アーク・レビンソンの一室。クリスのベッドに例の少女――シルバーワンが眠っている。
 その傍らで椅子に座り、シルバーワンを感慨深げに眺めているのが蒼一だ。さらにその隣で父親にぎゅっとしがみついているのが惺。室内にはアルマとアマンダもいる。
 大爆発から帰還したクリスの横に、謎の少女を抱えた蒼一が現れた事実は、ギリアムやアマンダを最大級に驚愕させた。
 惺は蒼一を認めるなり彼に抱きついて、離れようとしなかった。もちろんクリスも、次から次へと襲いかかってくる疑問と戦うのに必死だった。
 
「クリス、言いたいことがあるのはわかるが、もう少し辛抱してくれ」
 
 クリスを見つめながら、蒼一が言う。
 
「ちゃんと説明してくれるんですよね?」
「もちろんだ」
  
 そのとき部屋に入ってきたのは、疲れきった表情を浮かべるギリアムだった。
 
「ありゃだめだ。乗組員らしき黒焦げの遺体は何体かあったんだが、まるで人間解体ショーだな。レオナルドのやつ、トイレに駆け込んでげーげーやってるよ」

 うう、と顔をしかめるアルマの肩に、アマンダは優しく手を乗せる。
 蒼一がアマンダに向いた。
 
「運輸局あたりにはもう連絡したかな」
「ああ、救助を要請しておいたが。警察も来るそうだ」
「そうか。あとの連絡やら細かい雑事はわたしに任せてくれ。ちょっと込み入った事情があるんだ」
「込み入った事情……ねぇ」

 アマンダが、ベッドの上で眠り続ける少女――シルバーワンを見つめる。ほかの面々もその視線を追った。 
 やがてギリアムが蒼一に向いた。
 
「きれいな顔してるな。しかし、あの事故でふたりとも傷ひとつないって、奇跡じゃないか?」
「ああ。なんとか九死に一生を得たよ。はっはっは」

 蒼一は笑い飛ばしているが、そんな簡単な話ではないとクリスは思う。全速力で墜落した飛行空艇の中にいながら、〈マテリア・シールド〉だけで身を守るという人間離れした芸当が、本当に可能なのだろうか。

「あ、そうだ」

 なにかを思い出したギリアムがアルマに言う。
  
「しばらく俺もレオナルドも、肉料理は食えん。バラバラでぐちゃぐちゃで丸焦げはごめんだ」
 
 その意味を即座に悟った聡明なアルマは、たまらず泣き出してしまう。
 
「この馬鹿っ!」
 
 アマンダの遠慮のない鉄拳制裁を顔面に受けて、無神経な父親もたまらず泣き出した。
 

◇     ◇     ◇


 日付が変わる直前、クリスはブリッジの上部にあるデッキに出た。
 アーク・レビンソンは、墜落現場から最寄りの空港に着陸していた。平原にある田舎の空港で、周囲に建物は少ない。
 夜空では様々な光たちが踊っている。星々と月が織りなす舞踏会。悠久の昔から繰り広げられてきた自然の神秘。空港周辺には大都会のような地上の光源は少なく、よりいっそう空の舞踏会を強調させている。
 そんな賑やかな空の下で、縁にある柵に寄りかかるようにしていたのは蒼一だった。彼の鳶色の澄んだ瞳は眼下の荒野に向いている。しかしその視線は、さらに遠くの「なにか」を見つめているようにも見えた。
 
「まさかあのタイミングで、クリスと再会するとは思ってもなかったよ」
 
 視線をそのままに蒼一が言う。夜の空気を静かに震わせる声は、優しくクリスの耳に届いた。
 クリスは返事をしない。持っていた水筒のふたを開け、紙コップに中身を注いだ。湯気の立つそれを蒼一に渡す。
 
「へえ。リーゼラムか」
「知ってるの?」
「以前、きみの母に淹れてもらったことがある」
「そうですか。……蒼一、さっそくですが本題を」
「ふむ。話すと長くなりそうだな。ああ、だからこれを用意したのか」
「はい。聞きたいことがいっぱいありますから」
 
 シルバーワンはいまだに眠っている。彼女は今日、ついに目を覚まさなかった。
 
「今年に入ってから、ずっとアヌビスの行方を追っていたんだ。きみが世界を旅しているあいだもね」
「……アヌビス……」
「あいつはレイリアを殺した。きみの目の前で」

 蒼一の瞳に、瞋恚の炎が宿る。

「わたしがあのときその場にいれば、といまだに後悔している」

 あのとき蒼一は、人質になったシディアスの騎士たちを救出するための部隊を指揮していた。結果的に、人質は全員救出されている。

「レイリアはわたしにとって可愛い教え子であり、娘のような存在だった。それを奪われて、いくらわたしでも心中穏やかではない――っ」

 蒼一の激情を、はじめて垣間見た。
 
「……すまない」
「いえ。……あの、結局アヌビスって何者なんですか? 面識があるみたいなので父にも尋ねました。『大昔から存在する、神出鬼没で正体不明の暗殺者だ。もう絶対に関わるな。次会ったら全力で逃げろ』と言われました。でも、どうもそれだけじゃない気がして」

