1-5

 翠碧色の光は弾けた直後、すぐに引いていった。
 クリスが倒れているのを最初に発見したのはレイリアだった。まだぼんやりとする頭を片手で押さえながら、彼女はクリスに駆け寄る。
 何度か声をかけるが、返事はない。しかし気を失っているだけのようで、抱きかかえると息があるのがわかる。
 ほっとしたのもつかの間。なんとなく周囲の様子を観察しようとして視線を泳がせたとき、その光景が飛び込んでくる。
 ここに来てから何度目かわからないほどの衝撃に、レイリアは我が目を疑う。ほかの騎士たちも同様な感覚で、それを見ていた。
 台座の上にあった光球はその輝きをほとんど失い、消えかけていた。そんな最後の輝きの中に、人のシルエットが浮かんでいる。
 やがて、そのシルエットは明確な人の輪郭を描いた。
 
 生まれたままの姿の、ひとりの少年。
 
 光が霧散し、消滅していくのと入れ替わりで出現した。宙に浮かんでいた少年の裸体は、ゆっくりとその場に降下していく。
 その不思議な光景の中で、真っ先に動いたのは蒼一だった。彼は台座に駆けのぼり、少年の体を受け止めた。
 このとき全員が、蒼一の心底驚いた表情をはじめて見る。真城蒼一という人間は常に冷静で、いつも世界のすべてを知悉しているかのように深い理性に満ちた瞳をしていた。
 そんな彼の瞳はいま大きく見開かれ、表情も驚愕を隠せていない。レイリアたちはある意味、少年が現れた事実よりも蒼一の様子のほうに驚いていた。

「やっと……やっと見つけたよ……」

 蒼一が誰にでもなくつぶやいている。
 レイリアは、近くにいたアーシャにクリスを任せて立ち上がり、台座に近づいていた。

「――っ!?」
 
 レイリアは三重の意味で驚いた。
 ひとつ。蒼一が少年を抱えながら、涙を流していること。彼が澎湃と涙を流している姿など、この場にいる誰もが想像してみたことすらない。
 ふたつ。少年の髪の色が淡い亜麻色であったこと。
 そして最後。穏やかな寝顔で眠る少年は、幼いながらもとても端正な顔立ちをしていた。
 誰が見てもひと目でわかる。
 少年の顔立ちは、いまその子を抱きかかえている男性とよく似ていた。

 ◇     ◇     ◇

 
 仮設シェルターのベッドに寝かされたクリスの表情は、時間が経つにつれて穏やかなものに変化していった。最初はかなりひどくうなされていたが、それもだいぶ前に収まっている。
 レイリアは隣のベッドに腰かけ、丸1日眠り続けるクリスの寝顔を見つめていた。
 そのとき、背後から足音が近づいてくる。レイリアが振り返ると、コーヒーカップをふたつ持った蒼一がいた。彼はお疲れさま、と言いながらカップのひとつをレイリアに渡す。
お礼を言ってからコーヒーを口にすると、レイリアの脳内で様々な光景が思い出された。
 地下の大規模な研究施設。その内部や周辺ではミイラ化した死体がごろごろと転がっており、巨大化した家畜の死骸もあった。
 ドローンと戦った。
 下層には雄大な大森林が広がり、そこでは巨大な虫たちと大決戦を繰り広げた。
 最下層では光る湖が幻想的な光景を作り、人体実験のなれの果てとおぼしき醜悪な光景と混ざって、もはや筆舌に尽くしがたい環境にあった。
 そして最後、光球から謎の少年が出現した。
 この数日のあいだにいろいろなことがありすぎて、情報が脳内で大渋滞を引き起こしている。次になにかとんでもないことがあったら、脳がショートして煙が出るわねとレイリアは確信した。
 
