Alive & Brave 04 – セイラ

 台本が完成したと紗夜華が言ってきたのは、晩餐会から2週間が経った頃だった。
 すでに9月の終わりに差しかかっており、中間テストを間近に控えている。放課後の談話室にはほとんどのメンバーが集まり、テーブルを囲んでいた。
 
「プロットなんかすっ飛ばして書いちゃったけど……大丈夫だったかしら」
「問題ない。しかし、2週間でよく書けたな?」
「降りてきた、ってやつ。いろんなシーンが次々思い浮かんで、書いていて楽しかったわ。みんな、協力ありがとう」
 
 紗夜華が頭を下げる。協力というのは、メンバーが個別に紗夜華と面談をした件。これは凜のアドバイスだと、あとで聞いた。
 執筆中、紗夜華の睡眠時間は連日3時間を切っていたそうだ。そして昨日から今日にかけては貫徹で作業をしたらしい。台本のデジタルデータは今朝、それぞれのアカウントに届いた。
 紗夜華の表情の疲れの色は濃いが、さすが若いだけあって肌はモッチモチのすべすべだ。化粧で誤魔化している誰かさんとは違うと、その誰かさんに今度提出する報告書に書いておこう。
 
「それで、台本の感想は……?」
 
 紗夜華の表情が緊張に締まる。
 
「ふふ……素晴らしかったよ。なあ、みんな?」
 
 一同が笑顔でうなずく。
 
「そ……そう」
 
 脱力する紗夜華。
 
「紗夜華ちゃん……!」
 
 と、椿姫が紗夜華に近づき、その手を握った。
 
「わ、わたし、感動しちゃった……この台本、ほんとすごいよ!」
「ありがとう、椿姫。あなたのアドバイスのおかげよ」
  
 それからみんなが、思い思いの声を紗夜華にかける。紗夜華の瞳がわずかに濡れて光っていた。
 
「なあ真城~、クライマックスの感想はどうなの?」
 
 にやにやしながら光太が訊いている。それを受けて、みんなの瞳や表情に好奇心やらいろいろな感情が浮かぶ。
 けど凜だけは、妙に達観した表情で微笑むだけだった。
 凜の衝撃的な告白からも2週間が経過したが、こちらはなにも進展がない。あれから凜がなにも言ってこない以上、こちらから尋ねるのも気が引ける内容だ。
 そして凜はこれまで、いつもどおりにわたしに接していた。みんなに対しても同等。
 ――けど、ほんのわずかに。
 凜の周囲に対する壁が、わずかに分厚くなったような気がする。
 
「俺はともかく悠じゃないか、問題は。……それで、肝心の本人は?」
「生徒会の集まりでちょっと遅れるって。小日向さん、悠もちゃんと台本読んだよね?」
 
 凜が椿姫に向くと、彼女は苦笑しつつ答えた。
 
「休み時間にちょこちょこ読んでたみたいだよ。でもお昼休みのとき、口を半開きで驚いていたかな。たぶん、クライマックスのシーンだと思う」

 やがて自動ドアが開き、悠が入ってくる。
 悠の後ろにひとりの女性がいた。
 東雲友梨子先生。しばらく産休を取った美術教師の代わりに、この2学期から着任してきた先生。
 
「みんな! 監督役、東雲先生が引き受けてくださるって!」
「どうも。えーと、微力ながら全力を尽くす所存です」
 
 ぺこりと頭を下げる東雲先生。
 わたしたちG組だけでなく、B組の悠、椿姫のクラスも、美術の担当は東雲先生だった。
 紗夜華が所属するE組と、1年の美緒たちは美術教師が替わってないから、今日が初対面らしい。紗夜華たちが先生に挨拶した。
 
「そういえば、ちょうど台本ができたって真城さんから聞いたんですけど」
「友梨子先生! この台本すんごくおもしろいの!」
 
 と、自分のタブレット端末を掲げながら真奈海。生徒から気安く名前で呼ばれても、東雲先生は特に気にしないたちだ。
 
「悠も読んだんでしょ? おもしろかったよね!」
 
 真奈海に問われて、悠が見事に慌てる。
 
「お、おもしろかったけど、ちょっと問題がっ」
「わたしのアカウントにもデータ送ってもらえますか? どこが問題かチェックします」
「あ、あの、東雲先生」
 
 悠はやはりそわそわしている。
 
「キスシーンは問題ですよね!?」
「キスシーン? そんなのあるの?」
「はいっ」
「うーん。いいんじゃないかしら」
 
 ほとんど迷うことなく、先生はそう断言する。
 そうこなくっちゃ! と拳を振り上げる真奈海。光太も便乗して盛りあがる。
 
「そ、そんな……!?」
「って、なに? 真城さんの役がキスするの? ちなみに相手は誰?」
 
 一同が、まるで示し合わしたかのように惺に向いた。
 一瞬で注目の的になった惺は大きく息を吐きながら、誰もいないところに視線を向ける。照れているのかそうでないのか、惺の場合は判断が難しい。

