Alive04-7

 悠に謝るのは、それほど難しいことじゃなかった。
 惺と別れて部屋に戻り、悶々としているところに悠がやってきた。どう考えても俺から謝るべきだったのに、悠のほうから謝ってくれた。
 
「自分の価値観を押しつけるようなこと言って、ごめんなさい」
 
 だそうだ。正直、悠に価値観を押しつけられたとは思ってなくて、むしろ俺のほうがどうなの? って態度だったのに。
 とにかく俺も謝って一件落着。
 そして翌日。今日は土曜日で、授業は昼前に終わった。
 綾瀬さんはうちから学園に通った。授業後、奈々を連れて一度家に戻り、着替えやらギターやらを取りに戻っていた。仕事なのか、父親は不在だったらしい。
 今の時代、教科書はデジタル化されていて、学園から支給されたタブレットに全部入っている。だから学園関係の荷物はそれほど多くない。両親の学生時代はまだデジタル化がそれほど進んでなく、全部紙の教科書を教科ごとに持ち歩いていたという。その頃に比べれば、ずいぶん便利になったと思う。
 そしていま、俺はトラットリアHOSHIMINEの控え室にいる。
 
「ほら美緒ちゃん、そんな恥ずかしがってないで」
「ちょ、ちょっと待って! こんなふりふりのエプロン着るなんて聞いてない!」
 
 廊下から奈々と綾瀬さんの声が聞こえてきて、すぐにふたりが顔を出した。
 ふたりとも、着るだけで可愛さが5割増しになると噂されている、当店オリジナルのエプロンを着用していた。いくつか種類のあるエプロンのひとつで、これはふんだんに装飾されたフリルによって可愛さを強調したやつ。ちなみにデザインの原案はうちの母さん。
 奈々のエプロン姿は見慣れているけど、綾瀬さんの姿は新鮮だった。あとで聞いたところによると、彼女は服装にはほとんど無頓着らしく、女の子らしい格好は生まれてこの方ほとんど記憶にないらしい。
 
「似合うじゃん」
 
 素直な感想を口にしただけなのに、綾瀬さんは睨んできた。じろじろ見ないでください。通報しますよ――と視線が言っている。
 
「もう、美緒ちゃんってば」
 
 奈々は苦笑している。
 綾瀬さんも店の手伝いをすることになった。ただうちに居候するだけでは申しわけないと、今朝綾瀬さんが自ら言い出したことだ。ホールスタッフはいまちょうど人手不足だったから、母さんも喜んでいた。
 母さんが控え室にやってきて、綾瀬さんの姿に頬を緩めた。
 
「あら、また看板娘が増えるわね」
  
 うふふ、と笑う母さん。それから綾瀬さんは、母さんから仕事の説明を受ける。綾瀬さんはバイトの経験はないらしく、思いのほか緊張しているのが伝わってきた。母さんの丁寧な説明に、硬い表情で「はい」と返事をしている。
 
「お客さまが来店された場合は、元気よく『いらっしゃいませ』。もちろん笑顔は忘れずに」
「…………」
「もう、可愛いんだからそんな仏頂面しないの。ちょっと笑ってみて」
「う……」
 
 笑顔が苦手なのは、誰が見ても明らかだった。そういえば、綾瀬さんが笑っているところを見たことはない気がする。泣きながら笑ってるところや、狂気をはらんだ笑顔は見たことあるけど。
 あらあらと、困ったように苦笑しながら、母さんが奈々を見た。
 
「はい、奈々お手本」
 
 奈々はおへその前で両手を組み、にこりと微笑む。
 
「いらっしゃいませ!」
 
 と、元気よく言った。見事な笑顔。たとえ機嫌の悪いお客さんでも、これならほだされること請け合いだ。
 
「綾瀬さん、奈々も最初の頃は緊張して大変だったんだよ。『はわわわわっ』って、態度じゃなくて口に出してるの」
 
 その頃を思い出して、つい笑ってしまった。
 
「ちょっ、お兄ちゃん!」
「けど、そんな不器用な妹でも、2週間もすれば慣れてさまになる接客をするようになった。一人前になったの、ほんと最近だぞ。綾瀬さんは肝も据わってるし、大丈夫大丈夫。2週間と言わずに今日1日で克服しよう。俺も奈々もフォローするからさ」
「……はい」
 
