大きなダブルベッドに並んで眠っているのは、惺とセイラと、そのふたりに挟まれているアルマだった。アルマの頬には涙の線が見えている。
それを見つめながら、クリスがぽつりとつぶやく。
「……ごめんね、アルマ」
夕食の席で、レビンソン一家に事情を説明した。
この家から去ること。アマンダやギリアムはさすがに納得してくれたが、アルマだけは終始泣かれて反対されてしまった。しっかりしているように見えるが、まだ子どもなんだとクリスは思い知る。
3人の掛け布団を直してから、クリスは窓際のソファに向かう。長い足を組みながらカクテルグラスを傾けている蒼一がいた。
「やっと眠ったか」
「はい……アルマには申し訳ないと思います。とてもよくしてくれたのに、いきなりお別れだなんて」
アルマを説得できたのはつい先ほど――彼女が泣き疲れて寝てしまう直前だった。
「レイリアを……姉を失ってまだ1年も経ってない。別れには敏感なんだろう」
言いながら、サイドテーブルに置かれていたグラスにシードルを注ぐ。それをクリスに渡した。
「きみを見ていて思ったことがある。意外にも頑固だったアルマちゃんを説得できたのは、ひとえにきみの優しさと母性なんじゃないかと。そのあたりは本当にアデリアそっくりだ」
「……母には敵いませんよ」
クリスはこれまで、母よりも優しくて慈悲深い人間に出会ったことがない。
蒼一は軽く笑った。
「謙遜しないでくれ。クリスには本当に感謝しているんだ。いまの惺やセイラに本当に必要なのは母性なんじゃないかと思う。わたしにはどうやっても与えられないものだからな」
蒼一が頭を下げる。
「あらためて、ふたりをよろしく頼む」
「……っ」
人に感謝されている。誰かに必要とされている。それがここまで嬉しくて幸福なことだと、クリスはあらためて思い知った。
親友を失い、自分の立ち位置を見失ってしまった。
でもいま、自分は確固たる「場所」に立っている。自分が必要とされている空間に存在している。その事実につい涙腺が緩みそうになる。
グラスの中の氷が「からん」と軽快な音を立てた。見ると、グラスを持った蒼一が立ち上がり、窓へ近寄っていた。
蒼一が外を眺めながら、感慨深げに言う。
「そういえば、セイラが自首を考えていることも聞いたよ」
「…………。そうですか」
「あの子もだいぶ頑固な部類だな。だからわたしは、あの子の意思を尊重しようと思っている。もちろん、できる限りのことはするつもりだ」
クリスはあのテラスでの告白のあと、何度かセイラに問いただしてみた。しかし、決意は変わらないらしい。
「――クリスは、この世界が美しいと思うか?」
クリスも立ち上がって外を眺めた。
自然と調和したデザインの〈アーク・レビンソン〉本社ビルとドックが、レザフォリアの大自然の中で輝いているように見える。
視線を上に向けると、星々と月が、天空を鮮やかに彩っている。そんな太古から繰り広げられている光景が、蒼一の問いの答えを物語っている気がした。
――視界に入らないどこかで、見知らぬ誰かが傷ついているのかもしれない。
――声が聞こえないほど遠くで、誰かが悲鳴をあげているかもしれない。
――風が、誰かが流した血のにおいを運んでくるかもしれない。
それでも。
「美しいです」
心の底から、クリスはそう感じていた。
残酷な現実はたしかに存在する。しかしそれも、太古から繰り広げられてきた普遍的な光景だ。たとえどんな結果になろうとも、セイラにそれを伝えたい。
蒼一が笑みを浮かべた。
「惺とセイラに、これからもそれを伝えてやってくれ」
蒼一が突き出したカクテルグラスに、クリスもそれをそっと打ちつける。軽快な音を響かせた。
それはどこか、祝福の響きに聞こえた。