高速道路の直線に差しかかったところで、ギアチェンジ。
一気に加速する。
わたしの乗る大型クルーザー、グランフォルト社のフラッグシップモデル、フォースアテリアルPZXが、乗用車やトラックを次々と抜いていく。
アクセルをフルスロットルにしたいところだが、そんなことをすると法定速度の軽く3倍はスピードが出てしまう。高速道路とはいえ、日本の道路事情では本気を出せないのがこのクルーザーの残念なところか。とはいえ高速巡行では抜群の安定感だ。
そのとき、ヘルメットに内蔵された通信補助装置の電子音声が、わたしのスマートフォンに着信があったことを知らせてきた。スマートフォンと連動していて、このように運転しながらでも通話することが可能だ。
応答すると答えてすぐ、リスティの声が聞こえてきた。
『――もしもし、セイラ捜査官』
「どうした?」
『新たな報告があります。現在バイクに乗車中かと思いますが、よろしいですか?』
「問題ない」
『はい。まずは警察のほうに連絡し、セイラ捜査官が例の現場に向かうことを伝えました』
「それで?」
『そのとき聞かされたのですが、警視庁捜査一課の刑事がふたり、現場に向かっているそうです。なので時間的にセイラ捜査官と現場で合流するかと思います』
「そうか。わかった」
『あの、これは室長からなのですが……本庁の刑事はICISのことをよく思わない傾向があるから、あまり波風立てないようにしてちょうだい、とのことです』
要するにおとなしくしていろ、ということか。
日本の警察特有の、縄張り意識というやつだろうか。特にICISは警察の上位機関だから、警察としては我々が現場にいるとやりにくいという話を以前、詩桜里から聞いた。
「詩桜里のやつはそんなこと気にしてるのか? 彼女に伝えてくれ。わたしもそこまで大人げない行動はしない――」
『あ、はい』
「――ただし、売られたけんかは買う」
『セイラ捜査官……あの、この通話、室長も聞いているのですけど』
「む? それなら伝える手間が省けてよかったな」
『よくないわよっ!? あなたちゃんとわかってるの!』
「なんだ詩桜里、急に出てくるな。びっくりするだろう。事故でも起きたらどうするつもりだ」
『びっくりしたのはわたしよ! なんかあったとき謝るのはわたしなんだから、胃が痛くなるようなことはよしてよね!』
「わかった。帰りに胃薬買ってきてやる」
『そういう問題じゃない! ……はあ、もう……なんか疲れた』
「ふむ。栄養ドリンクもついでに買ってやろう。めっぽう高価なやつをな。感謝しろ」
『もういいわよ。お願いだから下手な真似はしないでね』
「なにが『下手な真似』なのかいまいちわからんが……まあいい。了解した、と言っておこう」
しばらく、応答がなかった。
『……もしもし』
「詩桜里はどうした?」
『室長はたったいま退室されました……なんかお疲れの様子で』
「そうか。まあ、あいつが疲れているのはいつものことだ。気にするな」
通話を終えると、いままで消音されていたエンジンの駆動音がわずかに響いてくる。もともと静かなエンジンだが、通話中はヘルメットの防音機構が働き、通話のみが耳に届く仕組みだ。
本庁の刑事がふたり。どういう人物たちかはまだわからないが、警察と合同で捜査に当たるのははじめてだ。詩桜里にはあんなこと言ったが、ここはひとつおとなしくしておこう。
――もちろん、相手の出方にもよるが。
八王子市にある、被害者堀江美代子が居住していたマンション。5階建てで、ねずみ色の外装をしている。築十数年で新しくも古くもない、これといって特徴のない建物だ。
クルーザーは外の駐車場に停め、マンションの玄関口で管理人に素性を明かし、オートロックを解除してもらった。
ロビーからエレベーターに乗り、4階へ上がる。管理人の話では、防犯カメラは正面入り口とロビー、それからこのエレベーター内部と地下駐車場の計4カ所に設置しているそうだ。エレベーターの天井に、小さなドームをひっくり返したようなカメラが備えつけられている。エレベーター内部に関しては、死角はないだろう。
