光の世界は激しいうねりをあげていた。うねりは奔流となり、空間を縦横無尽に蹂躙している。
その中を凜は漂っていた。上下左右のない空間で、上下左右に引っ張られながら。
近くに悠が浮かんでいた。一糸まとわぬ裸身。金髪が光と一緒に踊っている。彼女の意識は、世界の奥底で眠っていた。
凜は手を伸ばした。
「――ぐっ!?」
しかし反発する奔流に巻き込まれて、徐々に離れていく。
「悠っ!?」
こんなわけのわからない世界で、悠に自分の声が届いているのだろうか。それでも凜は、力のある限りもがき、悠の名を叫び続けた。
やがて悠のまぶたが、ゆっくりと開く。
「り……凜……くん?」
「悠っ!」
「だめ……こっちに来ちゃ、だめ……」
「悠、手を伸ばして!」
凜がそうすると、悠も恐る恐る手を伸ばしてくる。
あと少し。
もう少し。
そして手と手が触れあう。
だがその刹那、光の奔流が暴れ出した。
悲鳴をあげるふたり。だが凜は悠の手を、必死につかんでいた。
光の奔流に意志があるように感じる。悠を渡さない、という強い願望。それが星核炉の願いなのか、なぜそんな願望を有しているのか凜にはわからない。
手を離しそうになった。
もう離さないと決めたはずなのに。
ふたつの竜巻のような奔流が現れ、凜と悠を引き離そうと暴れ出す。いつ体が千切れてもおかしくないほどのうねり。ふたつの奔流はやがて収斂し、ひとつの巨大な奔流へと生まれ変わる。
「も、もう――離すものかぁっ!」
凜は最後の力を振り絞って、悠を引き寄せた。
必死にしがみついてくる悠を、全力で抱きしめる凜。
「――よくやった、凜!」
いつの間にか現れていたセイラが、ふたりを包んだ。凜と悠の楔となるべく、その身を挺して。
光の奔流がさらに強まっていく中、3人は必死に耐えた。
しかしつかの間、奔流が弱まる。
3人が目を開けると惺がいた。優しく微笑んでいるその表情を見て、3人は心の底から安堵する。
「――さあ、戻ろう」
惺が手を差し伸べる。
凜とセイラに背中を押された悠が、その手を取った。
惺の能力は、この光の世界の「出口」を知覚している。そして4人はまるで魚のように自由に泳ぎながら、この「世界」の果てを目指した。
◇ ◇ ◇
「り――凜――」
「…………ん」
凜が目を覚ますと、目の前にセイラの顔があった。疲れ切っているが、なにか成し遂げたような充実感を伴っているようだ。
凜自身も、いまだかつて経験したことがないような虚脱感に見舞われていた。
「ここは……?」
「星核炉の中だ」
大樹もなければ、光の奔流もない。完全な現実世界の質感。周囲を見渡してみても、見覚えのない無機質な場所だった。
広大な空間。建物の中で、至るところで瓦礫が散乱している。建物が崩壊する前はどんな様子だったのか、まったく想像できなかった。
「体は大丈夫か?」
「う、うん」
凜は上体を起こした。
ぼんやりと上を見ると天井が半壊していて、切りとったような空から陽光が差し込んでいる。
セイラは周囲を見渡し、やがて重い調子でつぶやいた。
「……まさか……星核炉とは――」
「……セイラ?」
「いや、なんでもない」
「そうだ悠っ! 悠は!?」
「無事だよ」
ほら、とセイラは瓦礫の山に視線を向けた。
数メートルの高さに積もった瓦礫は、崩れた天井のなれの果てだろうか。
その上で、惺に抱きかかえられた悠が静かに眠っていた。悠の裸身には、惺の上着がかけられている。
セイラと凜はお互いの肩を支えながら、ふたりの場所まで歩いていく。
「悠は?」
セイラが問いかけると、惺は優しく微笑んだ。
「眠っているだけだ。問題ない」
よかった、と脱力する凜。その瞳から、大粒の涙がこぼれた。
「……ん……」
やがて、悠のまぶたがゆっくりと開く。
「……惺……?」
「おはよう、悠」
「ここは……」
「星核炉の中」
「――――」
「遅くなって悪かった」
はっと気づく悠。聡明な彼女は、自分の置かれている状況を一瞬で飲み込んだ。
「だめ――っ――わ、わたしが犠牲にならないと、星核炉が暴走して――!」
なぜ星核炉が悠を求めたのか、なぜ悠でなくてはいけないのか、少なくともこの場にいる誰も知らない。しかし悠は、理屈を超越したところでその真意を悟っていた。
「まだそんなこと言ってるのか。だいたい、星核炉の暴走はもう終わってるんじゃないか?」
「でも……でもっ……そうしないと世界がっ!」
惺の指が、悠の額を弾いた。「あうっ」と声をあげる悠。
「じゃあなんで、『たすけて』なんてメールを送ってきた?」
「そ、それは――」
自分でもどうすることもできなかった、感情の発露。
「それに……ずっと黙っていたな。寿命のこと」
「――――」
「家族に隠し事をするんなんて、悠がいちばん嫌いそうなのに」
「だ、だって……だってぇ……っ」
悠の瞳からも、大粒の涙がこぼれた。
惺は悠の涙を拭った。
「全部話すよ」
「惺……?」
「父さんやクリスのこと……なにがあったのか、全部。もう黙ったりはしない」
「惺……っ」
惺の腕に抱かれ、悠は至高の幸福感に包まれた。
そして気づく。
ずっとこうしてほしかったのだと。
誰よりも惺に、こうして「たすけて」ほしかったのだと。
「世界なんかどうでもいいんだ――」
惺のやわらかな声が、悠の心に響いて染みわたり、全身を駆けめぐっていく。
「世界なんかより、悠が大切だ。悠のいない世界なら、滅んでしまって構わない。そう思って、ここまで来た――」
悠の涙は、とどまることを知らない。
「悠、きみを愛している」
悠の慟哭を、陽光が照らし出す。
4人はなんとなく、空を見上げる。
蒼穹は抜けるように高く、大小様々な雲が気持ちよさそうに泳いでいた。