「あの少年は?」 
「いま医療カプセルの中で眠っているよ。意識はまだ戻ってないが、肉体的には健康だったな」
「それで、あの子は何者なの? なんで蒼一にそっくりなの?」
「……話さないとだめか?」
「当たり前でしょ。あの場にいたみんなが気になっているんだから。クリスは気を失っていたから、あとでちゃんと説明しないと」

 蒼一はコーヒーを口にしたあと、観念したように大きく息を吐いた。 

「あの子は……生き別れたわたしの息子だよ」
「…………」
「驚かないんだな」
「もう充分驚いてるから。それに、だいたいそんなところじゃないかってみんな予想してたし。けどさ、あなたの子どもは日本にいる娘さん……ユウちゃんだっけ? その子だけじゃないの?」

 レイリアは蒼一の娘――真城悠と直接の面識がないが、写真は見たことはあった。鮮やかな金髪の可愛らしい子。クリスと並んで写ったその写真を見る限り、知らない人が見たら姉妹にしか見えないだろう。
 蒼一はしばし沈黙に沈む。

「言ってなかったからな。だって、『実は息子もいたんだが、生まれてすぐ誘拐されたんだ』なんて説明できるか?」
「それ……本当?」
「悠の双子の兄に当たる。名前は惺」
「……アキラ……」

 名をつぶやいた声は、予想外のところから発せられていた。
 いつの間にか目を覚ましていたクリスが、泣きそうな表情でふたりを見つめている。

「どうして……話してくれなかったんですか」
「クリス! いつから聞いてたの?」
「蒼一の、『生き別れたわたしの息子だよ』のあたりから」

 クリスが上体を起こすのを、レイリアが手伝った。そのときふと気づく。

「あれ……あの子が現れたとき、あなたもう気を失ってなかった?」
「そうだけど、なぜかぼんやり見たのを覚えてるの。蒼一が男の子を抱きかかえている光景を」
「……そう」

 クリスが蒼一に、懇願するような眼差しを向けた。
 
「ねえ蒼一、そのことを知ってるのは?」
「クリスの身近ではきみの両親だな。ふたりは最初からすべてを知ってる。ただし、クリスには言わないよう、わたしから頼んでおいたんだ」
「どうして――!」
「無用な心配をさせるだけだったし、いずれ語るときが来るにしても、まだそのときではなかった」

 たしかにそんな事実を伝えられても、クリスにはどうすることもできなかっただろう。だから黙っていたというのは理屈の上では理解できるが、感情では受け入れがたい。
 あふれてくる様々な感情を抑えながら、クリスが聞いた。
 
「悠はそのこと……?」
「あの子は知らない。生まれてすぐ誘拐されたと言っただろう? 覚えているわけがない」

 誘拐という不穏なキーワードに、クリスの心は穏やかでない反応を抱いた。
 それを察した蒼一が先まわりして言う。

「クリスが誘拐されたのは6年前。惺が誘拐されたのはそれよりも前だな。時期も場所もばらばらだが、そのあいだでも世界中の子どもたちが誘拐され続けていた。つい最近までな。――そしてそれらの事件はすべて、一本の線でつながっている」
「じゃあ、管の中のあれは、やっぱり――」

 蒼一は静かに首肯した。
 
「わたしたちがあの場所にたどり着いたとき、あの脳たちはまだ生きていたはずだ」
「――っ!?」
「クリスは『声』を聞かなかったか?」
「ま、まさか、蒼一もっ!?」
「ああ。あんな悲痛な叫びは聞いたことがない。ほかにも様々な感情が流れ込んできた。レイリアはどうだ?」
「あたしはなにも……でも、なんか負の感情があの空間に渦巻いていたのはわかる。ティアースとか、ほかのみんなもそんな感じだって言ってた。……ねえ、『まだ生きていた』ってことは……」

 蒼一は残念そうに首を横に振った。
 
「現時点ではすでに死んでいるよ。ひとつ残らずね。魔力が暴走して、例の光球が弾けて惺が出現したまさにその瞬間、『全員』同時に力尽きたようだ。もっとも、肉体を完全に失っていたから、仮に生きていても手の施しようがなかったが」