 しぶしぶといった感じで返事をする綾瀬さん。その隣で、今度は奈々が仏頂面していた。


 
 実際、綾瀬さんは有能だった。覚えるのは早い。きちんと優先順位を組んで行動している。ほかの従業員に対する伝達もてきぱきしてる。ものの2時間でフォローがいらないくらいまでに成長していた。
 仕事のさなかに綾瀬さんの様子を見ていた母さんも、「へえ」と感心していた。
 トラットリアHOSHIMINEの新生看板娘、綾瀬美緒の誕生である。
 
「くっ……これでは、奈々の上位互換じゃないか。1週間もしたら、うちの妹の存在意義がっ」
「……お兄ちゃん、怒っていい?」
「まあでも、さすがに笑顔は奈々のほうがマシか。よかったね。ひとつでも勝ってるところがあって」
「ふんだ」
 
 つんとしたまま、奈々はテーブルの片づけに向かった。
 午後5時半過ぎ。夕食にはまだ早い時間帯。お客さんの数もそれほど多くなく、嵐の前ならぬ、ピーク前の静けさが満ちていた。
 ドアに取りつけられたベルが、お客さんの来店を告げた。俺は笑顔を貼りつけて、出迎えた。
 
「悠?」
 
 悠だった。彼女は今日、生徒会の会議のあと、いつもの病院に行っていたはずだ。
 
「お疲れさま、凜くん。席空いてる?」
 
 ああ、大丈夫と答えようとしたとき、悠の後ろに誰かいることに気づく。
 
「ん……小日向さん?」
 
 鮮やかな橙色の髪がびくっと揺れた。
 
「こ、こんにちは」
 
 やはりというか、あまり元気がない。挨拶を返しつつ、悠に小声で訊いた。
 
「なんで小日向さんと一緒なの?」
「偶然会ったの」
 
 とは言ってるけど、悠の雰囲気はそれだけじゃないと語っている。
 
「とりあえず席に案内するよ」
 
 綾瀬さんを呼んだ。
 
「新規で2名さまね。16番テーブルにご案内して」
 
 そのテーブルは、窓際の隅っこにある席だ。ここなら、人見知りの小日向さんでも話しやすいはず。
   
「綾瀬さん、エプロン姿可愛いね。似合ってるよ」
「あ……ありがとう……ございます」
 
 さすがの綾瀬さんも、悠の他意のない褒め言葉に照れたようだ。
 綾瀬さんがふたりを案内していく。すれ違い際、悠が俺にありがとう、とささやいてきた。席を隅っこにしたお礼だろう。
 近くを通りかかった奈々が、悠に気づいた。
 
「あれ、悠ちゃん? 一緒にいるのはお友達かな」
「悠のクラスメイトの小日向椿姫さんだよ」
「へえ。……んん! すごく可愛いっ」
 
 そういえば、小日向さんも奈々と同じ小動物系で通じる部分があるよな、と思ったけど口にはしない。
 
「でもちょっと元気ないような……?」
 
 初対面の上に遠目から見てもこういうところに気づけるのは、奈々の長所だろう。
 
「いろいろあるんだよ」
 
 演劇部から逃げ出し、碧乃樹池のほとりで悠に慰められてから、まだ1週間も経ってない。心の傷が癒えるのには、まだまだ時間がかかりそうだ。
 と、そこでお客さんから呼び出しがあり、奈々はそちらへ行った。
 母さんに悠が友達を連れて来たことを知らせると、「じゃあサービスしないとね」と嬉しそうに言った。そのとき、店の奥から母さんを呼ぶ声。俺にサービスの内容を言ったあと、母さんは裏へ消えた。
 悠と小日向さんの席へ向かう。ふたりはメニューを見ていた。はじめて来店した小日向さんに、悠がメニューの説明をしている。
 
「悠、母さんから伝言。ふたりともドリンクはサービスだってさ」
「え、また? もう、なんか申しわけないな」
「そういえば、前にセイラが来たときもサービスしてたんだったか」
 
 俺が熱を出して寝込んでいるときだ。セイラは後日、そのことに関して丁寧なお礼を言ってくれた。
  
「セイラがよくて小日向さんがだめってことはないな。小日向さん、気にせず好きなドリンク注文してね。今日のおすすめは、手絞りのオレンジジュース。これ、マジで美味しいから」
「あ……ありがとう。じゃあ、それで……」
 
