Alive04-6

 綾瀬さんの滞在が許可されるのは、そんなに難しくはなかった。話を聞いたうちの母さんは最初驚いたようだったけど、事情を察し、綾瀬さんのしばらくの滞在を許してくれた。父さんからは、認める代わりにいくつかの条件を示された。まず、綾瀬さんの父親から許しをもらうこと。次に、学園にもその旨知らせ、こちらからも了承されること。いつも料理のこと以外は寡黙な父さんでも、さすがにこういうときは星峰家の家長としての責任を果たそうと努めていた。
 父親とどうしても直接話をしたくなかった綾瀬さんは、まず学園に連絡し、担任の先生から父親に伝えてもらうことになった。やがて先生から「好きにするといい」というお父さんの言葉を伝えられたそうだ。心配なのかそうじゃないのか、判断しにくい言葉。これを受けた綾瀬さんがどう感じたのか、俺にはわからなかった。
 月明かりと街灯に照らされて、俺は近所の海岸線沿いを歩いていた。夏がその存在感を増してきた6月の下旬にしては、気温は高くない。暑すぎず涼しすぎず、まるで無感情な温度の空気だった。
 夜の9時過ぎ。堤防に座り、暗い海をなんとなく眺める。
 しばらくそうしていた。誰にも邪魔されず、誰の邪魔にもならず。打ち寄せるさざ波だけが、静かに響いている。
 
「凜くん」
 
 声に振り返ると、パジャマの上にカーディガンを羽織った悠の姿があった。
 
「……どうしたの?」
「それはこっちの台詞だよ。凜くん、今日帰ってから様子がおかしかったよ? なにも言わずに外出したから、心配になっちゃって」
 
 俺が玄関から出たところをたまたま見かけ、追いかけてきたそうだ。
 様子がおかしいという自覚はなかった。綾瀬さんが来たとはいえ、いつもと変わらない態度だったと思う。けど、悠がそこまで言うのなら、本当のことなんだろう。 
 悠は隣に座った。
 
「誰も見てないときに、もの憂げで、思い詰めたような表情してたよ。自分を責めるような……なんか、そんな感じ」
 
 悠は鋭い。惺といい、この兄妹はどうしてここまで超能力じみた鋭敏さを見せるんだろう。
  
「なんでもないよ」
「そんなわけない。凜くんがそういうの表に出すのって、相当だよ?」
「……誤魔化せないな」
「なにがあったの? よければ話してくれないかな。……綾瀬さんに関係してる?」
「いや、きっかけではあるけど、綾瀬さん本人は悪くないよ」
「……そう」
 
 俺と奈々が綾瀬さんを連れて帰ってきたとき、悠は玄関で出迎えた。それで、仕事中だった母さんたちより先に悠に事情を説明した。すぐにすべてを理解し、笑顔で綾瀬さんを歓迎したのは彼女らしい。
 
「凜くんがそう言い出したって聞いて、わたし、正直嬉しかったよ」
「なんで?」
「だってほら、凜くんっていつも一歩引いたところから見てる気がしてたから。だから当事者の目線になって、一緒に問題を解決しようとしたって考えるとね」
「一緒に解決……俺が?」
 
 悠は戸惑いの表情を浮かべた。
 
「綾瀬さんに必要なのは、落ち着いて考えられる場所と時間。それでうちに来てもらって、一緒に考えようってことじゃ……」
 
 悠にとって星峰の家は「うち」ではない。けど、この場でそんな些細なこと突っ込みするほど野暮ではない。
 
「前半は合ってるけど、後半は違うよ」
「え?」
「あれは単に、自分が……俺自身がいたたまれなくなって言い出したことだよ」
 
 自分の目の前で誰かが――家族でも友達でも、心を剥き出しにして、涙を流しながら向き合っていることが耐えられなかった。
 つまり、自分のため。
 
「当事者の目線になる? そんなの当事者じゃないんだから不可能だよ」
「…………」
「一緒に考えることができる。それはまあ可能だと思うけどさ、結局、最後に決断して答えを出すのは当事者本人なんだから、必要以上にあれこれ言いたくない」
 
 今回の場合、当事者とは言うまでもなく綾瀬さん本人と、彼女の家族だ。崩壊寸前の家族。実家に帰ってしまった母親と、無神経な父親。それらを目の当たりにして不安定になってしまった綾瀬さんの精神。バンドの軋轢も、彼女の精神状態をきっかけにしていた。
 綾瀬さんが精神の安定を取り戻すまでは、なんとか手助けができる。でも家族やバンドのメンバーと仲直りしようと決心して行動するのは、あくまで本人の意志。それ以上俺にはなにもできないし、するつもりもない。
 
「じゃあ、どうして?」
 
 矛盾してる――と、悠の切なさをはらんだ視線が訴えている。それもそうだ。問題を解決に導こうとした提案なのに、提案した本人は、もう問題に積極的に、深く関わろうとしていない。
 
「だから困ってるんだよ。なんで俺はあんなこと言い出したんだろうって」
「後悔してるの?」
「ちょっと違う。困惑……かな。あのとき俺がああ言い出したことが間違っているとは思わない。あのまま綾瀬さんを放っておいたら、取り返しのつかないことになっていた恐れもあった。それは惺も認めてくれたよ」
 
