強き悪を挫き、弱き善に救いの手を差し伸べる。
たとえ敵対し、血で血を洗う争いを繰り広げていたとしても、「彼ら」は敵に憎しみや、そのほかの激情を抱くことはありえなかった。
存在するのは哀しいまでに純粋な博愛精神。そして人間に対する深い慈愛。圧倒的な武力を有していながら、その強い信念と矜恃は揺るがない。シディアスの騎士が「世界の守護者」として認知されている所以である。
だから彼らは敵を殺さない。殺さずに敵を無力化する。光をまとう剣戟と光の矢は、そんな彼らの信念を体現する象徴であった。
――だがシディアスの騎士は、人間以外の敵には容赦がない。
まばゆい空色の光をまといながら、鋭い刃が奔る。
刃に両断された金属製の「それ」は空中で真っ二つとなり、そのまま後方の壁や床に叩きつけられた。
前方から近づいてくる低い駆動音に気づき、刃の持ち主――クリスティーナ・レオンハルトは剣を正眼に構えた。
シンプルな形状の長剣は、「準騎士」になった際に父から送られたもの。真っ直ぐな刃には絶えずまばゆい光が宿っており、炎のように揺らめいている。
あの誘拐監禁事件から6年――クリスは17歳になっていた。顔立ちに幼さはまだ残るが、まとう雰囲気は大人びて落ち着きを放っている。緑がかった長い金髪はハーフアップにまとめられ、肉体も精神もいままさに、大人の女性へ変貌している最中だ。そんな体を包むのは濃紺のオーバーコート。
クリスが鋭く見据える先で飛んでくるのは、3機のドローンだった。4つのプロペラを有するマルチコプターで、機体下部には小口径の銃口が備わっている。数秒前にクリスが両断した「それ」も同じ機種である。
合わせて3つの銃口が、クリスを標的に定める。しかしクリスは動じない。鋭く強く息を吸うと同時に、目の前の敵に全神経を集中させる。
次の瞬間、3つの銃口がいっせいに火を噴いた。連射能力の高い短機関銃。無数の弾丸が驟雨となってクリスに襲いかかる。
だが、銃弾がクリスに届くことはなかった。
「はっ――!」
短い呼吸とともに繰り出される斬撃が、弾丸を次々と斬り落とす。斬れないと即座に判断した弾丸は巧みな動作で回避した。固定標的とされないよう、踊るような足さばきで1秒と同じ場所にはいない。
クリスの緑がかった長い金髪が、彼女の動きに合わせて宙を舞っている。身にまとう濃紺のオーバーコートの裾も翻り、彼女と一緒に踊っているようだった。
その動きは完成された剣舞のようであり、もしもドローンに心があったのなら、その美しさに見とれていたかもしれない。
あるいは、クリスの人間離れした所業に恐れおののくか。
どちらにしてもそれから10秒と経たず、クリスの剣舞は終わりを告げる。
弾切れだった。ドローンは小型で、装填されている銃弾の数は限られている。もともと長時間の戦闘を想定してない設計だと、クリスも薄々ながら気づいていた。
攻撃手段を失ったドローンは、もはやただの空飛ぶ金属のかたまりに過ぎない。それを自覚しているのかわからないが、ドローンは困ったように空中を漂っていた。
「もう遊んでいる時間はないの――」
言いながら、クリスは剣を大きく振りかぶる。
そして、裂帛の気合いとともにそれを振り下ろす。その軌跡をなぞるようにして、剣に宿っていた光と同色の衝撃波が発生。
目にもとまらぬ速さで前進する光の奔流。それが情け容赦なく、ドローンに襲いかかった。
1機目のドローンは直撃を受けバラバラに分解、その近くを飛んでいた2機目は衝撃波に吹っ飛ばされ、後方の壁に叩きつけられて動かなくなった。
運よく衝撃波から逃れていた3機目が、クリスに突進してくる。なにやら嫌な警告音を発しながら。
――自爆!
クリスの直感がそれを感じとり、すぐさま剣を向ける。
「――クリス、伏せて!」
背後からの声に迅速に反応したクリスは、膝を折ってしゃがみ込む。
その頭上を、一条の矢が通過した。
鮮烈なオレンジ色の光を放つ矢。それがドローンの胴体のほぼ中央に吸い込まれた。制御回路を貫かれたドローンは、またたく間に行動不能になって床に墜ちる。
ほどなくして、ひとりの女性が歩いてきた。
茜色の髪が特徴の美女、レイリア・レビンソン。23歳になり、6年前の事件の際にはまだ残っていたあどけなさはもうない。完全に垢抜け、大人の女性へと変貌していた。
レイリアは弓弦の部分が矢と同じ色合いの光で構成された弓を持っている。周囲に危険はないと判断してから軽く念じると、その光は消えた。ゆるやかに湾曲した弓身は、彼女が身にまとう白銀色のオーバーコートと同色の輝きを放っている。
ドローンの残骸を見つめているクリスに、レイリアが尋ねた。
「どうしたの?」
「ここまで来て、襲いかかってきたのはドローンだけ。人間の敵とは遭遇してない。こんなに広いのに、おかしいと思わない?」
「……たしかに。中東かどっかのテロ集団がさ、ドローンや無人爆撃機だけを駆使して、無人で軍隊と戦ったって話を聞いたことあるけど……悪の地下組織も人手不足に悩んでいるとか」
それはどうだろうとクリスは思う。
彼女たちがいるのは現代的な質感の廊下だった。大型車が通れそうなほどには広く、壁や天井、床は無機質な白っぽい金属で作られている。窓はなく、天井に等間隔に設置されたライトが唯一の光源だ。
ここで考えていても仕方がない。ドローンが現れた方向に向かって、ふたりは歩き出す。
しばらく進んだ頃、クリスがぽつりと言った。
