Alive02-2

 帰りのホームルームが終わってしばらく経った頃。
 特に用事のないクラスメイトたちが、いくつかのグループに分かれて談笑していた。話題は、ほぼひとつに絞られている。
 
「ねぇねぇ、真城くんとアルテイシアさんって、どこで知り合ったんだろうね?」
「さあ……でも真城くんってしばらく海外にいたことあるんでしょ? そのときじゃないかなぁ」
「そうだとしても、ふつうの出逢い方じゃないよね!?」
「そりゃそうでしょ!」
「みんなの前で、いきなりキスだよ。わたしドラマかと思ったもん!」
「いまどきドラマでも見ないよ。あんな劇的なシーン!」
 
 これは近くの女子グループの会話。ほかのグループも似たような内容を話している。
 
「んふ、やっぱりみんな気になるよね!」
 
 手慣れた様子で裁縫作業をしながら、真奈海がにやにやと言った。
 思春期真っ盛りの年頃で、あんなお熱いキスシーンを間近に見たら、どうしても話題の中心になる。
 ホームルームが終わった直後、惺と転校生は織田先生に連れられて、生徒指導室へ行った。理由は言うまでもない。
 
「凜も気になる?」
「ん……まあ、それなりに」
 
 ふと作業を止めて、真奈海が意味深な瞳で見つめてきた。こいつにしては真剣な眼差し。
 
「でも、凜のことだから深く追求することはないんだろうねー」
「まあな。さすが真奈海。よくわかっていらっしゃる。……ところで、なにを作ってるんだ?」
「んん? ああ、下の妹の手提げ袋だよ。いままで使ってたやつ、あたしやもうひとりの妹のお下がりだからさー、さすがにもうボロボロで。新しいの作ってるの」
 
 真奈海の下の妹は、たしか幼稚園児。もうひとりの妹は、中学生くらいだったか。
 20分くらい前、作業を始めた頃はただの布きれだったそれも、ちゃんとピンク色の可愛らしい手提げ袋の形になってきている。
 
「腕を上げたな、真奈海」
「えへ、そう?」
「見るたびに裁縫レベルが上がっていると思う。よくミシンなしでそこまでできるよな?」
「慣れちゃえば手作業のほうが早いのよん。このくらいの大きさならね……ねえねえ、あたしって女子力高い?」
「そういうことを口にしなければね」
 
 けらけらと真奈海が笑った。
 
「凜もさ、なにか作ってほしかったら言ってね。デザインとか希望があれば服でもなんでも作れるよ」
「……おお。すごいな。将来は服飾職人か?」
「フクショクショクニン……? 凜って、たまに古風な言いまわしするよね。要するに、ファッションデザイナーのことだよね」
「そうとも言う。ちなみに真奈海の頭の中で、服飾職人がきちんと漢字変換されなかったのもわかった。もうちょっと勉強しような」
「むぅ、うるさいよぉー」
 
 急に真剣な表情になった真奈海が、声のトーンを落として続けた。
 
「ねえ凜、ファッションデザイナーになるには、やっぱり勉強しないとだめかな」
「そりゃあ、しないよりしたほうがいいだろ、何事もさ。……あれ、真奈海ってもしかしてファッションデザイナー志望?」
「うん。言ってなかったっけ?」
「聞いてない。けどまあ、おまえ裁縫しているとき楽しそうだもんな。好きこそものの上手なれって言うし、向いてるんじゃないか」
「ありがと。けどさ、ファッションデザイナーになるのって大変みたいなんだよね。大学か専門学校できちんと学ばないといけないし」
 
 真奈海の表情に切なさが宿る。
 
「……お金、か」
 
 どんな進路だろうと、進学にはまとまったお金が必要だ。真奈海の家庭事情をそれなりに知っている俺からすれば、いまの豊崎家に、それを捻出するだけの経済力があるのか疑問だった。
 
「ほら、うちって家族多いからさー。……あ! 別に家族多いのが嫌だって言ってるんじゃないよ!」
「わかってるよ。とりあえず、両親に相談してみたらどうだ?」
「そうだね。お母さんの調子も最近はいいみたいだし、そうしてみるよ。ありがと、凜」
「がんばれよ。……あ。時間大丈夫か? 今日バイトだろ?」
「ふぇ? ――やば! もう行かないと!」
 