 急に惺の名前を出されて、悠が一瞬だけむっとした。
 
「俺はなにをしようとしていたのか……ああ、たぶん、うちに行けば奈々も落ち着いて話ができるし、心のどこかで、聞き上手の悠に期待していたんだ。悠なら綾瀬さんをうまく導けるかもしれないって」
「凜くん自身は、なにもしないの?」
「いや。綾瀬さんが望むのなら話し相手にはなるよ。さすがに家に呼んだ責任はあるし。けど、奈々も悠もいるのに、わざわざ俺を頼るとは思えないな」
「……変わってないんだね」
「ん?」
「バンドが活動休止した日。夜、凜くんの部屋で話したでしょ」
「人と人はわかり合えないってやつ?」
「そう。……あのときから、凜くんの考え方が変わったのかな、って思ったんだけど」
「変わってないね」
 
 人の価値観は、そう簡単に変わらない――俺はそう考えている。
 
「…………」
「そんな悲しそうな顔しないでよ」
「……ごめん」
「ねえ、あらためて訊くけどさ、悠は人と人はわかり合えると思ってるの?」
「思ってないよ」
「……は?」
 
 予想外の返答だった。
 
「思ってるんじゃなくて、信じてるの。わたしは、人と人は絶対わかり合えるって信じてる」
 
 言い切る悠を、まじまじと見つめた。彼女の淡い瞳と視線が交差する。揺るがない信念が眼差し宿っていた。波の音も風の音も耳に入らないくらい、真剣な悠に釘付けだった。
 
「――めずらしいな」
 
 突然の声。振り返ると、スポーツウェアを着た惺がいた。
 悠は惺を見るなり、眉間にしわを寄せてそっぽを向いた。
 
「真剣な話をしてたみたいだから、気づかないふりして通り過ぎようと思ったけど」
「いや、その前にこっちが確実に気づくから」
 
 道路は人通りも車もそんなに多くない。誰か知り合いが通れば気づく。
 
「で、なにがめずらしいって?」
「ふたりがこんな時間に、こんなところで話してるのがさ」
「まあ、いろいろあるんだよ。……あ、そうだ。惺も聞いてくれよ」
「ちょ、凜くん?」
「悠もいいだろ。大事な話なんだから」
 
 むすっとしつつも、拒絶はしなかった。
 惺は俺の隣――悠とは反対のほうに座る。

「綾瀬さんはどうなった?」
「しばらくうちで預かることになったよ」

 簡単に事情を説明する。

「それはよかった。……で、大事な話っていうのは?」 
「人と人はわかり合えるか、って話をしててさ」
「前にもそんな話してたな。それで、けんかみたいになったとか」
「なんで惺が知ってるの……?」
 
 目を細めて惺を睨む悠。惺を前にすると、悠の普段は見られない表情を拝むことができる。俺が前に話したんだよ、と教えた。
 惺にこれまでの話をかいつまんで説明する。
 
「対極だな」
「そうだね。見事に反対だ……なあ、惺はどう思う?」
「人と人がわかり合えるかって?」
 
 首肯すると、悠が息をのんだのがわかった。
 
「俺は、そうだな……中にはわかり合えない人もいるのは間違いない。けど、わかり合おうとする努力は最後まであきらめない……ってところか」
「優等生だねぇ」
 
 見事な返答だと思った。完全に大人な意見。俺のように否定するわけでも、悠のように肯定するわけでもない。
 
「なにか言いたそうだな、悠」
 
 惺の声音はあくまでも優しい。たとえどんな辛辣な視線が向けられようとも、いつも変わらない。
 悠はぷいっと背を向けた。
 
「あのさ、俺は別に悠の意見を否定しているわけじゃないんだよ? ただ単に価値観が違うってだけでさ」
「そうだけど……でも」
「というかさ、どうしてそこまで信じられるの?」
「え……?」
 
 ものすごく悲しそうな顔をされた。
 
「いままでにわかり合えなかったことないの? 信じてるのに裏切られたり、相手に悪気はなかったんだけど、結果的に袂を分かつことになったり」
「それは――」
「たとえばさ、去年のセレスティアル号の事件。思い出させて申しわけないんだけど」
 
 悠がまた息をのんだ。
 
「もしも人と人がわかり合えるんだったら、犯人たちを説得できたはずだよね? いや、それならそもそもあんな事件起こらないか」
 
 どちらにしても、犠牲者がたくさん出て、理由はよく知らないけど犯人たちも大部分が死んだらしい。人と人がわかり合えるのだったら、あそこまでひどい結果にならなかったのでは、と思う。
 
