話は2週間ほど前にさかのぼる。
世界をめぐる旅から帰ってきたクリスは実家にいた。シディアスに提出した退役願いはすでに受理され、正式な辞令が出るまで自宅待機となっている。
やるべきことがなにもなく、クリスは自室のベッドの上でごろごろと寝転がることしかできなかった。ほとんどなにも言わず、そっとしてくれる母の優しさが少々つらい。
そろそろ新しい仕事を探さないといけない、などとクリスがぼんやり考えていたときだった。スマートフォンが着信を告げる。
蒼一だった。レイリアの葬儀以後、落ち着いて話す機会があまりなかった。久しぶりの会話に、しばらく雑談を交わす。
『――しかし、まさかきみがシディアスの騎士を辞めるとは思ってなかったよ』
「すみません。いろいろとしてもらったのに」
『いや、いいんだ。ユーベルはなにか言っていたか?』
「いえ……『そうか』とだけ」
『あいつらしいな。――まあ、積もる話は今度会ったときにな。実は、クリスに頼みがあるんだ』
「……わたしに?」
いまの自分に役に立てることがあるとは思えなかった。
『――惺と一緒に、フォンエルディアを旅してくれないか?』
通話の最後、蒼一にそう言われた。そのとき現在の惺がどういう状況なのか、詳しい説明は受けてない。ただ、レイリアの実家に行ってほしいとだけ伝えられた。
◇ ◇ ◇
高台の中腹に当たる敷地内には見晴らしのよいポイントがいくつもあり、その一角に真新しい墓が立っていた。
クリスはそこで久しぶりに親友の魂と出会い、たっぷりの時間を祈りに捧げる。そのあと、ドッグや事務所からほど近い、高台の一角を占める大きな邸宅に案内された。赤いレンガ造りの立派な邸宅だった。
「――以上が、レイリアの最期です」
長い話を終え、クリスはひと息つく。テーブルの上に出されていたコーヒーを飲んで、渇いた口を潤ませた。目じりに涙がたまっていることに気づき、さりげなくそれを拭う。
学校の教室ほどの広さを誇るリビングルーム。壁や仕切りは少なく、天井も高い。北欧系の瀟洒な家具に囲まれている。
向かいのソファに座っている3人の人物。
ひとりはアルマ。姉の最期の瞬間を想像しているのか、止めどなく涙があふれている。両親に「おまえは外せ」と言われても、「わたしだって聞くもん!」と言って譲らなかった。
レイリアの両親は、ともに五十代だった。
母親の名はアマンダ。女性にしてはがっしりとした体格で背が高い。癖の強い茜色の髪を後ろに流し、無造作に布のヘアバンドで留めている。灰色のタンクトップの上に革のジャケットを羽織り、下は古びたジーパンという服装。服装も雰囲気も男勝りだ。
彼女の左隣に座っているのが、レイリアの父ギリアムだ。アマンダよりも小柄で、アッシュブロンドの髪をオールバックにしている。白いワイシャツにベージュのスラックス。学者や研究者といった職業が似合いそうな、理性的な雰囲気を醸していた。
クリスとレビンソン一家は、レイリアの葬儀の際にはじめて顔を合わした。しかしどちらも落ち着いて話し合うような心境ではなく、当時は軽く挨拶を交わした程度だった。
「クリスティーナ」
いままで黙って聞いていたアマンダが口を開いた。ハスキーで迫力のある声だ。
「クリスで構いません」
「じゃあクリス……あんたさっき言ってたね。レイリアが最期、笑っていたって」
その光景はいまでも、まぶたの裏に焼きついている。
「……はい。それに家族のみんなに、ごめん、と」
「はは……ごめん、か……それは間違いだよ、レイリア……」
泣きながら笑うアマンダに、クリスは動揺した。
「ごめんじゃなくてありがとう、だろうに。クリス、あんたにはありがとうって言ったんだろ?」
「は、はい」
「しかしまあ、そんなこと言ったところで、もうどうにもならない。あたしが天に召されたあと、あの世で説教するさ……ありがとう、クリス。あたしたちに伝えてくれて」
それくらいしかできないことに、クリスは忸怩たる思いを抱く。
「よし、辛気くさい話はこれで終わりにしよう。レイリアも好きじゃなかったからな。――それでだ」
涙を拭いたアマンダは、ひとりがけのソファにぽつんと座っている惺を見つめた。
「蒼一からこの子を預かった。『アーク・レビンソン』に乗せながら、しばらく一緒に生活する予定だ」
フォンエルディア大陸を中心に事業を展開している個人運輸業〈アーク・レビンソン〉。それを象徴する飛行空艇の名が、社名と同じアーク・レビンソンだった。飛行空艇とは航空機の一種である。大型の機体でもヘリコプターと同じように複雑な飛行が可能であるため、フォンエルディアにおける空の移動では一般的な乗り物となっていた。
「あの、それで蒼一は?」
クリスの質問に、ギリアムが答えた。
「今朝早くここに来て、惺を預けてすぐ去っていきやがった。クリスに『惺を頼んだ』と伝えてくれだとよ」
「どこに行ったのか聞いてますか?」
「いんや。なにかを探しているらしいが、詳しくは。……そういや、なんか急いでたな」
「そ、そうですか」
「……その様子だと、あまり説明を受けてないんだな?」
「はい。アーク・レビンソンに同乗して、仕事を手伝いながら惺の面倒を見てほしいとは言われましたが」
蒼一は最初同行しないと聞いていたが、その理由は知らない。しかし、もう少し説明があってもいいのではと思ってしまう。
「クリスのことはレイリアからいつも聞いていたぜ。写真も見せてもらっていた。妹のような存在だったってな。いつかここに連れてくるとは言っていたが……」
「……はい」
「ああ、辛気くさい話はもう終わりだったな……すまん。人手が足りてないわけじゃないから、クリスは別に手伝わなくていいんだぞ。社長の俺が言っているんだから気にするな」
「そういうわけには……それに最初に言いましたが、いまのわたしはただの無職です。時間も体力もありますから、ぜひこき使ってください」
「元シディアスの騎士なんかこき使ったら、罰が当たりそうだな」
ははは、とギリアムが笑う。彼は次に惺を見ながら言った。
「しかし不思議だよな、その子は。目が見えないらしいが読み書きはできるし、そういや午前中には絵を描いてたな。さっきのが聴こえてきたが、ヴァイオリンもびっくりするほどうまい」
アマンダがにやりとしながらあとを引き継いだ。
「ついでに蒼一に似てイケメンだ。あと4、5年もすればたいそう見栄えのする男に成長するだろうねぇ。アルマ、いまのうちに仲よくしておきな」
「はぁーい」
娘の無邪気な返事に、父親が目をぱちくりさせた。