 ほかの料理の注文も受けた。
 
「凜くん、綾瀬さんはどう? ちゃんとやれてる?」
「ばっちり。母さんも感心してたよ。あれならすぐに奈々を追い越す」
 
 ふふ、と悠が笑う。昨日俺が泣かせたことはもうこれっぽちも引きずってない。こういうところは本当にすごいと思う。
 席を離れた。 
それからしばらく、悠と小日向さんは静かに語り合っているみたいだった。もっとも、5時半を過ぎるとお客さんが増えてきて、あまりふたりの様子をうかがう余裕はなくなってしまったけど。
 そして午後6時を過ぎるとお客さんの数がさらに増えてくる。ピークは午後7時前後。今日は土曜日だから、あと30分もしないうちに満席になるはずだ。
 そんな中、また知り合いの来店があった。
 
「やあ凜。ごきげんよう」
「お、今度はセイラか。いらっしゃい……んん?」
 
 後ろに誰かいた。緋色の髪のサイドポニーテール。いまさらだけど、俺のまわりには特徴的な髪の色の人が多いことに気づく。
 
「柊さんも一緒?」
「こんばんは」
「こんばんは。まさか柊さんが来てくれるとは思わなかったよ」
「セイラに誘われたの。本場よりも美味しいイタリア料理を出してくれるお店があるって」
「それはありがとう。……なるほど、これが口コミってやつか。侮れん」
 
 セイラは楽しそうだった。ちゃんと青春している。見てないところでセイラがどういう生活をしているのか惺が心配していたけど、これなら大丈夫そうだ。
   
「凜、今度はセイラか、とはどういう意味だ?」
「ああ、さっきも悠が小日向さんを連れてきてね。ほら、あそこの席」
 
 ふたりの席を指さすと同時に、悠がこちらに気づいた。セイラが軽く手を振ると、悠も同じように応えた。
 
「椿姫もいるのか。……ふむ」
 
 なにか思いついたような様子のセイラ。
 
「せっかくだし、ふたりに相席を頼めないか? 紗夜華はどうだ」
「わたしは構わないけど」
 
 ふたりの席は4人がけだ。悠はともかく、小日向さんはどうだろう。
 
「あ、小日向さんとは1年のとき、同じクラスだったわ」
 
 俺の逡巡を察したのか、柊さんが言った。
 
「それは初耳だ。ちょっと訊いてくる」
 
 悠と小日向さんに確認すると、快諾してくれた。セイラたちにそれを伝え、席に案内する。
 
「小日向さん、久しぶりね」
「う……うん」
 
 柊さんと小日向さんは、そんなややぎこちない会話が繰り広げられる。この様子だと、1年のときもそんなに話さなかったようだ。やがて柊さんは悠に向いた。
 
「真城さんははじめまして……かしら。あなたの顔と名前はよく知っていたのだけど、話す機会はなかったわね」
「そうね。よろしくお願いします」
 
 笑顔で応える悠。影響されたのか、柊さんの頬も緩んだ。
 
「成績学年1位と2位、そして創樹院学園が誇る二大美少女が、ここに運命の邂逅を果たした」
「凜くん、なにそれ?」 
「ちょっと前に読んだラノベの真似」
 
 悠の隣に柊さん、小日向さんの隣にセイラが座る。
 
「なあ、あそこにいるのは美緒ではないか?」
 
 セイラは、向こうのテーブルの片づけをしている綾瀬さんに気づいたみたいだ。彼女がうちに来たのは昨日。さすがにセイラが事情を知っているはずがなかった。
 柊さんは先日、奈々の相談を聞いていて、綾瀬さんのことは知っているはず。興味深そうな視線を向けていた。
 
「いろいろあってね。悠、詳しい説明は頼んだ」
「え? ……あ、うん」
 
 悠なら、うまく話すだろうと勝手に想像する。
 仕切り直す。
 
「本日はご来店ありがとうございます。セイラと柊さんもドリンクはサービスになります」
 
 母さんにはにはまだ訊いてないけど、たぶん大丈夫。以前来たときなにを話したのか詳しくは知らないけど、母さんはセイラのことをかなり褒めていた。
 セイラと柊さんの注文を受けてから、母さんに伝える。
 
「あら、また来てくれたのね。あとで挨拶しておかなくちゃ……んふ。ねえ、あそこの席の美少女率、すごいことになってるわね。眼福、眼福」
 
 母さんは可愛いもの好きだ。たしかに言うとおり、美人系であるセイラと柊さん、可愛い系である小日向さん、どちらも兼ね備えたハイブリッド美少女の悠。さっき言った二大美少女を含め、たぶん創樹院学園の中でもトップクラスの美少女が集まっているのではないだろうか。よく見ると、周囲のお客さんから視線を注がれていた。
 奈々と綾瀬さんが戻ってきて、セイラと柊さんが来たことを伝える。
 