「凜、それはちょっと極端すぎないか」
「そう思うけど、悠はあんな事件に直接巻き込まれたわけじゃん。なのにそこまで言い切れるのが俺にはわからなくて……悠?」
 
 悠の瞳から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれていた。
 
「悠!? ご、ごめん! つらいこと思い出させちゃった?」
「ち……違うの……そうじゃ……っ……なくって……っ」
 
 ごめんなさい、と言い残し、悠が走り去っていった。
 見えなくなるまで後ろ姿を見つめる。
 罪悪感で胸がいっぱいになった。
 
「や、やっちまった」
 
 文字どおり頭を抱える。例の事件で人質になっていた悠。人が殺されるのを目前で見たんだ。思い出してつらくないわけがなかった。
 
「悠は、事件のこと思い出して泣いたんじゃないさ」
「え?」
「凜とここまで意見が食い違うのが、我慢できなかったんだろ。むしろそのほうがつらかったんだよ」
「そ、それはそれで……俺のせいだし」
「なあ凜。俺からも訊いていいか」
「……うん」
「どうしてそこまで、人と人はわかり合えないと思うんだ?」
「――それは」
 
 ブーメランだった。
 
「表面上ではうまくやってるけど、凜は根本的に、人を信じてないんじゃないかと思えるときがある」
「――――」
「この際だから言うけど……凜は自分すら信じてないんじゃないか」
 
 言い返せなかった。
 事実だから。
 
「悠のことは好きなんだ。正直、付き合える……いや、結婚してもいいってぐらい。これは本当」
 
 どういうわけか、言葉が出てくる。
 
「ああ。わかってる」
「でも、あの考え方は……人と人がわかり合えると信じてるなんて考え方は、どうしてもできない。むしろ、大嫌いなんだ」
 
 惺はそれには答えなかった。
 
「世の中の多くの人が、性善説を信じてる。話せばわかる、とか。でもさ、実際は性悪説のほうが理にかなってるんじゃないかと思ってる。話してもわからないことのほうが多い。世の中、そんな犯罪や事件ばかりじゃないか。……俺の実家のこと、聞いてる?」
 
 惺が驚いたような仕草を見せた。俺が自分から実家の話題を出すことは、まずあり得なかったから。
 
「……いや。詳しくは」
「人さまには言えないような、犯罪すれすれの悪事をやってた。家族ぐるみで。ほかの家族を間接的に破滅させたこともあるらしい。暴力団とも関係があって、金や影響力も無駄にあったから、警察も手出しできなかった。近所の人たちにかなり恨まれていたんじゃないかな。……結局ね、最後まであいつらに罪悪感なんかなかったんだよ。俺はそんな『家族』のもとで育ったんだ」
「凜……」
「あの家に信頼関係なんて皆無だった。あったのは、吐き気を催すほど歪な人間関係。あんな過去とこれからずっと向き合っていかなければならないなんて、正直地獄だよ」
 
 おぞましい記憶がよみがえって、体が震えた。
 
「わかったから……もういい」
「血のつながった家族ですら、そんな感じだったんだ。なのにどうして、他人とわかり合えるんだ? 俺はそのやり方を知らない! 誰も教えてくれなかった! 俺の心なんて、最初から死んでいるんだよ!」
「凜!」
 
 大声を出されて、我に返った。
 
「……ごめん」
 
 沈黙が降りた。
 
「凜、豊崎はどうだったんだ?」
「……真奈海?」
「幼なじみなんだろ? 向こうでは家が近所だったって、前に聞いたことがある」
「真奈海か……真奈海は……そうだな。優しかったよ、あいつは。腫れ物みたいに扱われてたけど、真奈海だけは屈託なく接してくれた」
 
 家に居場所なんてなかった。学校でも人と距離をとっていた。友達と呼べる存在はほとんどいなかった。先生もうちが怖かったのか、関わろうとはしてなかった。
 それでも真奈海だけは、いつも変わらず世話を焼いてくれた。秋田で暮らしていた十数年間。その中で真奈海との思い出だけは、光があった。
 
「凜の心は死んでない」
「――――」
「ただ凍っているだけ。凍っているなら溶かせばいい。俺も昔はそうだったから」
「……え?」

 惺は小さく微笑んだ。紅茶色のレンズに隠れて、瞳の色は相変わらず見えない。でもなぜか、すごく優しい色をたたえているんだろうなと、なんとなく思う。

「凜の周囲には、熱を持ったお人好しが集まっているだろ。悠はもちろん豊崎、セイラだってそうさ」
「……クールだと思ってたけど、惺もその中に入ってるよな」
「そうか? まあ、それも悪くない」

 惺はまた小さく笑った。
 久しぶりというか、生まれてはじめて本音を誰かに語ったかもしれない。取り乱したようでかなり恥ずかしい。けど、数分前までささくれ立っていた心はいま、目の前の海のように穏やかになっていた。
 惺は無自覚だろうけど、こいつの会話力と癒やし力は半端ない。ただ隣にいて話を聞いてくれるだけなのに、不思議な安心感がある。以前真奈海が、「真城っちってひそかに女子の人気高いんだよね~。なんか一緒にいると安心するし!」って言っていたのにも納得だ。

「その、ありがとう。あと、取り乱してごめん」
「気にするな。……ただ俺にお礼を言うより、悠に謝るほうが重要だぞ」
「あ……ああ」

 冷静になったぶん、さっきの悠に対する自分の言動に怒りが湧いてくる。
 俺はなにをしてるんだろう。
 明日、ちゃんと謝ろう。


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