最上階はほかの階よりも損傷が激しかった。至るところで天井が崩れ、空が見える。
 濃紺の幕に宝石をちりばめたような夜空。それがわずかに白み始めているのは、夜明けが近いことを示している。都会では見られない絶景だが、いまのクリスにそれを気にしている余裕はない。
 クリスとレイリアが武器を構えたまま走る。やがて施設南側の隅に位置する部屋にたどり着いた。
 もともとスポーツジムだったとおぼしき内装。様々なトレーニング器具が錆びたまま放置されている。
 そしてクリスの瞳に飛び込んできた光景。
 十数人の人物が室内にいた。ただし正確には、例外のふたりを除いて床に転がっている。みなローブ姿で、全員すでに事切れているように見えた。
 生きているふたり。ひとりはローブ姿の巨漢、アンセム・カインヴァーン。右肩から血を流し膝をついている。その傍らにはリボルバーが落ちていた。
 そして――
 驚いて見開かれたクリスの瞳に、ひとりの女の子が映り込んでいる。
 15歳前後に見える、若い少女。
 肩のあたりで無造作に切られた銀色の髪。まだ幼さが残るが、この世のものとは思えないほど端正な顔立ち。手足は華奢で肌は白い。容姿の美しさと相反するような、飾り気のない黒のタンクトップとカーゴパンツに身を包んでいた。
 そして彼女の左手に握られている拳銃も、また見事な美しさを誇っていた。持ち主の髪の色と呼応する銀色の装飾。レンガのように太い銃身が、引き金の部分に向かって絞られていく独特の形状。
 美少女が美しい拳銃を醜悪な容貌のアンセムに向けている。そのさまは、もはやシュールを通り過ぎて冗談に見える。
 クリスはセイント・ヴァルステンを構え、レイリアは光の矢を発生させた。 
 少女の深紅の瞳がクリスに向く。そして無言のまま、クリスとレイリアを交互に見やった。
 クリスが問うた。
  
「あなたは?」
 
 少女は答えない。
 
「お、おまえらシディアスの騎士だろぉ! 早く助けてくれぇ! この女は暗殺者だ!」
 
 クリスたちに気づいたアンセムが必死の形相で叫ぶ。ここまで助けたくないと思える人間はめずらしいと、クリスとレイリアは同時に思った。
 そのとき、レイリアの近くに転がっていたローブ姿の男が小さくうめき声をあげた。レイリアがちらっと見ると、男の脇腹から大量の血液が流れ出している。ただしあの傷ではもう手遅れだと判断した。
  
「おい! そんな死に損ない放っておいて、俺を助けろよ!」
 
 仲間に対して信じられない暴言を吐くアンセムに、温厚なクリスの堪忍袋の緒が一瞬で切れる。
 
「あなたは黙りなさい!」
 
 すぐにクリスの意識と剣の切っ先が、銀髪の少女に向かう。
 
「誰だか知らないけど、銃を下ろして投降して。お願い」  
「……シディアスの騎士……」

 少女の声は鈴の音のように玲瓏。だが抑揚がなく、あらゆる感情を排除しているように聞こえた。
 そして少女が動いた。腰の後ろに装備していたらしいコンバットナイフを右手で抜き、左手に銃を持ったままクリスに向かって疾走する。
 