4階に到着し、管理人に教えてもらったとおりに進む。すると、制服姿の男性警官がひとり、ドアの前に立っているのが見えた。わたしが近づいていくと、訝しげな視線を送ってきたので身分証を提示した。
「あ、ICIS捜査官? あなたが?」
「話は聞いていると思うが」
「はい。失礼しました。鍵は開いています」
彼がドアを開けてくれた。
「本庁の刑事はまだ?」
「はい。まだお見えになっていません」
「わかった」
「あの、中はひどい有様です。覚悟したほうがよろしいかと」
わたしが女だからか、気を遣ってくれたらしい。ありがたいことだが、わたしには無用の心配だ。
袋状のビニールをふたつ取り出し、ブーツの上に装着させる。これで土足でも立ち入ることができる。
部屋の中に足を踏み入れた。
しんとした廊下。すでに血のにおいが漂っている。
部屋の間取りはすでに頭の中に入っている。リスティが用意してくれた資料の中に、ちゃんと間取り図が存在していた。
廊下の右側はトイレとバスルーム。左側は6畳ほどの小部屋。ちらっとのぞく限り、物置として使っていたようだ。
そして廊下の突き当たりには、リビングへつながるドアがある。
ドアを開けると、強い臭気が鼻をついた。入ってすぐ左側はキッチン。近くには四角いテーブル。それから少し離れたところにはソファとローテーブル。部屋の角にはテレビが置いてある。
さすがに遺体や肉片は片づけられているが、部屋の至るところにこびりついた血痕までは消せない。いわゆる特殊清掃を徹底的にやらないと、においも消せないだろう。
壁や天井、それに絨毯や家具に残る黒く変色した痕跡は、凄惨な光景の余韻を残している。
注視しつつ、中を歩いてみた。
血のりのべったりとついた木製の書棚が目に入る。腰の高さほどで幅もそんなにない小型のもの。彼女の専門分野である薬品に関する書籍がぎっしり詰まっていた。昨今は専門書でも電子書籍が主流になっているにもかかわらず、この蔵書の数はめずらしいかもしれない。几帳面な性格なのか、本は五十音順に並んでいる。
その中に、数冊だけ専門外の本があった。
不妊症に関する書物だ。
ひとつを手に取ってページをめくってみる。不妊症の原因から治療法、対処法などが記されたものだ。残りも似たような内容だった。堀江美代子が不妊症だったという情報は、まだ聞いてなかった。
彼女が不妊症を治療した上で妊娠したのなら、産婦人科にかかってないのはやはりおかしな事実だ。そもそも自らが不妊症であること認知するのに通院はかかせないし、一般人が病院以外で治療できるところなどない。
――いや、そう考えるのは早計か。
彼女が勤めていた製薬会社は、原料の遺伝子や構造を精巧に書き換え、より効果的で安全な薬品を製造することに関していくつもの特許を所有している。そのため遺伝子工学に明るい大学や研究機関とのつながりも強かったはずだ。〈神の遺伝子〉に関わっていた事実も含めて、一般的な医療機関にかかってなくても、自らが不妊症であるとわかるようなつながりがどこかにあるのかもしれない。
とりあえずそれらの推察は置いておいて、隣の部屋に足を踏み入れる。リビングとつながった右の部屋は寝室だった。シングルベッドの横には化粧台が寄せられている。ほかには衣類が入っていると思われるタンスと背の低いチェスト。そして窓際には、ガラス製の洒落たパソコンデスク。
「……パソコンは押収されてないのか」
デスクの上には同型のディスプレイがふたつ並んでいる。パソコン本体はデスクの下に収納されていた。幸いと表現していいのか、ここまでは血も肉片も飛んでこなかったようだ。
チェアに座り、パソコンの電源を立ち上げる。数秒でデスクトップ画面が表示される。手始めにスペックを調べてみた。
「贅沢だな……」
このパソコン、個人所有のわりにはスペックがやたら高い。自作パソコンのようだが、わたしの推算では50万近くの費用がかかったはずだ。
ハードディスクの中をいろいろ調べてみる。
特に目を引くものはなかった。プログラムに関する専門書の電子書籍をまとめたフォルダ、音楽のデータが収納されたフォルダ、ダウンロード販売されたテレビ番組のフォルダなど、これらも中は書棚のようにきれいに整理されている。仕事に関するデータをまとめたフォルダも存在したが、特に不審な点は見られない報告書や発注書などだけだった。
