紛争はその後も続き、すでに11月の後半に差しかかっていた。
 ただし、シディアスにとって戦況は好ましい方向へ向かっていた。エクスウォード各地でステラ・レーギアをシディアスの精鋭部隊が撃破。かの組織に不法占拠されていた街や村落も、徐々に解放される運びとなっている。観念した敵の投降も増えており、ステラ・レーギアの瓦解は時間の問題と考えられていた。
 そんなある日、午後6時を少しまわった頃。作戦本部となっている仮設シェルター内部には、100人近い数の騎士たちが集まっている。ほぼ最前列にクリスやレイリア、ティアースなどの面々が立っており、ミーティングが始まるのを待っていた。

「緊急ミーティングだなんて、いったいなんだろうね」

 レイリアの問いかけに、クリスは無言を返した。
 
「クリス、なんか怖い顔してるよ。……便秘?」
「……さっきから、なんか嫌な予感がして。そわそわするの」
「えぇ、あなたの予感ってけっこう当たるからなぁ。勘弁してよ」
「以前の戦いのとき、部隊長が言ってたことがずっと気にかかってるの。アンセム様が奇跡を起こすってなんのこと?」
「アンセムって、ステラ・レーギア首魁のアンセム・カインヴァーンのことでしょ。なかなか見つからないって噂ね……奇跡がどうとかは、追い詰められたあの男の妄想なんじゃないの?」
「そうだといいけど……」
「それより、蒼一はまだ来ないの?」

 クリスが父の頼みを蒼一に伝えてから、すでに半年が経過している。クリスは蒼一がすぐに復隊してくれるのだろうと考えていたが、そうではなかった。 

「詳しくは知らないけど、いろいろやることがあるみたい。あ、でも、もうフォンエルディアには入国してるよ」

 母から惺を預かったと、1週間ほど前に連絡があった。

「ふーん。でもさ、このままだと、蒼一が来る前に紛争終わっちゃうんじゃない?」
「それならそれでいいんじゃ――」
 
 クリスが言いかけたと同時に、前方の入り口から禿頭の黒人騎士が入ってくる。クリスをはじめ、この場にいるすべての騎士が姿勢を正した。
 入ってきたのは指揮官フィリップ・ブロンソン。南部アフリカ出身の屈強な男だ。彼は険しい表情をしながら、一段高い壇上へのぼった。
 大型モニターを背景に、フィリップが告げる。

「連日の戦闘で疲れている諸君には申し訳ないが、かなり悪い知らせがある――」

 フィリップは言葉を一度切り、一同を見渡してから続けた。

「――アストラウスで掃討戦を繰り広げていた第4中隊が、全滅したとの一報が入った」

 一同に緊張と動揺が走るのは一瞬だった。
 アストラウスとは、現在クリスのいる場所から北東へ20キロほど離れた場所にある街の名称だ。ただし現在は廃墟となっていて、誰も住んでいない。

「話はそれだけではない。――これを見てくれ」

 室内が暗くなると同時に、フィリップの背後にあった大型モニターが映像を表示する。真っ先に映し出されたのは、赤と黒のローブを身にまとった男だった。男はカメラに収まりきらないほどの巨漢で、興奮して真っ赤になった丸顔は破裂寸前の赤い風船のように見える。
 男がカメラに顔を寄せ、醜悪な面相が画面を支配した。すると、至るところから女性騎士たちの小さな悲鳴があがる。
 この男がステラ・レーギア首魁のアンセム・カインヴァーンであることを、全員が知悉していた。このような容貌ながら謎のカリスマ性を持ち、構成員たちが心酔していることも把握している。

『シディアスの犬どもに告げる! 我々の要求はただひとつ! 不足する食糧と水を無償で提供すること! このエクスウォードの地からただちに撤退すること! そして我々の支配を正式に承認し、フォンエルディアからの独立を認めることだ!』

 ひとつではないじゃないか、などと心の中で突っ込む騎士たちをあざ笑うようにしながら、彼は続けた。

『貴様らに拒否権がないことを証明してやろう!』

 画面がいきなり切り替わり、広大な空間を映し出した。壁や天井が大きく崩れ、至るところに瓦礫が散乱しているどこかのアリーナ。観客席の上のほうから中央のフィールドを映しているようだった。
 複数の人影がまとまってぼんやりと映っている。やがてカメラが徐々にフィールドへ寄っていき、人影の輪郭をはっきりとさせた。
 クリスたちは度肝抜かれた。
 猿ぐつわを噛まされ、手足を縛られたシディアスの騎士たち。ざっと15人ほど。ほとんどが正騎士以上を示す白のオーバーコートだが、数人ほど、濃紺のオーバーコートを着た若い準騎士が混ざっている。彼らは苦々しい表情で、カメラのほうを見つめていた。
 
『貴様らの撤退が明日の午後6時までに確認できない場合、彼らの命は散ることになるだろう。……シディアスの犬どもは魔力が高いと評判だからな。この不毛な大地の養分となってくれるだろう……くっくっく……がっはははははははっっっ――!』

 あまりにも歪んだ嗤いを残して、映像が途絶える。
 クリスの嫌な予感は当たってしまった。

◇     ◇     ◇

 
 作戦本部の周辺には大小様々なシェルターやテントが設営され、そのあいだを騎士たちが忙しそうに駆けまわっている。 
 午後10時を過ぎた頃、クリスは陣営の片隅、テントの横に置かれた木箱の上に座っていた。彼女の表情は暗く、手に持つコーヒーはすでに冷めている。だがクリスがそれに気づいている様子はない。 