「こんな施設、誰が造ったんだろうね」
「さあ。ものすごく文明の進んだ宇宙人とか、未来人の研究施設じゃない? 映画でよくあるでしょ」
「まさか……」
「だってここ、氷河の真下だよ。いままで誰もここの存在知らなかったってなると……あと考えられるのは、太古に滅びた超文明の遺産とか」
もちろんレイリアも本気で言っていない。しかしそうとでも考えないと、この不可解な場所は説明できなかった。
1年中氷に覆われた世界の極地、南極大陸。そのとある地域の地下深くに存在していたのが、人工的で大規模なこの施設だった。
不意にクリスが立ち止まる。T字路の交差点。クリスたちから見て左右の方向に伸びている通路と、正面に扉があった。扉は開け放たれ、中から異臭が漂ってくる。クリスとレイリアは軽く目配せをしたあと、それぞれ武器を構えて中に突入した。
倉庫とおぼしき部屋だった。無数の棚が並んでおり、そこには大小様々なダンボール箱が所狭しと並んでいる。
「――っ!」
クリスが棚と棚のあいだに倒れている人影を発見した。白衣を身にまとい、こちらに背を向けている男性らしきシルエット。
クリスはゆっくりと近づき、前にまわり込んだ。
「きゃぁっっ!?」
悲鳴をあげたこのときばかりは、さすがのクリスも年相応の反応だった。握っていた剣を思わず取り落としそうになる。
男性は完全にミイラ化していた。年齢は不明だが、その表情が凄まじい。まるでこの世界でもっとも恐ろしいものでも目撃したかのように、目と口を大きく見開いたまま事切れていた。
レイリアはクリスを見て肩をすくめる。
「想像できるでしょうに。『上』も一緒だったんだから」
「だ、だって、あれは写真で見ただけだから……レイリアは大丈夫なの?」
「まあ、見てて気持ちのいいものじゃないけどね」
そう言いながら、レイリアはミイラ化した彼の白衣などを探り、身元を示すものを探した。だが見つからず、次に周囲の棚のほうに目を向ける。
「特に変わったものはないようね。缶詰に飲料水に……あ、この箱、メイド・イン・ジャパンって書いてある」
「……宇宙人や未来人や過去の人類が、現代の日本製品を使うの?」
「まあ、日本製品はおおむね良質って噂だからね」
だからなんなの? とクリスは視線で訴えるが、レリイアに黙殺される。
それからふたりで室内の環境をひととおり確認した。しかしミイラ以外に変わったところはなく、クリスたちは部屋をあとにした。
直後、右の通路から別のチームが現れた。男性騎士と女性騎士のツーマンセル。ふたりともレイリアと同じく、コートの色は白い。
どちらもレイリアの同期で、男性のほうはティアース・ハルメリア。若手の剣士の中では随一とされる実力の持ち主だ。
「ティアース先輩、なにか見つかりましたか?」
クリスの問いかけに、ティアースはうんざりするような表情を浮かべ、癖の強い栗色の髪をかき上げながら答えた。
「ひとつ上の階層に、動物園みたいな檻がたくさん並んだ部屋があってさ。いろんな動物が中で死んでた」
「まさか、ミイラ化して……?」
ティアースは首を横に振る。
「いいや。むしろ、そのほうがまだわかりやすかったかな。アーシャ、あれ見てもらったほうが早い」
黒髪ポニーテールの女性――アーシャ・フォセットが、スマートフォンを取り出してクリスたちに見せる。
クリスもレイリアも絶句した。
映し出された1枚の写真。心底嫌そうな表情でティアースが立つ横に、檻のような鉄格子があり、その奥に巨大ななにかが見える。白と黒のまだら模様。
「これ……牛? カメラのおもしろ機能かなんか使って撮ったの?」
レイリアが訊くと、アーシャは首を横に振った。
「こんな状況でそんなことしないよ。大きさの比較としてティアースに立ってもらって、そのまま撮影したんだよ」
「参考までに、俺の身長は183センチメートルな」
檻の中にいるのは牛で間違いなかった。ただし、死んでから時間が経っているからか、それなりに腐敗が進んでいる。
なにより奇妙なのはその大きさだった。もともと縦長の牛の顔が、長身のティアースの身長とほぼ等しい。もちろん胴体はそれ以上に大きく、写真に収まりきってない。明らかに通常の牛の10倍以上の体積がある。
「ほかにも豚や鶏、羊らしき動物もいたな。鶏なんて、ダチョウくらいの大きさだったよ。……ステーキ何人前だって話だが、俺もアーシャもしばらく肉は食えないな。あの腐臭はいまだに鼻にこびりついてる」
腐臭を想像したのか、アーシャが鼻をひくつかせた。
あることを思い出したクリスがティアースに尋ねる。
「そう言えば蒼一は? たしか先輩たちと一緒でしたよね」
「腐敗動物園を見つける前、途中に分かれ道があってね。蒼一さんはそちらに進んだ」
「ひとりで?」
「ああ。なにか探してるみたいだったけど。あの人ほどの実力があれば、むしろひとりのほうが動きやすいんじゃないかな」
「そんな勝手な……通信機も使えないのに」
騎士たちはみな片耳にインカムを、襟もとに小型のマイクを装着している。しかしこの施設内部でそれは使えない。高度な技術による通信妨害が施設全域に施されているためだ。
それから4人は一緒に奥へ進んだ。通路は下の方向へと伸びていて、進むごとに気温が低くなっていくのは4人とも気づいていた。
しかしクリスだけ、物理的な寒さ以外にも、得体の知れない「悪寒」のようなものを同時に感じていた。