 蒼一は遠くを見つめながらリーゼラムを口にあと、再びクリスに向く。
  
「あいつは、世界の敵だよ」
「え?」
「そのままの意味だ。正体不明の暗殺者として、一種の都市伝説になっているのは本当。シディアスだけじゃなく、各国の捜査機関が長年やつの行方や目的や正体を探っているのも事実。ただし、あいつの正体にたどり着けた者はいない。亡霊のような存在だから、手がかりもないに等しいんだ」
「……じゃあ蒼一は、なにを手がかりに追っていたんですか?」
「いい質問だ。アヌビス本人はまったく痕跡や証拠を残さない。だが、その周囲の人間はどうだ?」
 
 蒼一は床の一点を指さした。その方向に誰がいるのか思い出して、クリスは「あっ」と声をあげる。

「シルバーワン!」
「そう。あの子がアヌビスとともに行動していたのは、きみから聞いていたし、報告書にも詳しく記載があった」
「じゃあ蒼一は、あの子を追っていたんですか?」
「まあな。正確には、アヌビスとあの子が探していた……ともかく、あの子も暗殺者としてずいぶん完成されているが、それでもまだアヌビスには及ばなかった」 
「ちょ、ちょっと待って。そんな危険な子を、いまひとりで寝かせてるの!?」
「安心してくれ。わたしがそんなミスを犯すと思うか? 手は打ってある」

 蒼一がこう言うのなら抜かりはないのだろう。クリスはひとまず胸をなで下ろした。 

「草の根をかき分けるような捜索の末、やっとシルバーワンを見つけた。それが今日の午前だな。で、見つからないようにあとをつけ、あの飛行空艇に乗り込んだのを確認――したと思ったら、乗組員たちを一瞬で皆殺しにした」
「――っ! じゃあ、墜落する前に彼らは死んでいたってことですか?」
「そういうこと。もっとも、遺体があれだと死因は特定できないだろう。それで、わたしが乗り込んだ直後に飛行空艇は離陸した」
「……あの子が操縦したんですか?」
「いいや。自動操縦で勝手に飛び立ったんだよ。もともとあの墜落現場付近に座標が指定されていたようだ」

 ということは、あの木箱の引き渡し先はやはり――と、クリスが薄々感じていたことが正しかったと知る。
  
「墜落したのは?」
「あの小さな機体だ。隠れるところなんかほとんどない。だからシルバーワンに見つかって戦闘になったんだ。……想像できるか? あの子、あんな狭い空間で50口径の銃をまるで水鉄砲のように撃ってくるんだぞ。涼しげな無表情でな。弾丸がどこかに当たり、機体が制御を失うのも時間の問題だった」
「――――」
「激しい戦闘の末になんとか彼女を無力化したはいいが、もう脱出している時間はなかった。さすがに彼女を見殺しにもできない。だから〈マテリア・シールド〉をフルパワーで展開してやりすごそうと……クリス、そんな怖い顔してどうした?」

 クリスはすぅっと大きく息を吸ったあと、叫んだ。
 
「あなたはなんでそんな危険なことを平気でできるんですかっ!? ハリウッド映画の主人公じゃないんですよ!?」
「ま、まあでも、こうして生きているわけだし」
「ふたりのお子さんがいる父親だという自覚を持ってください!」

 惺と悠のことを出されてさすがに旗色が悪くなったのか、蒼一は苦い顔をした。

「悪かったよ。しかし、怒ると怖いのは父親譲りだな」 
「もうっ……だいたいの事情はわかりました。それで、蒼一はあの子をどうするつもりなんですか? どんな理由があれ、あの子は犯罪者ですよね」

 昼間、墜落現場に警察や運輸局などが大挙して押しかけ、大規模な実況見分が行われた。しかし蒼一は重要な当事者でありながら、取り調べは最小限で済んでいた。シルバーワンに関しても身柄を拘束されることなく、現在でもこうしてアーク・レビンソンに収容されている。実況見分もすぐに終了していた。
 クリスやアマンダたちは、蒼一がなんらかの方法で裏に手をまわしたのだと、薄々ながら感づいている。ちなみにレビンソン一家に、シルバーワンの正体は知らせてない。

「言いたいことはわかるが待ってほしい。とりあえずいまは、あの子のことはわたしに任せてくれないか。きみはもちろん、このアーク・レビンソンに危害が及ぶことは絶対にないと、わたしが保障する」
 
 鳶色の瞳がクリスを見つめる。その視線に含まれているのは絶対的な信頼だった。
 
「父が以前言っていました。『蒼一に見つめられると、どんな無理難題でもノーとは言えなくなる』って。その気持ちがよくわかりました」
「クリス……」
「あなたを信じます。ですが、ひとつ約束してください。もう危険な真似はしないと」
 
 クリスも蒼一を見つめる。その視線に含まれるのも、揺るがない信頼だ。
 蒼一が力強くうなずく。
 次の瞬間、なにかに反応した蒼一が、足もとのほうを見つめた。

「どうしました?」 
「眠り姫が目覚めたようだ」


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