パソコンが押収されなかったのは、事件とは関係ないと思われたからだろう。一昔前の捜査では、パソコンなどの電子製品はほぼ押収され、鑑識が徹底的に調べるのがふつうだった。しかし、捜査技術は日進月歩で発達している。よほど高度な代物だったりおかしな点がない限り、現場検証の場で電子機器の調査を終わらせるのは最近の鉄則だ。
しかし、相手はいわゆる理系女子。パソコン内部にあったプログラムに関する書籍は、かなり難易度の高い内容を扱ったものだ。つまり、堀江美代子に高度なプログラムの知識があったとすると――
ポケットからタブレットを取り出して、パソコンとケーブルでつないだ。それからタブレットの中のプログラムを起動させ、パソコンに検索をかける。このプログラムはわたしオリジナルのものだ。
と、そのとき。
廊下とリビングをつなぐドアが開き、ふたりの人物が姿を現した。
ひとりは男性。長身でがっしりとした体格。グレーのスーツ。短めの黒髪は、整髪料でしっかりと整えられている。彫りが深く、たくましい顔立ちで、歳はまだ若い。しかし、年齢以上の貫禄と存在感がある。
もうひとりは女性だった。ベージュのジャケットとタイトスカート。胸まで伸びたさらさらの黒髪。可愛らしい顔立ちをしている。制服を着ればまだ学生だと称しても通用しそうだ。
ふたりとも年齢は詩桜里と同じ――二十代後半くらいだろうか。ふたりはわたしの存在を認め、一瞬だけ眉をひそめた。
「ICISの捜査官とはあなたか?」
男性のほうが問うてきた。
わたしはチェアから立ち上がり、彼らのほうへ歩み寄る。
「ICIS特別捜査官、セイラ・ファム・アルテイシアだ」
身分証をかざしながら、名乗る。
「……星蹟第2分室?」
身分証をじっと見つめ、男性のほうが眉根を寄せる。
「失礼、なんでもない。しかし驚いた。まさか女性だったとは。しかもかなり若い」
「おふたりが本庁からの?」
「ああ失礼、申し遅れた。警視庁捜査一課の立花だ」
胸ポケットから取り出した警察手帳をかざし、わたしに見せた。
「同じく、沢木です」
「立花警部に沢木警部補か。よろしく」
その若さで警部と警部補ということは、ふたりともいわゆるキャリア組だろう。
「アルテイシア捜査官は、パソコンを調べていたのか。なにか見つかったか?」
「いや、いまのところは」
なにかあれば、もうすぐ結果が出る。
「パソコンはうちの鑑識が徹底的に調べて、特にめぼしいものはないという話でしたけど」
そのときタブレットが検索終了の音をあげる。にやりとしたわたしを、ふたりは不思議そうな瞳で見つめてきた。
「パソコンの中に隠しデータがあった。けっこう大きな容量だな」
「えっ、どういうことですか?」
「ハードディスク上に、簡単には見つからないよう断片化してカモフラージュしたデータがあったんだ。ハードディスクの使用容量と空き容量も偽装されている。通常の検索方法ではまず見つからないな。……ふむ。たとえるなら、100キログラムの塩の中に混ざった、100グラムの砂糖を見つけ出すようなものだ」
「え、そんな代物を見つけ出したんですか……?」
信じられないといった素振りの沢木警部補。
「データの中身は?」
立花警部は冷静だった。
「完全に暗号化されているな。これはさすがにここでは解読できない」
本部の専門家に頼まないと解読は困難だろう。もちろん解読自体はわたしでもできるが、いかんせん地味な作業で面倒くさい。
「そのデータ、こちらにもまわしてもらえると助かるんだが」
「容量が大きいから、まず本部へ送って……それからデータ解析ののち、本部の了承を得てからになるが構わないな?」
「……ああ。それで構わない」
わたしの予想では、このデータはきっと警察にはまわらない。データの中身は不明だが、おそらくうちの上層部がストップをかけるはず。〈神の遺伝子〉に関する情報が含まれているのなら、なおさらだ。
立花警部は神妙な顔をしている。これも予想だが、彼はICISの動きや考え方をある程度予測しているのではないだろうか?
