8-2

 この場所に足を踏み入れることは、もう二度とないと思っていた。
 南極大陸西部の地域――通称マリーバードランドは、いずれの国家も領有権を主張していない無主地である。
 海岸にほど近い洞窟の中に、その扉があった。ヴィクター研究所に通じる唯一の出入り口。大型車が無理なく通れるような大きさで、無機質な白っぽい色をしている。剥き出しの岩肌に無理やり貼りつけたような違和感がある。
 その前に立っているのは蒼一だった。

「アヌビスめ。厄介なことをしてくれる」

 クリスは白い息を吐きながら、扉全体を見まわした。
 以前来たときと変わらないように見える。しかし、扉全体から放たれている魔力に、先ほどからずっと頭が揺さぶられているように感じる。隣に立つセイラも眉間にしわを寄せていた。
 アーシャをはじめとするほかの騎士たちも、同じような感覚を抱いているのか一様に表情は険しい。
 
「これが封印ですか?」
「封印というより、あり得ないほど高度な〈マテリア・シールド〉と考えて差し支えない。現代では失われた……というより、必要とされない星術だよ」

 蒼一は足もとにあった石を扉に投げつけた。
 扉に接触した瞬間、石は消滅。木っ端微塵になったのではなく、跡形もなく完全に消滅した。SF映画のような現象に、クリスたちは息をのむ。

「〈マテリア・シールド〉は、言ってしまえば『術者に有害な物理現象』をさえぎる障壁を展開する星術だ。しかしたとえば、展開されたシールドの中にずっといても、窒息したり、まわりの景色が見えなくなったりしないだろ? 空気や光まで遮断するわけじゃないから」
「はあ……」
「だが目の前のこれは、魔力で造られた不可視のフィールドが『あらゆる物理現象』を完全に遮断する。つまり、光さえも遮断してしまう重力力場を発生させているわけだな。だからこれの正式名称は〈グラビティ・フィールド〉という。ブラックホールの原理に近いな」

 石が消滅した理由はなんとなくわかった。たしかに、そんな星術が現代にあっても役に立たないと思う。というより、科学の発達していなかった大昔でも、どんな状況でその星術が必要になるのかさっぱりわからなかった。
  
「それをおそらく、研究所全体にかけている。だから別の場所を掘り進めていって中に入ろうとしても無駄だろうな。……アヌビスめ、魔力の無駄遣いだ」

 セイラが訝しげな視線を伴って蒼一を見た。

「光さえも遮断するなら、この扉は見えなくなっているはず」
「いい質問だ。そこが厄介なところなんだ。〈グラビティ・フィールド〉の効果を消さずに、わざわざ見えるように光学的空間的な星術を何重にもかけているようだ。つまり、まずはそれらを取り除かないと〈グラビティ・フィールド〉にはたどり着かない」
「解除できるのですか?」
「できないと中には入れないからな。なんとかするよ」

 そのとき、外にいた男性騎士が洞窟内に駆け込んでくる。栗色の髪と長身が特徴的な騎士、ティアース・ハルメリアだった。

「蒼一さん! 大変です!」
「女の子と一戦交える直前に避妊具買い忘れていたことに気づいた、って顔してどうした?」
「無理やり悪意のある比喩ひねり出さないでください! だいたい俺は買い忘れたことなんて――じゃなくて!」

 ティアースは洞窟の入り口を指さした。

「パワードトルーパーの大軍が!」

◇     ◇     ◇


 氷河の純白を埋め尽くす紫色。それが眼下に広がっていた。
 研究所への扉がある洞窟は小高い丘の上に隠れるようにしてあり、その下は段々畑のようになった盆地が広がっている。
 クリスたちが立っているところから一段下がった場所にはシディアスの仮設シェルターが無数に密集していて、騎士たちが急いで臨戦態勢を整えていた。
 パワードトルーパーの大軍は、そのさらに下にある広大な平原を埋め尽くしていた。
 しばらく絶句していたクリスが、やっと口を開く。

「こ……こんな大軍どこに隠れてたんですか!?」
「〈グラビティ・フィールド〉なんて古の禁術を、大規模な施設全体にかけられる化け物だぞ。考えても無駄だよ」

 パワードトルーパーの数はおそらく3万に匹敵する。対してシディアスの全部隊はその5分の1にも満たない。彼我との戦力差は明らかなのに、蒼一は恬然としているように見える。
 
「どうしてそんなに落ち着いていられるの?」
「ある程度想定していたからだよ。嬉しくはないがアヌビスとは長い付き合いだからな。あいつが芝居じみた演出をお好みなのは、嫌ってほど身に染みている。だからこちらも対抗して――ほら、間に合ったみたいだ」

 紫色に染まった氷河に、突如として巨大な影が差した。
 一同が上空を見る。
 巨大な飛行空艇が5機、空に浮かんでいた。シディアスを象徴する白銀色の機体。5機とも全長500メートル級の主力戦艦である。それらがクリスたちのいる丘を守るように展開し、やがて降り立つ。合わせて数十万トンに匹敵する巨大質量が、氷の地面を大きく揺らした。

「あっ……!」
 
 クリスがなにかに気づく。視力のよい彼女は、数百メートル離れた場所からでもたしかにそれを目視した。
 真ん中に着陸した飛行空艇のタラップから、続々と騎士たちが降りてくる。
 その先頭を歩いていたひとりの男性騎士。豊かな緋色の髪を後ろに流した、獅子のように精悍な容貌。
 
「ふっ……最高指揮官がいちばん先に降りてくるとはね。あいつらしい」

 剣聖ユーベル・レオンハルトが立ち止まり、こちらを見る。
 数秒、クリスと視線が交わる。
 そして彼は振り返り、戦場のほうへと踵を返した。
 その背中が、すべてを物語っているように見えた。

 ――行ってこい。ここは任せろ。

「ユーベルも意外にこういう演出が好きなんだよな。ま、今回ばかりは格好よかったと褒めてやろう――クリス、セイラ」

 ふたりが蒼一を見た。

「先に進もう。惺が待ってる」


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