Interlude03-4

 潜水艦の内部は存外に広々としていた。
 空気も清浄で、温度も湿度もしっかりと管理されており、快適な空間となっている。
 艦の中腹にある食堂。長机がいくつか並んでいる。霞と斑鳩、それに霞の腕の傷を手当てしている男性乗組員以外は誰もいない。
 
「そういえば、姐さんが怪我するの見たのはじめてだよ。油断したのかな?」
 
 机を挟んだ向かいに座り、鼻歌交じりでタブレットを操作していた斑鳩が、人好きしやすい笑みを浮かべながら言った。世間話でもするかのような気軽さ。
 男性乗組員は凍りつき、包帯を巻く手を思わず止めた。たしかに彼も霞が負傷するのははじめて見たが、乗組員でわざわざそれを口にする馬鹿はいなかった。
 霞は気配だけで人を殺せそうな殺気を放っている。
 それを間近で感じている男性乗組員は、体が震えていることを自覚した。が、止められない。彼はまだ若すぎた。
 間近で感じる霞の迫力は、まさに鬼そのもの。
 しかし、呼吸ひとつ分ほどの時間で、霞の殺気はしゅんと消え去る。
 
「貴様に八つ当たりしても仕方ないな」
「あー、びっくらこいた。死ぬかと思ったよ」
 
 そんなこと微塵も考えてないくせに、と男性乗組員は内心思っている。
 やがて簡単な治療をすべて終えた男性乗組員は、救急箱を持って早々に立ち去っていった。
 
「かわいそうだなぁ。彼、怯えていたじゃないか。まだ若いね」
 
 男性乗組員はまだ二十代半ば。黒月夜という組織の中では、まだ赤子も同然の年齢だった。
 
「あいつは新入り。医療の心得がある数少ないメンバーのひとりだ。……そんなことより、おまえはさっきからなにを熱心にやっている?」
 
 ここに来るなりタブレットを持ち出して、「検索開始ー」「ありゃ、見失った?」などと始まり、「ここはこうだ!」「ふっふっふ、さすが僕」などと最後までひとりで楽しんでいる姿に、黙って治療を受けるしかなかった霞はだいぶいらついていた。
 
「まず、異種生命体の行方。いまは近くの海底に潜んでいるようだね。動きはない」
 
 斑鳩いわく、生まれ変わってからは泳げなくなったのか、どんどん深海に沈んでいったらしい。それも途中で止まり、海底付近でじっとしているとのこと。
 
「これで接近できないのか?」
 
 霞はこんこん、と机を叩く。潜水艦を指している。
 
「んー、深度的には不可能じゃないんだけど、やめたほうがいいんじゃないかなぁ。だってほら、近づけたとしてもなにもできない。さすがに深海で使えるような捕獲システムは積んでないし、仮にできたとしても危険すぎる。……あー、ムラオカくんだっけ?」
 
 村中だと訂正しようとしたが、あまり意味はないので霞は黙っていた。
 
「彼の体を犠牲にして復活したとき、生物学的にはもう完全に別物になったみたいなんだよ。まあでも首輪がさすがに本調子じゃないから、送られてくるデータが断片的で詳しくはわからない。いまは放っておくしかないかな」
「斑鳩。そろそろ話せ。異種生命体はなにを目指していた?」
 
 ふむ、と考えるように押し黙る斑鳩。やがて口を開く。
 
「異種生命体はこれまで、ほかの生物を喰らってエネルギーを補給していた。これは人間と同じ」
 
 霞は黙ってうながす。関係ない話をしているように聞こえるが、すべては伏線だと理解している。
 
「でもこれは、実は効率が悪いんだ。喰らった血肉すべてをエネルギーに変換できればいいんだろうけど、それは無理。――でも、もしそれが可能だったら? 正確には、可能だと途中で気づくことができたら?」
「気づいた……?」
「そう。僕の予想だと、6月に入った頃には気づいたと見てる。その頃だよ。異種生命体が本土でふらふらしていたのに、急に動線がまっすぐになったのは」
「なにに気づいた?」
「ヒント。それはこの近くにある。それは膨大な『エネルギー』を生み出している」
 
 霞たちを乗せた潜水艦は現在、星蹟島付近を航行している。近くにあって、膨大な「エネルギー」を生み出しているものといえば――
 
「……まさか」
「ふふ。さすが姐さん。たぶん正解」
「しかし、そこにたどり着けたとして、いったいどうするつもりだ? ストローを差してちゅーちゅー吸うわけにはいかないだろう」
 