「――っ!?」
 
 呼吸ひとつの刹那に、少女はクリスの間合い内に侵入していた。
 セイント・ヴァルステンとナイフがぶつかり、火花を散らす。それとほぼ同時に銃声が響いた。
 銀色の銃はレイリアに向いていた。レイリアはとっさに〈マテリア・シールド〉を展開し、弾丸を弾く。
 そのあいだ、ナイフの鋭い斬撃が息をつかせぬ勢いでクリスを襲っていた。左手の銃はレイリアに向いたままで、時折牽制の弾丸をレイリアに撃ち込んでいる。そのタイミングはどちらも絶妙。クリスは防戦一方になるしかなく、攻勢に出ることができない。レイリアも弾道を予測してよけるか防ぐことで精いっぱいだった。
 クリスもレイリアも内心驚愕していた。少女の足取りは軽やかで重力を感じさせない。にもかかわらず、繰り出されるナイフの一撃はあまりにも重い。そしてその間隙を縫って発射される弾丸は、手もとや目標をまったく見てないのに正確にレイリアを射抜こうとしていた。少女の銃は巨大な50口径。通常だったら近接攻撃を繰り出しながら片手で、しかも少女の細腕で発砲できる代物ではない。
 不意に少女の攻撃が止み、バックステップでクリスから距離をとる。少女が向かう先に、這って逃げようとしていたアンセムがいた。
 クリスとレイリアを銃で牽制しながら、少女の長い足がアンセムの肉でたるんだ顎を蹴り上げる。100キロ以上はありそうな巨体が、その衝撃で数メートル後方へ吹っ飛んだ。車に轢かれたカエルのような悲鳴をあげて、アンセムの巨体が仰向けに転がる。

「まだ話がある。星櫃はどこ」

 アンセムは答えず、うめき声をあげながら「ぺっ」となにかを吐き出す。血と黄ばみで汚れた前歯だった。
 
「誰が言うか! ……まあでも、俺の股間のデザートイーグルをその可愛らしいお口でペロペロしてくれたら教えてやらないことはない! ついでにそれをおまえの××××に突っ込んで――」

 こんな状況でも想像を絶する下衆な言動を続ける男に、クリスもレリイアも心の底から戦慄した。
 そんな中、銀髪の少女だけが無表情のままアンセムに近づき、彼の股間のあたりを凝視する。

「な、なんだ? 本当にしてくれるのか。ぐへへへ……なんだい、シルバーワンともあろうお方も、意外に物好き――っ!?」

 白銀の50口径が股間に向けられる。その瞬間、アンセムの表情が凍りつく。
 引き金が引かれた。

「ぎょわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああっっっ!?」

 建物全体を揺るがすような絶叫が響く。この瞬間、彼のデザートイーグルは永久に失われた。股間から大量の血液が流れ出し、アンセムは自らの血の海に染まっていく。

「取引は不成立。星櫃はどこ」

 少女の抑揚のない声は、アンセムには届いていない。血液だけでなく、体中のあらゆる穴から様々な体液を垂れ流しながら、悲鳴をあげ続けている。 
 ――しかし、アンセムの悲鳴が唐突に止まった。
 クリスが息をのむ。レイリアも呆然として言葉を失う。

 アンセムの体が、なんの前触れなく宙に浮いていた。

 
 アンセムの首に黒い手のようなものが巻きついていた。彼の足もとに、漆黒の影――明確な形のない曖昧なシルエットが不気味に蠢いている。

《――痛いでしょ? すぐに楽にしてあげるわ》

 変声機を通したような不気味な声が、脳に直接音声が届いてくる。
 この「声」にクリスは聞き覚えがあった。過去の記憶がよみがえり、本能がいまだかつてないほど生命の危機を感じる。
 影が徐々に形を帯びていき、やがて人のシルエットをした黒いかたまりが出現した。全身をほぼ覆い尽くす漆黒の外套。喜怒哀楽のすべてが浮かんだ仮面。
 正体不明の死神――アヌビス。
 それが宙に浮かぶアンセムと向かい合った。アンセムを締めあげる黒い手は、アヌビス本人の手ではない。かの存在の影がそのまま伸びて形作られているように見える。
 クリスもレイリアも、うかつに動くことができない。

《でも殺す前に教えて。星櫃はどこ?》

 黒い影の手がアンセムの首を締めつける。

「があぁっ――アヌビス!? なにしに来た!?」

《だからあんたを殺しに来たんだって。で、質問の答えは?》

「こ、ここにはないっ! もう運び出したっ!」

《ふん。道理でこの中探索しても見つからなかったわけだわ。んで、どこに運び出したの?》

「だ、誰が教えるものおおおおおおおおっっっ!?」

 言葉の途中で再び首が締めつけられる。血を流しすぎていたらしく、アンセムの表情はすでに真っ青だった。 

「あ……あれは、俺のものだ……! あれの力を使って、俺はハーレムを作るんだっ!」

《馬鹿言ってんじゃないわよ。その体じゃもうハーレム作ったところで意味がないでしょうに。だいたいあんたのソレはデザートイーグルじゃなくてデリンジャーが関の山だったでしょうに……まあどうでもいいか》