ケーブルをはずし、タブレットをしまう。データはもうコピー済み。パソコンの電源を落とした。
チェアから立ち上がり、血塗られたリビングを見渡す。この場所で、このデータ以上のものが見つかるだろうか。
「アルテイシア捜査官、あなたはどこまで事件の概要を把握していますか?」
と、沢木警部補。
リスティから聞いた概要をかいつまんで説明する。
「――ここまでで、わたしが知らない情報はあるか?」
「そうですね……まず、マンションの防犯カメラの映像から、不審人物は発見されていません。出入りしていたのはここの住民、あるいはその知り合いや友人、郵便や宅配便の配達等々。それらすべての裏付けは取れてます」
「非常用ドアと階段は? あそこには防犯カメラがなかったはずだが」
「はい。カメラはありませんが、すべての階の非常ドアの開閉は管理人室のコンピューターに記録されています。事件が発生したと思われる時間帯とその前後に、不審な点はありませんでした。記録が改ざんされた可能性もありません」
部屋の南側に位置する窓際へと立った。血しぶきの痕跡が痛々しい白いカーテンと窓の向こうはベランダだ。窓の鍵を開けて、外に出た。ざっと見まわしても、ベランダに変わったところはない。
「わたしの見た現場写真では、この窓は開いていたと思うが、間違いないか?」
「窓ですか? ……ええ、間違いないです……ぅぷ」
タブレット端末を取り出し、沢木警部補は答えてくれた。口もとを押さえながら。
「沢木、いい加減慣れたらどうだ? それじゃこの先やっていけないぞ」
「そんなこと言ったって、こんなグロテスクな画像、どうすれば慣れるのよ……あ、ごめんなさい。アルテイシア捜査官がごらんになった写真は、これですか?」
タブレットをわたしのほうへ向ける。
「ああ。それだ」
「アルテイシア捜査官も大丈夫なんですね……」
「その写真は鑑識が入る前のものだと思うが」
「はい。状況があまりにも不可解だったので、鑑識が入る前に、現場が発見されたそのままを記録したものです。普段の事件ではあまり例がないのですけど、わたしたちの直属の上司がそう指示したんです」
「ほう。その上司は優秀だな」
おかげでありのままの現場をこの目で見ることができた。
「……アルテイシア捜査官、この窓が気になったのか?」
高い知性の宿る双眸で、立花警部が問うてくる。
「ああ。玄関の鍵は閉まっていたが、窓は開いていた。つまり、この現場は密室のたぐいではないということはわかる」
「そう。たとえばマンションの屋上からなんらかの方法で犯人がこの部屋へ侵入して、被害者をなんらかの手段で殺害――といったシナリオでも、一定の説得力はある。正直なところ、防犯カメラの目をかいくぐる方法はいくらでもあるだろう。死角が皆無というわけではないからな――だが、そもそも被害者がなぜあのような姿になって死んだのか、そこが完全に不明なんだ。殺人、自殺、事故、そのどれも否定できるような材料もなく、肯定する決定打もない。不可解極まる事件だ」
「警部。これはやはり、星術を使ったものでは?」
と、沢木警部補。これに対し、立花警部は困ったように目を細めた。
「消去法ではそれしかないように見えるが、しかし確証が――」
立花警部がわたしに向いた。
「星術犯罪に精通した専門家は、日本にまだ数人しかいないんだ。いま協力を要請しているが、いつになることやら。初動捜査としては致命的だ」
星術が使用された犯罪を捜査するには、かなり専門的な知識が必要だ。専門家本人が術者である必要性も高い。しかし現代においては、星術がロストテクノロジーになりつつある。そのため星術犯罪の専門家が時代を追うごとに減少していくのは、日本だけでなく全世界規模での懸案事項となっていた。
爆弾が使われてないとなると、たしかに星術しか答えはないように思える。
しかし――
「――この事件で星術は使われていない」
断言したわたしを、ふたりが訝しげな視線で見つめてくる。
「この部屋には、魔力の残滓が残ってない」
魔力の残滓とは、星術を行使したときに発生する空気の変質の総称。拳銃発射時における硝煙反応とイメージするとわかりやすい。だが、硝煙反応と違って魔力の残滓は科学的に感知できない。星術の訓練を受けたことがない一般人も、その大多数は認識できない。だからこそ専門家が必要なわけだ。