「うわっ、うわぁっ! 美緒ちゃん、あの席の美少女率すんごく高い!」
 
 めずらしく興奮している奈々。ちなみにこいつも母親譲りで可愛いもの好き。
 綾瀬さんは「そ、そうね」と、いまいち乗り切れない様子だ。
 
「美緒ちゃん、もう上がっていいわよ」
 
 と、母さん。
 
「……これからピークの時間帯って聞きましたけど」
「そうなんだけど、土曜日の夜はさすがに初日の子には荷が重いと思うのよ。今日は充分頑張ってくれたから」
「……そうですか」
「ついでに夕飯食べていって。今日はサービス。せっかくだし、あの子たちとご一緒したら? 席はつなげればなんとかなるし」
 
 綾瀬さんは複雑な表情をした。悠とセイラとはもう面識があるけど、小日向さんと柊さんとは初対面のはず。しかも4人とも綾瀬さんにとっては先輩。綾瀬さんはそういうのを気にするタイプではないだろうけど、ちょっとした気まずさは拭えないかもしれない。
 
「……ねえ母さん、奈々も上がっちゃだめかな」
「お兄ちゃん?」
「や、せっかくだし、おまえもみんなと食事したらって思ってさ」
 
 本当は、綾瀬さんも奈々がいたほうが気が休まるのではないかと思ったからだ。
 
「でも……人手は?」
「それはまあ、俺がなんとかがんばる」
 
 奈々が母さんを見る。申しわけないとは思ってるけど、その提案は魅力的らしく、瞳は淡く輝いていた。
 母さんはしばらく考え、うなずいた。
 
「わかったわ。たしかにこういう機会はあまりないかもね。事務の小林さんにスケット頼むから、心配しないで。ふたりとも着替えてらっしゃい」
「ありがとう、お母さん! お兄ちゃんも!」
 
 綾瀬さんも無言で小さく頭を下げた。
 ふたりがバックヤードに消える。
 
「凜ちゃん、ふたりのぶんまで働くことになるけど、よかったのかしら。大変よ?」
「大丈夫。…………た、たぶん」
「優しいお兄ちゃんだこと! じゃ、ちょっと行ってくるわね」
 
 母さんは悠たちの席に挨拶と、奈々と綾瀬さんのことを頼みにいった。断られるはずもなく、にこりとしながら指で丸を形づくって、俺に知らせてきた。
 2人がけのテーブルを、悠たちの席に寄せる。
 
「凜はまだ働くのか?」
 
 と、セイラ。
 
「うん。俺まで抜けちゃうと、さすがにまわらなくなりそうだから」
 
 綾瀬さんはともかく、手慣れた奈々まで抜けるのは少々厳しい。もっとも、事務の小林さんがサポートに入るし(事務もキッチンもホールもすべて担当できる超有能な人だ)、不可能ってほどではないから、俺もあんなこと言い出したわけだ。
 
「それにね……奈々と綾瀬さんを入れて6人か。6人の美少女に囲まれて食事するなんて恐れ多いこと、俺にはできないぞ。ばちが当たりそうだ」
 
 みんなが笑った。
 
「ふむ。あいつも呼ぶか」
 
 セイラのこの言葉に、悠のこめかみがぴくっと反応する。
 
「冗談だ、悠。そんな怖い顔しないでくれ。ちなみに、あいつとしか言ってないが誰を想像したんだ?」
「き、気のせいだからっ!? にやにやするの禁止!」

 そう言われても、俺とセイラは顔を見合わせてにやけてしまう。 
 悠の態度はツンデレでいうところのツンの部分かと思ったけど、さすがにそこまで口にするのは控えた。
 しかし、こんなハーレム状態での食事。いろんな意味で肝の据わった惺なら、難なくこなせそうな気がする。でもまあ、この6人の中に惺がぽつんといることを考えると、少し可哀想かもしれない。
 
「奈々と綾瀬さんはすぐ来るから。……あー、その、俺が言うことではないんだけど、後輩たちに悩みがあるようなら、しっかりと聞いてあげてほしい」
「バンドと、美緒の両親の件か。任せてくれ」

 セイラが胸を張って言う。

「期待してるよ。じゃあ――」

 席を離れる。 
 昨日の夜、海岸で悠と惺と話してわかったことがある。
 俺はきっと、どれだけうわべを取り繕っても、他人を救うことはできない。たぶん冷たい傍観者にしかなれないのだと、あのとき痛烈に悟った。


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