「ここにいたんだ」

 レイリアがテントの物陰から現れた。しかしクリスの返事はなく、レイリアは首を傾げる。

「……泣いてたの?」
「――――」
「いいのよ。あたし相手になにを隠す必要があるの。クリスってさ、我慢強いのはいいけど、一度涙腺が緩むと一気に崩壊するわよね」

 レイリアがクリスの隣に座る。
 
「あのアリーナは、アストラウスの外れにあったもので間違いないって。あと、捕まっていたのは、やっぱりそこに派遣されていた騎士たちの一部みたい」
「……一部?」

 アストラウスに派遣されていた騎士はおよそ60人。映像で確認できたのは、その4分の1だった。
  
「残りの消息はまだわかんない。いま、偵察部隊がアストラウスに行って調査しているってさ」
「……そう」
「まあ、そんな事実がわかってもしょうがないよね。でもクリスが悩んでるのって、このことだけじゃないよね?」
「え――」
「もう何年あなたの姉兼親友兼先輩やってると思ってるの? 舐めないでよね」

 クリスは冷め切ったコーヒーを飲み干したあと、カップを置いてレイリアを見つめた。

「あの映像に映ってたみんなを見て、レイリアはどう思った?」
「どうって……そりゃあ、憤りとか、怒りとか。早く助けてあげたいっていう気持ちとか……? うまく言えないけど、そういう感情」

 本心だった。
 だが次のクリスの言葉が、レイリアの心を深く鋭くえぐる。
 
「あの中に自分がいなくてよかったって、少しでも思わなかった?」 
「――っ!? そ、それは――」
「思わなかった?」

 クリスの瞳に秘められた強い感情を垣間見て、レイリアはごくりとのどを鳴らす。長い付き合いの中で、クリスがここまで強い感情を剥き出しにすることは数えるほどしか見たことがない。これは生半可なことは答えられないとすぐに悟った。

「……少し思ったかも。心のどこかで」

 これも本心だったと、レイリアは答えてからはじめて気づく。逆に「クリスは?」と聞き返してみた。
 予想に反して、クリスはうなずいた。
 
「わたし、真っ先にそれを思っちゃったの」
「えっ」
「そして同じ気持ちを抱いたのは、今日がはじめてじゃない。前にも一度あった……いままで誰にも話したことなかったけど」

 クリスの瞳から、涙がこぼれた。

「南極の地下……氷底湖の奥深くで『子どもたち』を見たとき」
「――っ!」
「レイリアや蒼一が来てくれなかったら、わたしもあの中に並んでいたかもしれないって考えたら……11歳のとき、あの死神――アヌビスに大鎌を向けられた瞬間に、わたしは一度、自分の命がそこまでだって本気で悟ったの。でもわたしは助けられて、こうして生きてる。『ああ、わたしは生きててよかった。でも死んじゃった子たちは気の毒だったよね。運がなかったよね』……心のどこかで、そんなふうに考えちゃうの。けど、そんなこと考えちゃう自分が卑しくて、情けなくて……もうどうしていいかわからなくなったっ!」
「クリス……っ」
「蒼一が言ってたでしょ。あの子たちの魂の救済と、来世での幸福を。でもそんなこと、わたしが祈っていいはずがない! こんなわたしが、死んでいった子たちのなにがわかるっていうのっ!」
「クリス!」

 レイリアに両肩を強くつかまれてはじめて、クリスは我に返った。
  
「――っ――ご、ごめんね……つい」
「いいのよ。もしかしたらクリスは、シディアスの騎士としては優しすぎるのかもね」
「――――。……向いてないのかも」
「違う。そこがあなたの短所でもあり、長所でもある。昔、うちの母さんが言ってたんだけどね。『心から傷ついて、全力で泣いて、それでもめげずに立ち上がったやつだけが本当に優しくなれるんだ』って」

 レイリアがにやっとする。

「『だから冗談で生きてるようなやつはさっさとくたばれ!』だってさ。過激でしょ」
「う……うん」
「あたしはそれ、本質だと思う。クリスが優しいのはこれまで全力で傷ついて、泣いてきた経験があるから。そして立ち上がってきた。それは誰にでもできることじゃない。だからあなたは、世界一優しいシディアスの騎士になりなさい」
「え……?」
「別に強くなくてもいいのよ。たしかにあなたのお父さんは最強の代名詞だけどさ、娘のあなたまでそれを目指す必要はないと思うわよ。むしろ、お母さんのほうを目指しなさい。アデリアさんが世界でいちばん優しい女性だって、娘のあなたならよく知ってるでしょ」
「…………」
「要するに、あなたは基本的にいまのままでいいってこと。ただし、もうちょっと気を強く持ちなさい……ちょっ、クリス、なんで笑ってるの?」
「だって、レイリアが真剣に慰めてくれるのって、かなりめずらしいから」

 急に恥ずかしくなったレイリアの頬が、髪の色よりも鮮やかな茜色に染まる。

「ありがとう、レイリア」

 レイリアの恥ずかしさを吹き飛ばすような極上の笑みを浮かべ、クリスが言った。
 
「え、あ、うん……どういたしまして」

 あたしが男だったらいまこの瞬間に押し倒してるよなー、などとふと思ったが、空気を読んで言わなかった。

「――あ、見つけた!」
 
 そのとき突然この場に駆け込んできた人影。黒髪ポニーテールを揺らしたアーシャだった。

「血相変えてどうしたの?」

 レイリアが聞くと、アーシャは表情を曇らせた。

「偵察部隊が戻ってきたの。アストラウスで捕まった騎士以外は……第4中隊の半数以上は……現場で死亡が確認されたって」

 どこかで予想はしていた。それでもふたりとも唇をぎゅっと噛みしめる。
  
「それも大変だけど、ステラ・レーギアが新しい動画を公開したの! これの内容が……とにかく、ふたりとも至急作戦本部まで戻って!」


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