Extrication 01

 ICIS日本支部の地下には、凶悪犯罪者を収容する専用の部屋と器具が備えつけられていた。密閉の室内は、壁も天井も光沢のない白灰色に覆われている。窓はなく、外部につながるのは正面のドアと、天井に備わった吸気と換気のための小さな通風口がひとつずつあるのみ。
 部屋の中央に、頑丈な拘束具が設置されていた。
 無骨な椅子と、そこに人を縛りつけるためのアーム状の拘束具。どちらも人の手では破壊できないレベルの頑丈さ。警視庁の留置場で惺が縛られていたそれとは、比較にならない強度がある。
 創設以来、この部屋が使われたことはない。ここに投獄するような凶悪犯が、幸か不幸か日本にはいなかったためだ。
 いまこうやって、セイラが束縛されるまでは。
 
「……ぅ……っ」
 
 思考が泥のように定まらない。薬の影響だ。ICISはもちろん、セイラが高度な星術を会得していることを知悉している。その脅威を取り除くためには、彼女の意識を消失させるか混濁させるしか方法がない。
 拘束具で固定され、体はまったく動かない。椅子の背もたれに接続された金属製の硬いヘルメットのようなもので鼻から上を覆われ、視界もさえぎられている。
 まどろみの中で考える。
 しかしなにもまとまらない。薬の影響で思考力は著しく低下していた。
 拘束されてからどれくらい時間が経過しただろう。体内時計も無茶苦茶で、普段のセイラだったら一発で見抜けるようなことも、いまはできない。
 正面の自動ドアが開き、誰かが入ってくる気配。
 
「――――?」
 
 入ってきた人物が、ゆっくりと近づいてきて立ち止まる。
 
「ずいぶん情けない姿をしてるじゃねえか」
 
 野太い男の声。
 なけなしの理性を振り絞り、セイラは声を紡ぐ。
 
「レ……レイ……ジ?」
「まさか詩桜里ちゃんに薬を盛られるとは思ってなかったか? はんっ、元シュルスの暗殺者が聞いてあきれるぜ」
 
 男――雨龍・バルフォア・レイジは、セイラを睥睨しながら言った。
 地震発生時、レイジは出張で台湾にいた。だが帰国しようにも飛行機は日本へ飛ばない。海上の船舶も同じ。さらに異種化が本土で本格的に発生後、外交のあるほとんどの諸外国が、日本への渡航を禁止していた。
 
「帰ってくるのに苦労したぜ。んで、やっと帰ってこられたと思ったら、今度はおまえさんが穴ぐらのお姫さんと化している。これは茶番か?」
「……し……詩桜里にも……っ……理由が……」
「ほんとにおまえは弱くなったな。……まあいいさ。おまえがこうやってくだを巻いているんなら、俺はなにも言わねえぜ。真城惺がどうなってもいいんだったらな!」
「な……に?」
「あのいけ好かねえイケメンお坊ちゃんは、警察に捕まったよ」
「な――っ!?」
「裏で政府が動いているのは間違いねえな。まあ要するにあれだ。真城悠の身代わりってところか。双子の兄妹なら、一卵性双生児じゃなくても遺伝子は近い。人体実験するにはもってこいだ」

 くっくっく、とあざ笑うレイジ。ここに来るまでに彼は様々な情報を得て、すべての事情を把握していた。
 
「つまり……悠の……身になにか……?」
「聞いてねえのか。真城悠は行方不明だよ。輸送中にヘリごと消えた。搭乗員は全員東京湾にぷかぷか浮いていたそうだ。それ以上の手がかりはまるでねえ」
「――――っ!? ぐぁあああああ――っ!?」
 
 もがくセイラ。しかし、拘束具がそれを許さない。
 
「さあどうする。おまえはここでおとなしく見てるか? 愛する男が、政府のおもちゃにされるさまを」
 
 まあ、見ようにもその状態じゃ無理かと付け加え、レイジは豪快に笑い飛ばした。
 
「ば――馬鹿に――馬鹿にするな――っ!?」
  
 びしっ――と。
 拘束具に亀裂が入る。
 星術の理をほとんど知らないレイジでも、室内の空気が変質していくことに気づいた。
 セイラはなけなしの思考能力をさらに振り絞り、自分に投与された薬の正体を探る。効果や症状、拘束されてから注射で投与された回数――ヒントは、多すぎるほど存在していた。

 ――なぜあきらめていた!
 わたしはここまで軟弱者だったか!

 自分に対する怒りが活力に変換されていく。徐々に覚醒していく思考の中で、セイラはやっと「答え」にたどり着く。
 そのあとは簡単だ。薬の成分に対抗する物質を体内で生成。血液を通じて全身に循環させる。セイラの有する膨大な知識と、高度な星術行使能力が合わさってはじめて可能な星術――
 解毒星術〈ディスペル〉――人体に悪影響のある毒素を浄化する、昨今ではついに見られなくなった、高度な医療星術体系のひとつ。
 セイラの意識が、ついに覚醒された。
 
「はぁぁ――っ!」
 
 どんなに頑丈で剛健でも、星術に対する耐性がなければ紙と同じだ。
 次の瞬間、拘束具が爆散した。むろん、セイラの肉体は傷ひとつついていない。
 警報が響きわたる中、レイジは笑った。
 そうこなくっちゃな――と。
 
「レイジ。感謝する」
 
 それまでの情けなさを完全に払拭するほど、セイラの声には覚悟と強い意志が宿っている。
 
「ふん。――ほらよ」
 
 レイジが手に持っていたもの――セイラ愛用のジャケットを放り投げた。こうなると予想して、わざわざ回収していたものだ。
 それを身につけたセイラが、妖艶で凄絶な表情を浮かべる。
 
「わたしは自分の信念に基づいて行動する。レイジ、ICISを裏切る覚悟はできてるか?」
 
 レイジは笑い飛ばした。


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