「……ハーレムがぁ……俺をぉ……」

《星櫃はあんたみたいな小物の手に負える存在じゃない。しかもあんた、あんなたいそうな動画で世界に配信しちゃうんだもん。なんで余計なことしてくれたのよ! 星櫃をめぐって世界のいろんな秘密結社やら悪の組織が動き出したらどうしてくれるの!?》

 アンセムは意味のわからない言葉をつぶやいている。
 
《ねえ聞いてる!? アタシ怒ってるのよ! ――もういいわ。あんたの思考を読んで、あれの居場所を突きとめるから》

 外套の下から両手を突き出し、アンセムの頭をわしづかみにした。
 魔力の波動をクリスは感じた。しかし、なにが起こっているのかまるで理解できない。

《……え、なんで読めないの!?》

「ぐはは……思考に……プロテクトをかけた……ぐふっ」

《だからなんで余計なことしてくれるのぉっ!? あんたもう異常なのか正常なのか意味わかんない!》

 頭をわしづかみにしたまま、アヌビスがアンセムを激しく揺すった。

《それを解除するのは時間がかかりそうだし…………もういいわ。星櫃は自分で探す。あんたはもう用済み。死になさい》

「し――」

《あん?》

「じにだぐないっ! じぃにぃだああぐぅなああああいっっっっ!?」

《――――――――――死ね》

 次の瞬間、アンセムの体に変化が訪れた。

「があああああああああああっっっっおおおおおおおおおおおおあああああああああああああああっっっっっっっぁぁぁぁぁ!?」

 のどから無理やり絞り出したような絶叫をまき散らしながら、アンセムの肥満体が風船のように膨らんでいく。
 そして――

 アンセムの体が、内部から爆ぜた。

 
 腹の中で爆弾が爆発しても、ここまで鮮やかに爆ぜないだろうと思えるほど鮮烈に徹底的に。細切れとなった肉片や内蔵や血液が、赤黒い雨となって室内に降り注ぐ。
 クリスたちはなにが起こったのか把握できてない。クリスは青ざめ、レリイアは小さく震えている。

《さーて、と》

 アヌビスの顔がこのときはじめて、クリスたちに向いた。あれほど至近距離で人体が破裂したのに、なぜか返り血も肉片もまったく付着してない。
 
《アタシ、シディアスの騎士って嫌いなのよ。――シルバーワン》

 状況の推移を無感情に見守っていた銀髪の少女が、アヌビスの言葉に反応した。

《あなたはその赤い髪の女を。アタシはこっちの金髪ちゃん……あら? ふたりともどこかで会ったことあるかしら。……まあいいか》
 
 アヌビスが片手を掲げる。どす黒い光の粒子が渦巻くように発生。その粒子はやがて一カ所に収束して大きな「なにか」を形作った。
 漆黒のウォーサイス。アヌビスの背丈よりも巨大な戦闘用の鎌。おどろおどろしい装飾が施された長柄と大きく反った刃が妖しく光っている。
 刃がクリスを向いた。 
 すかさずセイント・ヴァルステンを構える。
 その刹那、クリスの腕に大きな衝撃が走る。セイント・ヴァルステンが、ウォーサイスの攻撃を受け止めていた。
 すぐ目の前に、アヌビスの仮面がある。
 
「――っ!?」

《へえ。反応は悪くないわね》

 クリスは一瞬たりともアヌビスから意識を外してない。それなのに、アヌビスの動作はほとんど認識できなかった。
 まるで「意識の外」から攻撃を受けたような――
 アヌビスは流れるような動作で攻撃を繰り出していく。クリスも恐怖を無理やり押し殺しながら必死で剣を振るった。

 ――強いっ!