 正面にある電子ホワイトボードの上部に、時刻がデジタルで表示されている。それを認めるなり、真奈海はどたばたと帰りの支度を始める。
 
「ねえ凜、真城っちとアルテイシアさんが戻ってくるまでいるんだよね? 戻ってきたら、感想とかいろいろ聞いておいてね!」
 
 なんの感想だよと聞き返す前に、真奈海は「じゃあねー」と去っていった。俺以外のクラスメイトにも、明るい声音でさよならを告げることを忘れていなかった。
 
「……騒々しいけど爽やかなやつ」
 
 話し相手もいなくなったら、とりあえず読書でもして待つか――と思った矢先、教室がしん、と静まりかえった。何事かと、クラスメイトたちが視線を向ける先を追う。
 惺と転校生が、後ろのドアから入ってきたところだった。惺は教室の雰囲気を察して、少し困ったような表情をする。対する転校生は、教室の雰囲気や自分に注がれている視線に構うことなく、涼しい顔で席に座った。転校生の席は、俺の席がある列のいちばん後ろ。
 ふと、惺と目が合った。
 
「――凜、ちょっといいか」
 
 うなずいて、ふたりのもとへ。
 
「どうだった? 織田先生の説教は」
「説教の感想を聞かれてもな」
 
 苦笑いしながら言う。
 
「俺もそう思うけど、真奈海のやつがさ」
「豊崎? そういえば、いまさっき廊下ですれ違ったな。なんか急いでいた」
「あいつこれからバイトだから。さっきまで話してたけど、ふたりのことが気になっているみたいだったよ。感想とかいろいろ聞いておいてってさ。……そういえば、惺が先生に呼び出されるなんて、はじめてじゃないか?」
「まあな。まさかあんな理由で呼び出されるなんて、思いもしなかった」
 
 織田先生にしても、あんな理由で生徒を呼び出すことになるとは思ってなかったはず。そう考えると、ちょっとおもしろい。
 惺が意味ありげな視線で転校生を見つめた。
 
「なんだ惺、その眼は? わたしはちゃんと謝っただろう。ただし、悪い行動だったとは思ってないが」
「はぁ。もうわかったよ。――それより、凜」
「ん?」
「今日、これから用事とかあるか?」
「いや、特にないけど」
「それなら俺たちに付き合ってくれないか」
「なにするの?」
「学園の案内だ」
 
 転校生が答えた。
 
「案内って、えっと……アルテイシアさんを?」
「ああ。……と、そうだ。わたしのことはセイラ、と呼び捨てで構わない。ファミリーネームだと長くて呼びづらいだろう」
「いいの? ……じゃあ、セイラ」
「うむ。その代わり、わたしも凜と呼ばせてくれ。発音的にそちらのほうが好ましい」
「いいよ」
「あらためてよろしく、凜」
「こちらこそ」
 
 握手しようと、俺は左手を差し出した。
 転校生――セイラは俺の手を握った。
 
「凜、わたしが左利きだと気づいたか?」
「うん。だって腕時計右手につけてるし、そうかなって」
「ほう」
 
 にやりと笑う。
 
「なに?」
「きみは察しがいいみたいだな。機転も利くようだ」
「そうかな……どうも」
 
 なんか、年上の人に褒められたみたいな気分だ。
 
「それ、かっこいい腕時計だね」
「ありがとう。わたしのお気に入りだ」
 
 好んで男のものを身につける、か。まあ、センスや好みは人それぞれだ。
 
「セイラ、ひとまずどこを見ておきたい? この学園は1日で全部案内できるほど小さくはないから、ある程度は絞らないと」
 
 惺の言い分はもっともだ。この学園は敷地が広い上に、建物の数も多い。
 ――と、その前に。
 
「案内することはいいんだけど、セイラに質問していい?」
「わたしに答えられる範囲なら」
「昼休みにさ、セイラは生徒と教職員の顔と名前を全員記憶してるみたいなこと言ってたよね」
「ああ」
「それが事実だとしたら、この学園のどこになにがあるかとか、案内図を見ているなら全部記憶しているんじゃない? 転校生なら、そういう学園の資料とかってあらかじめもらえるんでしょ?」
 