クリスもレイリアも深く嘆いた。気の強いレイリアですら瞳に涙を浮かべ、嗚咽をこらえている。
 
「どうして……どうして子どもたちなんですかっ!?」

 蒼一は淡々と説明する。

「成長段階の子どもの脳のほうが、魔力を感知しやすいんだ。大人になると感性が鈍るというだろう? 『魔力指数』についてもそれが当てはまる」

 魔力指数とは、世界に満ちる魔力を感知する能力の度合いである。単純に「魔力が高い、魔力が低い」などと呼ばれている概念だ。現代において、先進国では生まれた直後に赤子の魔力指数を測定していることが多い。いまでは先進国のほとんどが、生まれてくる国民ほぼすべての魔力を把握し、戸籍と同じように個人情報として記録していた。
 蒼一はさらに語る。
 ことの始まりはおよそ15年前にさかのぼる。その頃から、世界中で子どもが行方不明になる謎の事件が相次いで発生するようになった。被害者は生まれたばかりの赤子から、年長でも10歳くらいまで。性別や国籍はまるで関係がなかった。
 被害者唯一の共通点が、潜在的な魔力指数の高さだった。
 もちろん各国の捜査機関は、子どもたちの捜索に全力を挙げた。しかしすぐ、暗礁に乗り上げることになる。証拠や手がかりがまるでなく、行方は完全につかめなかった。
 ところが10年ほど前に一度転機が訪れる。執念の捜索と捜査の結果、子どもたち誘拐に強く関与している思われる重要人物の名が判明した。

「ソーントン・ヴィクター博士……」

 レイリアが忌々しそうにその名を口にする。クリスは黙ってうつむいたままだった。

「そう。やがて彼の居場所を突きとめ、その制圧は我々シディアスが担った。もう気づいていると思うが、そのときの作戦を指揮をしたのはわたしだよ」

 ヴィクター博士はすでに行方をくらませていたこと。当時の研究所の地下に、無数の死体――すべて子どもたち――が転がっていたこと。その死体から、脳髄と脊髄が抜き取られていたこと――
 それらを説明し、蒼一がため息交じりに言葉を結んだ。

「……あれは本当に、本当に無惨だった」

 疑問を抱いたレイリアが質問する。

「10年前ならまだあの子……惺くんは生まれてないよね? 娘さんと双子ならたしか8歳でしょ? あたしの妹と同い年だから覚えてる」
「実は8年前くらいから、また誘拐事件が再開し始めたんだ。惺はそのほぼ最初期の被害者だな。で、いままでの一連の誘拐事件と関係あることにはすぐに気づいた。つまり、ヴィクター博士が再びどこかで暗躍し始めたってことに」
「惺くんも、魔力指数が高かったの?」
「……ああ。個人の魔力指数の情報は各国で厳重に管理されているが、どこからか漏洩したんだろう。それに、魔力の高い者なら近づいただけで、だいたいの潜在能力がわかるものなんだ。たとえば、クリスの潜在的な魔力はかなり高い」

 魔力の高い低いは、いわゆる印象でしかない。初対面の人を見て、優しそうだとか性格が悪そうだとか、そのようになんとなく浮かんでくる漠然とした印象。それに近い感覚的なものだ。
 クリスの魔力が高いことは、レイリアも初対面のときから感じていた。

「――しかしどれだけ捜しても、惺はこれまでの子どもたちと同様に見つからなかった。日本に神隠しという言葉があるが、まさにそれだよ」
「ちょっと待って。あのときはあたし、まだ見習いだったからよく知らなかったけど、どうしてクリスのときだけ居場所がわかったわけ?」
「あのときだけは毛色が違ったんだ。あの誘拐犯たちは、命じられて誘拐を実行しただけの下っ端でね。しかもまだ組織されたばかりで未熟だった。報酬に目がくらんで次々と子どもたちをさらったはいいが、致命的な証拠や手がかりを残すはめになっていた」
「じゃあもし、あのときクリスやあの子たちを救出してなかったら――」