 巨大で癖の強い武器を軽々しく振るう膂力。敵ながら見事だと思わせる身のこなしは、つけいる隙がまるでない。
 打ち合ったのはまだ数合。それなのに、ここまで強いと思わせる相手をクリスはほとんど知らなかった。動作のひとつひとつにまるで音がなく、アヌビスを取り巻く周囲だけ無音の空間に包まれているようだ。
 ちらっと見ればレイリアも、シルバーワンと呼ばれた少女と近接戦闘を繰り広げている。弓を棒術のように巧みに振りまわして、シルバーワンが次々発射する弾丸を打ち落としていた。しかし防戦一方で、光の矢を構える余裕はなさそうだった。

《よそ見してる場合?》

 軽やかな口調に反して、アヌビスの一撃は鉛のように重い。セイント・ヴァルステンとウォーサイスの織りなす剣戟の嵐が、血生臭い空気を激しくかきまわしていく。

《ふーん……》

 そうつぶやいたあと、アヌビスは重力を感じさせない跳躍を伴って、後方へ跳んだ。

《その緑がかった金髪……やっぱりあなたには見覚えがある。剣術もその剣も。それってセイント・ヴァルステンでしょう》

「な、なんで――!?」

《あなた、名前は?》

「――――っ」

《言わないと殺すわよ?》

 アヌビスから、この期に及んではじめて殺気が放たれる。質量を感じないのに押しつぶされそうな、圧倒的なプレッシャー。気の弱い人間なら、それだけで殺せるほどの迫力。
 
 ――人間という存在では、この異形に絶対に敵わない――
 
 本能からのけたたましい警告が、クリスの口から自然と言葉を漏れさせた。

「クリスティーナ・レオンハルト……っ!」

 クリスが名乗った途端、アヌビスから殺気が消えた。

《……ふふ。そう……あははは。あはははははははははっ! あいつの娘か! 剣聖ユーベル・レオンハルトの! じゃあその金髪はきっと母親譲りね。お母さんはアデリア・ラウスリーゼ。当たってるでしょ!》

「――っ!?」

 どうして母の旧姓まで知っているのだろう。

《ユーベルのやつ、いまではシディアスの総長だったかしら。あの生意気な小僧が出世したわよね》

「ど、どうして――っ!?」

《若い頃からよぉ~く知ってるわよ、あなたの両親のことは。特にお父さんは、現生人類でアタシに対抗できる、数少ない人間のひとり》

 なにを言っているのか、うまく理解できない。

《それにやっと思い出した! あなた、あのときの監禁されていた女の子か! 大きくなったわねぇ。しかもシディアスの騎士になんかなっちゃって。やっぱりあのとき殺しておくべきだったかしら》

 そのとき、出入り口に複数人が駆け込んでくる。ティアースやアーシャなど10人以上の騎士たち。彼らは目の前で繰り広げられている光景に理解が及ばないのか、一様にきょとんとしていた。

《――シルバーワン》

 シルバーワンと呼ばれた銀髪の少女がレイリアから離れ、アヌビスの近くに駆け寄る。

《行くわよ。もうここに用はない》

 ウォーサイスが闇の粒子となって消滅する。直後、アヌビスの体がふわりと中に浮いた。同じようにシルバーワンの体も宙に浮く。

《あなたたちもここから早く避難したほうがいいわよ――》

 アヌビスとシルバーワンの体がゆっくりと上昇していく。

《アンセム・カインヴァーンは本当に信じられないくらい往生際が悪いからねぇ。万が一にも自分が死んだら、世界を道連れにとか考えているんじゃないかしら……ふふっ》

 その言葉を最後に、アヌビスとシルバーワンは壊れた窓から飛び去っていった。
 数秒とも数時間とも思える沈黙の果てに、騎士たちは顔を見合わせる。お互い化け物に化かされたかのように、ぽかんとしながら。

 ――そのとき、世界の崩壊を告げるような爆発音が響いた。


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