 そうだとすると、案内という行為はそんなに意味を成さない気がする。
 セイラは感心したようにうなずいた。
 
「やはり凜は聡いな。きみの言うとおりだ。校舎ごとの施設どころか、火災報知器と非常ベルが設置されている場所も、ひとつ残らず把握してる」
「へ、へえ……」
 
 そんなの教職員ですらちゃんと把握してないぞ、きっと。
 なんというか……奇特?
 
「つまり、それなのにどうして案内が必要なのか、ってことだな?」
「そうだね」
「わたしが見たいのは、学園の施設というよりは、その中で日々を送っている人たちそのものだ。生徒はもちろん、教員の方々も含めて」
「へえ……」
「納得してくれたか?」
「うん。それと、もうひとつだけ質問。なんで惺とふたりっきりで行こうと思わなかったの?」
 
 セイラにとっては、ふたりっきりのほうが都合がいいような。悠のことを考えると、とんでもない事態だけど。
 
「もちろんわたしは惺にお願いしたんだ。でも、ふたりっきりだとなにかとよろしくないらしい。いまいち理解ができないのだが」
 
 不満げな瞳で、セイラは惺を見る。
 
「セイラ、いま俺たちが注目されてるのに気づいているか?」
「もちろん」
「その理由はわかるだろ」
「ああ。で、だからなんだと言うんだ?」
「俺としては、これ以上話題の中心になりたくないんだよ」
「……もう手遅れな気がするんだけどなぁ」
「凜……」
「あ、ごめん」
 
 紅茶色のレンズの向こうの瞳が、みなまで言うなと訴えてきた。
 
「惺よ、別にふたりっきりだからといって、変なことをするつもりはないぞ。例えば、人気のまったくないところに連れ込んで、性行為に及んだりはしない」
 
 教室中が息をのんだ。クラスメイトたちは、それぞれ話し込んでいる体を装って聞き耳を立てていたらしい。
 
「セイラ!」
「なぜ怒る?」 
「軽々しくそういう言葉を口にするな!」
「む、性行為というのがいけなかったか? ならセックスと言い換えよう」
「そういう問題じゃない! ――ああ、もうっ」
 
 惺が頭を抱える。惺がここまで取り乱すなんて、悠が怒っている以上にめずらしいことだ。
 ――俺は、心の奧からわき上がる黒い感情を必死に押し殺した。
 それにしても、セイラは真城兄妹をどこまでも揺さぶる。基本的には揺るがない芯の強い兄妹だと思ってたけど、今日はいろいろとめずらしいところを見た。
 
「凜、惺はどうしてこんなに慌てているのだ? わたしは間違ったことは言ってないだろう」
「そ、そうなんだけど……えっと、問題はそこじゃなくて」
 
 どう説明したらいいんだろう……?
 惺に視線をやって助けを求めた。
 
「ごめんな、凜」
「いや、惺に謝られてもな……」
 
 ふぅっ、とため息を吐きつつ視線を逸らすと、教室中のクラスメイトから好奇の眼差しを集めていた。あまり得意でない状況に、めげそうになる。
 
「なあ、さっさと教室出たほうがいいんじゃないか?」
 
 小声で惺に耳打ちした。これ以上話題の種を振りまくのも、いろいろな意味でよくない。
 
「俺としては、もう帰りたい」
 
 弱気な声が返ってきた。
 
「惺が音を上げるのはじめて見た」
「凜が思っているほど、俺は強くないんだぞ」
「まあ、気持ちはわかる」
 
 セイラを見ると、不満げに眉をひそめる。
 
「おい、わたしを置いて話をするな。不愉快だ」
「ご、ごめん」
 
 凄みのある眼差しで睨まれ、つい謝る。
 セイラはあくまでもマイペース。惺ははじめて見るほど、精神的ダメージを受けている。俺はそんなふたりの間で、いまいち立ち位置がつかめない。
 放課後は、まだ始まったばかりだった。


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