 姐さんにしては可愛いたとえだね、と思った斑鳩だが口にはしない。
 
「それはわからないけどね。ただ、もうなんでもありなんて気がしてるよ。異種生命体とそれが接触するの、とても楽しみだ。ふふっ、なにが起こるんだろうね」
「その接触は、黒月夜に利益をもたらすのか?」
「きっと」
「なら静観していよう。しかし、なにも結果が出なかったら、おまえは本当にサメのエサだからな」
「わかってるよ」
「で、さっきの口ぶりだと、ほかにも調べたことがあるんだろ」
「うん。棒……クォータースタッフっていうのかな? そんな変わった武器を持った少年がいたじゃない。セイラ捜査官と一緒に、異種生命体と戦っていた。彼について調べてた」
「年齢にそぐわない老練された戦い方だったな。たしか、アキラ、と呼ばれていた」
「彼の顔、どっかで見た気がしてね」
「で?」
「真城惺、って名前らしい」
「真城――?」
「もう気づいてると思うけど、真城蒼一の息子だよ。姐さんも名前くらいは聞いたことがあるでしょ?」
 
 すぅ――と、霞の視線の温度が氷点下に下がった。この国でもっとも警戒すべき人物として、現体制になる前から黒月夜の上層部で語り継がれていた存在。日本有数の資産家という身分で、政界や財界にも強い影響力を有しているとは噂で聞いていた。
  
「貴様は真城蒼一と面識が?」
「いや、直接会ったことはないかな。けど一度ニアミスしたことがあってね。遠目から見たことはある」
 
 霞は無言で続きをうながす。
 
「あ、これは絶対に敵にしちゃだめな人だ、って直感した」
「……ほう」
「裏の世界で語られていることがあってね。世界広しと言えども、僕たちのようなならず者が絶対に敵にしちゃいけない3人ほど存在している、って話」
「…………」
「ひとりはシディアス――〈騎士団〉の総長、ユーベル・レオンハルト。もうひとりは伝説的暗殺者アヌビス。そして真城蒼一」
 
 そうそうたる名前が並んでいる。ユーベル・レオンハルトは、世界政府が擁する軍事組織シディアス――通称〈騎士団〉のトップ。またシディアス最強の騎士でもあり、神がかりめいた指揮能力も有しているとされる。
 アヌビスは正体不明の凄腕暗殺者として名を馳せているせいか、同業者である霞も何度もその名を聞いたことがあった。
 真城蒼一は、そんなふたりと比肩しうる存在らしい。
 
「まあ、不思議な人間なんだよね、真城蒼一ってやつは。ほかのふたりより知名度は低いんだけど、経歴がまるでわからない。にもかかわらず影響力は抜群。彼についていろいろ調べたんだけど、お手上げだった。びっくりするほど隙がない。さすがの僕も、面として敵対するような行動は控えたんだよ」
 
 飄々としていまいちつかみにくいが、この期に及んでは霞も斑鳩の実力は認めている。そんな彼が敵対するのをあきらめるほどの存在に、霞は興味を抱いた。名前は知っているが、霞も蒼一本人と会ったことはない。
 
「その息子があの少年か。末恐ろしいな」
「セイラ捜査官と知り合いだったよね、明らかに。それで接点を調べてみたんだけど、ちょっとおもしろいことがわかった」
「おもしろい?」
「彼女ね、いま創樹院学園っていう学校の生徒として登録されている。今年の5月から編入しているらしい」
「あの女が学生?」
 
 セイラの学生服を想像してみるが、どうもうまくはまらなかった。
 
「元暗殺者で現ICIS捜査官の彼女が正規のルートで入学できるわけないから、たぶん裏ルート。でも理由まではわからなかった。これも気になるよねぇ……」
 
 言いながらタブレットを操作する斑鳩。
 
「へえ。セイラ捜査官と真城惺くんは同じクラスだね。……うわ、担任のやつイケメンだ。忌々しい」
 
 画面には創樹院学園2年G組の生徒全員の顔写真と名前が表示されている。もちろんこれは外部閲覧不可の内部情報だが、斑鳩にしてみれば、こんな情報を取得するのはワイシャツにこびりついたコーヒーの染みを落とすことよりも簡単なことだ。
 ふと、なにかを目にした斑鳩の手が急に止まる。
 10秒近く動かなかった。
 さすがに疑問を抱いた霞が声をかけても答えない。
 やがて、斑鳩は頭を押さえながら大声で笑い出した。
 その様子に目を細める霞。
 
「運命っていうのは実在するのかもね! 姐さん、これ見てよ」
 
 タブレットを渡される。
 それを見て、今度は霞がいまだかつて見たこともないほど興奮し、高笑いが潜水艦の内部に木霊した。


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