6-1

 蒼一とセイラがアーク・レビンソンに乗り込んでから、すでに2週間が経過していた。いま、クリスたちはレザフォリアにあるレビンソン家の邸宅に舞い戻り、居候として生活している。
 夕食後のまったりとした時間。テラスにつながる窓が開け放たれ、涼しく心地よい風が室内を優しくなでていた。

「――それで、セイラの正体は判明したんですか?」

 客室のベッドに座っていたクリスが質問した。質問された蒼一は、窓際のソファに座ってシードルの入ったグラスを傾けている。彼は首を横に振った。

「様々なデータベースにアクセスしてみたが、あの子の情報は見つからなかった。当然ながら本人も覚えてない。残念ながら、現状では手がかりは皆無だよ」
「……そうですか」
「セイラの正体を知りたいなら、アヌビスに訊くしかないだろうな。いま、どこにいることやら」
「アヌビスはセイラを取り戻しに来ないんですか? それだけが心配だったんですけど」
「少なくともわたしがここにいる限りは大丈夫だろう。そもそも、わたしがあの子を保護した事実は、外部に対して徹底的に情報操作してある。抜かりはないさ。まあ、それでもいつまでもここにいるわけにはいかないだろうが」

 言ってから、蒼一はグラスのシードルを飲み干した。視線を感じ、彼はクリスを見る。

「まだなにか聞きたいことがあるのかな?」
「いえ、別に重要ではないんですけど……セイラって名前の由来はなんですか?」

 蒼一はきょとんとしたあと、小さく笑った。

「ニチアサのアニメに出てきた登場人物の名前だよ。よく悠と一緒に観てた」
「に……にちあさ?」
「銀髪の魔法少女でね、悠が気に入っていたんだ」
「ま、まほうしょうじょ」
「ヒロインのライバル的存在で、口数が少ないクールビューティー。あの子にはぴったりだろう? ……クリス、そんなおかしな顔してどうした?」
「だって! もっと素敵な由来を想像していたのに! めずらしい花の名前とかっ!」
「セイラなんて花があるとは、寡聞にして知らない」
「わたしだって知りません! よりにもよってアニメって……蒼一のことだから、きっと深い意味があるんだろうなって、いろいろと想像していたのにっ」
「あのとき、真っ先に思い浮かんだのがその名前だったんだよ……なんかすまん」
「謝らないでください。わたしが勝手に妄想したてだけですから。まあでも、本人も妙に気に入っている気配がありますから、結果的にはよかったかもしれません」
「そう見えるか?」
「気のせいかもしれませんが、ここ数日、新しい名前で呼ばれるのが新鮮みたいに感じます」
 
 家族以外の人間が4人に増えたことで、さすがに迷惑になるからとクリスも蒼一もレビンソン家を出るつもりでいた。しかしレビンソン一家に総出で止められ、いまもこうして居候するような形になっている。
 レビンソン一家には、最後までセイラの正体を教えないことにした。「誘拐されていた知人の子を、悪の組織から救出してきた」という、デタラメに聞こえて実は妙につじつまの合う蒼一の説明を、アマンダたちは簡単に受け入れていた。もっと深い事情がありそうだと察している気配はあるが、追求はしてこない。
 蒼一いわく、セイラは順調に「回復」しているらしい。彼の星術による「処置」は折を見て定期的に行われていた。目に見えるような変化はない。が、感情の起伏が少ないことを除けば、すでに日常生活を送る上ではなんら支障がないレベルにはなっていた。口数も徐々に増えてきている。
 しかしマインドコントロールの影響は根深く、完全に取り除くのはしばらく時間がかかるらしい。「セイラがこれまで暗殺者として生きてきた時間よりも、濃密で長い『人間としての日常』が必要だ」と、蒼一は常々言っている。
 そういう意味では、レビンソン家というのはふさわしい環境といえる。アルマは相変わらずセイラに懐き、いろいろと面倒を見てくれていた。ほかの家人もみな優しく、温厚で気さくなところはなにより代えがたい。それはセイラだけでなく、惺にとっても助かる環境だった。 

「アヌビスがセイラを取り戻しに来ない理由が、もうひとつあるかもしれない」
「え?」
「あいつはすでに真の目的のものを入手しただろうから、そちらに気を取られているんじゃないか」

 例の木箱――星櫃を引き渡したシディアスの飛行空艇が、その日のうちに行方不明になったことはクリスも聞いていた。
 それが誰の仕業なのかは明らかだ。

「行方はまだつかめないんですか?」

 蒼一は悔しそうに首を振った。
 
「あいつが本気で雲隠れしたら、わたしでも容易に見つけられない。慎重に慎重を重ねたつもりだが、甘かったようだ。あの機体に乗っていた騎士たちは、おそらくもう――」
「…………」
「どちらにしても油断はできない。あいつは人の裏をかくのが趣味のような存在だから。いつも忘れた頃にやってくる」

 レイリアが殺されたときもそうだったと、クリスの心が憤怒でにわかに燃えた。

 ◇     ◇     ◇


 その重大な出来事が起きたのは、別の日の夜だった。
 レビンソン家が誇る広大なリビングルームの中を、クリスはきょろきょろと見まわす。
 いない。
 正確には、カクテルグラス片手にテレビを見ているギリアムとレオナルドがいる。が、彼らは目的の人物ではない。
 レオナルドがクリスに気づいた。
 
「クリス、どしたの?」
「惺たち見てませんか? さっきから見当たらなくって」

 質問に答えたのはギリアムだった。
 
「惺だったらさっき、アルマとセイラの3人でバスルームに入っていくの見たな」
「え」 
「羨ましいよなぁ、惺のやつ。セイラって、かなりスタイルいいらしいじゃないか」