「真城くんが相手? あら、だってあなたたち、たしか兄妹だったわよね?」
「そ、そうです! だから問題なんです! 兄妹でキスなんてだめ絶対!」
 
 いきり立つ悠。惺のことになると、悠のキャラが若干壊れ気味になるのは可愛いところだ。その証拠に、みんなが生温かい笑みを浮かべている。
 
「あの、悠。ちょっといいかしら」
 
 なにやら含みのある笑みを添えながら、紗夜華が言う。
 
「わたし、登場人物一覧は書いたけど、誰がどの役かまでは書いてないわよね? なのにどうしてヒロインのお姫さま、ユースティア役が自分だと判断したのかしら。いえ、その判断で間違ってないのだけど」
「そ、それはっ、その、あの……あ、当て書きって言ったよね!? だって、どう考えても」
「惺はどうなんだ?」
 
 わたしが訊くと、惺はおもむろに口を開いた。
 
「柊さんのイメージした主人公像とヒロイン像が、たまたま俺と悠になったってことだろ。せっかくここまで素敵な物語を創ってもらったんだ。そのイメージは大事にしたい」
 
 よ、男前! と真奈海、光太を中心に盛りあがっている。いつもだったら凜も便乗するはずだが、静かに笑っているだけだ。
 悠が無言で惺を睨みつける。だが、いままでその眼差しに存在していた険しさは、もうほとんど含まれてない。
 最近、惺と悠が会話をしていることが増えた。間違いなくあの演奏会の影響だろう。あれは悩んで足踏みしている紗夜華や椿姫を勇気づけるという建前で開かれたものだが、こうして悠の「重荷」まで減らしたようだ。
 さすが惺。
 惺が優しく語りかけた。
 
「なあ悠。別に本当にキスすることはないんだ。演技なんだから、ふりでいい。違うか?」
「――っ!?」
「思いもしなかったみたいな反応だな。まあ、俺は本当にキスして構わないんだけど。……むしろ喜んだほうがいいのか? お兄ちゃんは嬉しいぞ」
「ちょ、ちょっと黙りなさい!? ……ぅ……あ、頭冷やしてくる!」
 
 顔を真っ赤に染めながら、悠は本棚が並んで死角になっているところに逃亡した。その後ろ姿を、親のような慈愛に満ちた表情で見送る一同。
 
「みんな、そのへんにしておきなさい。さすがに可哀想よ」
 
 と、東雲先生。ここに来てはじめて教師らしいことを口にする。
 
「けどあれね。真城さんってツンデレなのかしら」
 
 この人、思いのほかいい性格をしているようだ。 
 それから東雲先生と軽く打ち合わせをし、彼女は去っていく。わたしは立ち去っていく先生の背中をじっと見つめた。
 先生が退出したあと、凜が訊いてきた。
 
「どうしたの?」
「いや……前から気になっていたんだが、東雲先生の動きが」
「動き?」
「身のこなしにまるで隙がない。『呼吸』も凪の湖面のように穏やかなのも見事だ」
 
 なんとなく言ったひと言だったが、凜は驚くべきことを返してきた。
 
「ああ。武術を嗜んでいる人特有の身のこなしだよね」
「……よく気づいたな?」
「あ……いや、その……」
 
 気まずそうに視線を逸らされた。
 
「そういう凜も似たような身のこなしをしているぞ。前にも訊いたことがあったと思うが、やはり武術を?」
「俺は……その……ど、どこかの馬鹿を成敗するためだけに身につけた技術だ!」
「やい凜! 俺のこと指さしながら馬鹿とはどういう意味だこら!」
「そのまんまの意味だよ、光太。ところでもうすぐ中間テストだけど、勉強ははかどってる?」
 
 光太の表情が青ざめる。
 
「な、なんでそれ言っちゃうの!? せっかく忘れてたのに!? 今年の俺は、もう演劇一本に生きるって決めたんだい!」
 
 その後、光太のスケジュールに、ほかのみんなよりもぎっしりとした勉強時間が組まれたのは言うまでもない。スケジュールを組んだのは凜。そして、存外に鬼畜な内容だった。
 しかし、うまく話をかわされたように思う。


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