新学期が始まり、暦の上ではもう秋。まだまだ残暑は厳しく、日向にいると汗が噴き出す。
しかしこの場所は快適だ。紗夜華の根城はいつ来ても、温度も湿度も快適に保たれている。
根城の主である緋色の髪の乙女はモバイルパソコンを前に、その柳眉を寄せていた。見覚えのあるパソコンだと思っていたら、「姉のお古なの」だそうだ。
「どう? 書けそう?」
と、凜。
いまこの部屋にはわたし、凜、紗夜華、椿姫の4人がいる。
「……もうちょっと具体的なほうが助かるかしら……」
紗夜華は近くのホワイトボードを見上げた。これは教室にある電子ホワイトボードではなく、アナログなやつだ。
ボードには先ほどまで話し合われていた企画会議の内容が、みっちりと書かれている。つまりは脚本の内容。大まかな内容に関しては、ここにいる4人で決めることにしていた。
「たしかに、いろいろ案は出たけど、内容に関してはちょっとふわっとしてるね」
凜が言う。
ボードに書かれている案というのは、要するにミュージカル全体のコンセプトだ。「エンターテインメント性を強く」「わかりやすさ」「複雑になりすぎない」などなど。凜の言うとおり、劇そのものの内容について言及しているものは少ない。
「もう少し詰めてみるか?」
わたしが提案すると、小日向さんが手を上げた。
「あの柊さん、脚本の書き方なんだけど」
「書き方? 内容じゃなくて?」
「うん。当て書き、っていう書き方があって」
当て書きというのは、演劇業界では一般的に見られる脚本の執筆方法だ。出演する役者が最初から決まっているような場合に、その役者をイメージしながら執筆するというもの。椿姫いわく、テレビドラマではわりとポピュラーなやり方だとか。
「それは知らなかったわ。それなら、このあいだ一緒に観に行った舞台は?」
「あれはちょっと複雑かな。当て書きなんだけど、リバイバル上演なの。だからお父さんが、新しい役者さんに合わせて、役柄や台詞をちょっと変えたって」
「へえ……プロってすごいわね」
「今回は出演メンバーがほとんど決まっているから、当て書きでいけそうだね。キャラクターの全体像ができあがってから、ストーリーを考えるとか」
と、凜。
「わたしがほとんどやらないやり方ね。けど、役柄を全部わたしが決めていいの?」
「んー……俺は構わないと思うけど、セイラは?」
「わたしも構わないと思うが。念のため、あとでみんなに確認してみるか」
「それから、いきなり脚本執筆に入るんじゃなくて、一度プロットをあげてもらったほうがいいかな。そっちのほうが修正しやすいと思う」
凜の提案に「了解」とうなずく紗夜華。
そのとき、自動ドアが開いて悠がやってくる。
「お疲れさん。どうだった?」
凜が言うと、悠はやや含みのある笑顔を浮かべた。
椿姫が紅茶を淹れる。いつの間にか紗夜華から淹れ方を教えてもらっていたようで、その動きによどみはない。
「大丈夫そう」
有志で演劇祭に出演するための手続きなどは、すべて生徒会所属の悠に一任していた。
「ただね、条件がいくつかあって。まず、顧問の先生を見つけること。生徒主導のイベントだけど、監督役の先生はいてほしいんだって」
「それって、誰か引き受けてくれるのかな」
「どうだろう。秋はイベントも多いから先生も忙しいだろうし。まあでも、見つけてからじゃないと話が進まないってことはないから、企画と同時進行でいいと思う」
「ほかには?」
「予算の話。これがちょっと大変かな。わたしたちって、部活動の後ろ盾がないでしょ?だから予算がほかより少なくなると思うの」
演劇祭の参加団体にはある程度の予算が分配される。たとえば演劇部なら、部活動費としてもともと持っている予算と、演劇祭で分配される予算を合わせて使うことができる。わたしたちは演劇祭で分配される予算しかないから、そのぶん不利になることは明白だった。
「椿姫、演劇においてお金がかかるのはどの部分だ?」
「えっと……演者さんのギャラや小屋の使用料金だけど、今回それは発生しないから……衣装とか小道具、大道具の費用かな……?」
細かいけど、積み重なっていくと馬鹿にできない金額になるの、と椿姫は付け加えた。
「それで、結局予算っていくらなの?」
と、凜。
そして悠が口にした金額に、わたしたちはかなり驚いた。
「うわっ、少なっ! それでなにしろって?」
「そもそも、部活動に関わってない生徒が演劇祭に出演するのって、いままでほとんどなかったらしくて」
「なるほど。それなら問題になってないのもうなずけるね……ねえねえ柊さん。お母さんの口沿いで、なんとかならないかな?」
「無理でしょうね。うちの母、そういうの大嫌いだから」
母は曲がったことが大嫌い――それは詩桜里もよく言っていた。
「だよなあ……じゃあ、自腹? あれ、自腹ってありなの?」
「だめじゃないんだけど、ちゃんと申請して許可をもらわないと。お金がからんでくるから、さすがに厳しいみたいだよ」
一同が黙る。
頭の中ですぐに話をまとめたのか、凜が切り出す。
「ひとまず、柊さんはなるべく早くプロットを仕上げて。可能ならいくつか案があってもいい。小日向さんは柊さんへアドバイス。もちろん、状況に応じてほかのメンバーに相談するのもありだからね」
劇の内容が決まらないと、衣装の真奈海も音楽の美緒も動けない。
「悠には顧問の先生を探してもらうってことでいいかな?」
わたしたちの中で、もっとも教師陣に顔が広いのは悠だろう。
悠はわかった、と爽やかな笑顔を添えてうなずいた。
「俺とセイラは……どうしよう。いまのところ仕事がないような。まさか待機するわけにもいかないし」
「わたしに心当たりがある」
「そう?」
「手の空いているほかのメンバーに伝えてくれ。しばらく筋肉痛の覚悟をしてくれ、と」