 ぐへへ、と酔っ払って笑うエロ親父に対し、レオナルドが軽蔑の眼差しを向けた。
 
「親父、まさか覗いたんじゃないだろうな?」
「あほか。アマンダにばれたら殺されるようなことをすると思うか? いつも一緒に風呂に入っているアルマが言ってたんだよ……ってクリス、この世の終わりみたいな顔してどうした? ――あ、おい!」
 
 世界のトップアスリートが青ざめるような速度で、クリスはバスルームへ向かった。

◇     ◇     ◇


 乳白色の湯が、セイラの体を芯から温めている。
 暗殺者として生活していた頃は、風呂にゆっくりと浸かることなどなかった。よくて濡れたタオルで全身を拭くくらいが関の山だった。
 しかし、いま。気持ちいいという感覚がなんなのか、彼女は風呂に入るたびに実感している。もう何度も入浴しているのに、その感動は色あせない。
 ――そして今回は、それだけではなかった。
 
「――っ――っっ? ――っっっ!?」
 
 全身を駆けめぐる未知の感覚と刺激に、セイラは激しい戸惑いを抱いていた。彼女の背後には、密着した惺がいる。

 もにゅ。ぷにゅ。

 意外に豊満なふたつの膨らみが、次々と形を変えていく。
 惺が賢者のように達観した、あるいは使命を悟った勇者のように気高い表情で、セイラの胸を一心不乱に揉んでいる。
 
「わっ……す、すごぃよぉ……っ」
 
 端にちょこんと座っているアルマは、恥ずかしそうに両手で顔を隠している。だがお約束のように、指の隙間からその光景をしっかりと瞳に焼きつけていた。イケナイとは思いながらも、どうしても目を離せない。
 セイラの中で、未知の感覚が澎湃とあふれ出す。それが快楽を伴う刺激となって彼女の全身を駆けめぐった。
 
「惺くん……次、わたしも……」
 
 恍惚の表情を浮かべたアルマがゆっくりと、ふたりのところへ近づいていく。再び重大な事案が発生した――などという生やさしいレベルは通り過ぎている。禁断の扉が開けられようとしていた。
  
「惺ぁぁぁああっ!? ちょっと待ってストォォォォップ!?」
 
 その直前に、廊下に続く現実の扉が勢いよく開けられる。

◇     ◇     ◇

 
「ああいうことしちゃだめだって、前に言ったよね!?」
 
 仁王立ちして険しい表情を向けてくるクリスを前に、ベッドの上で正座した惺がしゅんとうなだれている――ように見える。反省しているようにも見えるが、今回は再犯である。情状酌量はできない。
 クリスは惺の横に視線を向けた。
 息子と同じように、ベッドの上で正座している父親。
 
「なあクリス、なぜわたしまで――」
 
 クリスに睨まれ、蒼一は黙った。

「日本は性教育が遅れていると聞いたことがありますが、真城家ではいったいどういう教育をしているの?」
 
 以前の「大惨事」も含めて説明した。
 聞き終わったあと、蒼一は惺の頭をなでる。
 
「澄ました顔して手が早いな、惺。正直羨まし――」
「蒼一?」
「す、すまない。クリス、その怖い顔はやめてくれ。……本当に、怒ると怖いところは父親とよく似ている」
「――――」
「……えーと、釈明しても?」

 クリスは小さく首肯した。怖い顔のままで。
  
「わたしの見立ててでは、惺はまだ男女の区別がついてないはずなんだ。悠と一緒に風呂に入ったこともあるが、そんなことにはならなかった。まあ、あの子の胸がまだ膨らんでなかったのもあるだろうが……えー、なにが言いたいかっていうとだな、そもそもこれは性教育以前の問題で」
 
 なおもクリスの視線は冷たい。
 
「つ、つまり、目の前にあるこのふたつの膨らみはなんだろうと、同じ人間のはずなのに、自分にはないこのやわらかそうなものはなんだろうと、惺ははじめて興味を持ったわけだ。性的なものではなく、純粋な好奇心だな」
「…………」
「そう考えると、最近の惺は『世界』に対する認識力も向上して、これは実にいい傾向…………なあクリス。怖い。本気で怖い。さすがのわたしでも泣くぞ」
 
 クリスは大きなため息を吐いた。
 
「わたしが目を離したのもいけなかったです……でも、二度とああいうことがないよう、蒼一がしっかり言い聞かせてくださいね? 次似たようなことがあったら、あなたに執行猶予はつきません。弁護士はつきませんし問答無用で実刑ですからねいいですね」
 
 クリスの目は据わっていた。
 息子の粗相でなぜ自分が実刑になるのかわからない蒼一だったが、この場を収めるためにおとなしくうなずくことにする。
 そのとき、部屋にアルマとセイラが入ってくる。アルマは緑色の可愛らしいパジャマで身を包み、セイラはシンプルなTシャツとショートパンツを着ている。セイラの服は、この家にあったレイリアのお古だった。
 
「お説教終わりましたか?」
 
 恐る恐る聞いてくるアルマ。
 
「ええ。アルマ、あのね――」
 
 今日のことは忘れてねと言おうとしたがやめた。そういうことを言われると余計に忘れられない。
 話題を変えようと、クリスはセイラを見る。
彼女は惺を見つめていた。
 いつかのアルマのように、さすがに瞳にハートマークは浮かべてない。しかしなんらかの感情が揺れる波を、クリスはその深紅の瞳から感じとった。


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