 その先を、レイリアは言うことができなかった。あの氷底湖の壁に並んでいた光景を思い出せば、答えは明白だ。
 しばしの沈黙の末に、クリスが嗚咽をこらえられなくなる。彼女の背を優しくさするレイリアの頬にも涙が走っていた。
 ふたりが落ち着いた頃を見計らって、蒼一がおもむろに口にする。

「ひとつ不思議なことがある。魔力の暴走が途中で収まったように思えることだ」
「途中でって……あれで? ていうか、そもそも魔力の暴走ってなに?」
「通常だったら一定の秩序を保ち、無害な魔力が文字どおり暴走することだよ。なにが起こるのか予想つかなくて、そもそも自然界ではめったに見られる現象ではない。電力に変換する装置がなんらかの不具合を起こしたか、それともあの子たちの『意識』がなんらかの異常を来して――」
「ああ、待って! もう脳が焼き切れそう!」
「――まあ、詳しいことはよくわからない。ただ、わたしの予想では、もしも昨日のあれが完全な形で暴走していれば、地上で待機していた騎士たちがみんなミイラになっていたと思うぞ」

 レイリアがはっとする。

「地上の観測基地――そういえば、もっとも近いところでも数十キロ離れてたよね。つまり…………あれ、どういうこと?」
「つまり、魔力の暴走は全部で2回あった。1回目の暴走は1ヶ月前。そのときは完全な形で暴走し、その影響は広大だった。数十キロ離れた観測基地にたまたまいた、不運な人間たちを巻き込むくらいにな」
「2回目の暴走が、昨日のあれ?」
「そういうことだ。ただしあれは不完全な暴走で――もっとも、起因となる『子どもたち』が弱っていたっていうのもあったかもしれないが、どちらにしても効果も限定的だったんだろう。わたしの推測では、あの氷底湖の中だけで済んだんじゃないか? ――そしてそれで済んだ要因は、クリスにあると考えている」

 これまでしばらく黙っていたクリスが、やっと口を開いた。

「……わたしですか?」
「クリスは、わたしが展開していた〈マテリア・シールド〉の外にいただろう。なのに無事だった。しかも、なにか気になることを口走っていた覚えがある。クリスはなにか覚えているか?」
「いえ。わたしも無我夢中で、あまり……あ、でも、ひたすら謝っていた気がします」

 レイリアが目を細めた。
  
「なんで?」
「だってわたしは――まだ見習いだけど、シディアスの騎士だから。かつてあなたや蒼一、父さんがわたしにそうしてくれたみたいに、救い出してあげたかった……でも、できなかったから」
「それは! クリスのせいじゃないでしょう!?」
「そうだけど……でも」

 レイリアはクリスを抱きしめた。

「あなたは本当に優しいんだから……っ」
「わ、わたしは――」
「なあクリス」

 蒼一がクリスの肩に手を添えた。
 
「たぶん、きみの祈りがあの子たちに通じたんだろう。そうじゃなかったら、我々全員がミイラになっていたかもしれない。惺も助かっていたかどうか定かではない」
「――っ」
「だから祈ろう。あの子たちの魂の救済と、来世での幸福を。それから、あの地獄を生き延びた惺の未来が、輝かしい祝福で満たされるように。あの子はきみに救われたんだよ」
「――っ――!」

 クリスの頬を、ひと筋の涙が駆ける。だがそれは、先ほどまで止めどなくあふれていた、哀しみに満たされたものではない。
 涙は熱く、未来に対する希望を抱いていた。
 クリスはその希望が犠牲になった子どもたちに届くように、ただひたすら祈っていた。


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