階へ向かって逃げているらしかった。明確な目的地があることは、その足取りからして確実だ。
階段を上り、踊り場へ。さらに上には展望ラウンジと、外には展望デッキがある。
ふと、窓の外に飛んでいる影を見た。思いのほか近い。鳥などではなく、明かな人工物。耳をすませば、かすかに聞こえてくるローター音。占拠初日にヘリが撃墜されてから、セレスティアル号の上空付近を飛んでいる機体はなかった。報道ヘリはもちろん、警察のヘリも近づいてない。
となると――
「そういうことか」
納得がいったセイラは階段を大股で上り、ラウンジを抜けて展望デッキに出る。この船でいちばん高い階層に位置していて、横須賀港を一望できた。
ローター音が響いていた。
小型の無人垂直離着陸機、通称「ヴォルテック」と呼ばれる機体だった。それがぎりぎりの高さでホバリングしていた。乗用車ほどのサイズの機体で、両翼にティルトローターが装備されている。遠隔操作が可能であり、災害現場への物資の調達、銃器を搭載すれば戦闘機にもなるなど、世界的に活躍している機体だ。
男が例のトランクを機体下部のアームに取りつけていた。
セイラに気づいた男がサブマシンガンで発砲してくる。物陰に身を隠し、やり過ごした。展望デッキは遮蔽物が多く、身を隠すのに困ることはない。
人を乗せて飛行する設計ではないが、ひとり程度なら乗っても飛行は可能だろう。男がこれに乗って脱出しようとしているのは明白だった。
「きみもしつこいなぁ!」
そう言いつつ、サブマシンガンを発砲してくる。
「気になる男はどこまでも追いかけないと、気がすまないたちなんだ」
セイラも応戦する。
ポイントを変えつつ、セイラはヴォルテックに迫っていった。エネルギー弾と実弾の応酬が続く。
ちょうどいいポイントを見つけ、セイラは男の死角となる場所からヴォルテックを狙った。電子制御で動いている機体に、星装銃のエネルギー弾は効果が高い。
星装銃の出力を上げ、発射。充分な熱量を持つエネルギー弾は、当たれば確実にヴォルテックの電装系をショートさせ、無効化できる。
しかし、エネルギー弾は阻まれた。
見えない障壁に当たるかのごとく霧散。
まさかと思いつつセイラは星装銃を連続で発射。弾切れというものを気にしなくていいから、遠慮はしない。
「――ちっ」
エネルギー弾はすべて弾かれた。やはり見えない障壁が邪魔している。
そして、いつの間にかヴォルテックに跳び乗っていた男が、最後とばかりにサブマシンガンを掃射してきた。
「遊びはここまで。今度こそごきげんよう!」
まるで映画の一幕のような台詞と伴いながら、男はヴォルテックとともに飛び去っていく。
すぐに射程範囲を抜けられた。
ヴォルテックが小さくなっていく空を見上げながら、セイラはつぶやく。
「犯人を逃がしたのは、はじめてだな……」