「アルテイシア捜査官、あなたはもしかして、星術の心得が?」
と、立花警部。
言葉で説明するよりも見せるほうが早いと考え、懐からボールペンを取り出し、手のひらに乗せる。
意識と精神を集中させて、強く念じる。するとボールペンが空中に浮き、軸を中心にしてくるくると回転した。それを目の当たりにした立花警部と沢木警部補は、大きく目を見開いた。
さらに念じると、ボールペンが内側から爆ぜる。しかし破片やインクは必要以上に飛び散らず、空中で制止した。
星術の理を用いた観念動力。星術習得における基礎のひとつ。応用が利き、バリエーションも豊富だ。
「もしも要請している専門家がここまでの星術を扱えるのなら、わたしと同じ結論に達するだろうな。ちなみに、その要請はもうキャンセルしても構わないぞ」
「は、はじめて見ました……」
これは沢木警部補。立花警部も「驚いたな……」と、二の句を告げないでいる。
粉砕したボールペンをティッシュに包んで、ポケットにしまった。
「さて。そうなると話は振り出しだな。おふたりとも」
「ああ。星術が使われていないのなら、被害者はどうやって死んだ?」
「先ほどの会話で気になったのだが、警察はやはり、殺人、自殺、事故という3つのパターンでこの事件を見ているのか?」
「……どういう意味だ――?」
立花警部の瞳が光る。
――そのとき、誰かのスマートフォンに着信。
「あ、わたしです。ちょっと失礼――」
沢木警部補が少し離れたところに移動して応答する。受け答えから察するに、警察関係者からの連絡だと思われる。しばらくしてから戻り、彼女は立花警部に耳打ちした。
「やはり……か」
「ええ。秀明――いえ、警部の想像どおりですね。九条警視も同じようなことをおっしゃっておられましたが」
「なにか新情報か?」
「えっと――」
沢木警部補が立花警部に視線を送る。立花警部は軽くうなずいた。
「鑑識からの報告です。被害者の遺体についてなのですが――」
「遺体の質量が足りなかったか」
「えっ、ど、どうしてそれを?」
「最初に写真を見たときから気になっていた。わたしの目算では、この部屋に散らばっていた遺体は、被害者の身長や体重から推測される全体の質量から、およそ40パーセントほど欠落しているはずだ」
「……驚いた。アルテイシア捜査官の言うとおりです」
「それで、胎児のほうはどうだ?」
と、立花警部。
「それが――」
沢木警部補が言いよどむ。わたしはその続きを予測して言った。
「胎児の遺体らしきものも、発見されなかったのだろう?」
「は、はい。DNA検査の結果、この部屋で発見された遺体は、被害者堀江美代子さんのものだけで、胎児の痕跡はまったくなかったそうです」
「アルテイシア捜査官の慧眼には感服するな。それにしても、行方不明の胎児か。意味深だな」
立花警部があごに手を添えながら言う。
「アルテイシア捜査官、先ほど言いかけたことだが」
「事件の見方について?」
「話が早くて助かる」
立花警部の眼差しが、さらに鋭く光る。興味を誘われたように、わたしに言葉の真意をうながした。
「この事件は、先ほど警部が言った3つのパターン――要するにいつもどおりのやり方と視点では解明できないだろう。わたしが察するに、不可解極まりない現実でも受け入れて、もっと俯瞰して見るべきだと思う」
「ほう――つまり、殺人でも自殺でも事故でもないと?」
強いて言うなら「現象」だろうか。しかしわたしはあえて無言を返した。いまの問いに答えられるほどの確証を、わたしは持ち合わせていない。
「アルテイシア捜査官、きみの言うとおりだとすると、わたしは自分の常識というもを根底から覆さないといけないわけだ」
「ふふ……あなたなら可能だろう。立花警部」
「え? あの、ちょっと、どういうこと? ふたりとも、説明してください!」
「沢木にはあとで説明する。……ここにはもう用はないか。沢木、次に行くぞ」
「被害者が勤めていた製薬会社ですね。わかりました……アルテイシア捜査官はどうします?」
「ふむ。わたしもご一緒願いたいところだが――そちらはおふたりにお任せする」
わたしには以前、その製薬会社の最重要機密に触れた「前科」がある。触らぬ神に祟りなしという言葉を信じるなら、ここはおとなしく引き下がったほうがいいだろう。
それからわたしたちはお互いの連絡先を交換し、現場をあとにした。