世界が輪郭を失っていく。
星櫃は突如として発生した膨大な「闇」に呑まれ、その姿が見えなくなっている。しかしその闇の周囲から、大陽のようなまばゆい輝きがあふれ出していた。
明るいのに昏い。星櫃を中心に、まるで皆既日蝕のような不可思議な現象に見舞われる。 圧倒的な光の奔流に呑まれ空間全体が奇妙に歪んでいく。クリスとセイラは腕で顔を覆った。
「惺!」
蒼一の視界の端で、息子が悄然としてうなだれている。微動だにしない。
惺のすぐ背後で、闇が勢力を拡大していた。重力でも引力でも斥力でもない未知の「力」が発生し、惺を引きずり込もうとしている。
――その光景が、蒼一に致命的な隙を生じさせた。
「――――がっ!?」
痛みを感じるよりも先に、蒼一の腹からウォーサイスの漆黒の刃が突き出ていた。蒼牙護神聖が蒼一の手から落ち、乾いた音を立てて冷たい鉄の床に転がる。
蒼一の背後に立って蠢く影があった。
《やっと隙を見せてくれたわね。あはは、あははははっっっっ! あんただけが最大の障害だった! やっと殺せたぁっっっっ!》
「蒼一っっっ!?」
クリスの叫び声が、アヌビスの気の狂ったような歓喜の声に混ざる。セイラも驚愕で目を見開いていた。
ウォーサイスを抜くと、蒼一はその場にひざまずく。アヌビスはその様子を楽しそうに睥睨した。
《ついに星櫃の正体が判明する! それにあなたとの因縁もこれで終わり! 長かったわねぇ――》
しかし突然、蒼一は最後の力を振り絞るように立ち上がり、アヌビスの体に飛びついた。
《あら、なによ?》
口の端から血を流しながら右手を伸ばし、蒼一はアヌビスの首根っこをつかんだ。
《最後の悪あがきかしら。でも、力が全然入ってないわよ》
勝利を確信しているのか、アヌビスは蒼一を振りほどこうともしない。
「アヌ――ビス――っ」
《なあに? 命乞いは聞かないけど、遺言くらいは聞いてあげる》
「――っ、これから隙を見せてくれるのは――おまえだよ――」
《はぁ――?》
蒼一はにやりと笑った。
「わたしはおまえの正体を知っている! ――おまえがどこの誰なのかも――失っている記憶もすべて――っ、わたしは! ――知っている――っ!」
《――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――え?》
アヌビスは固まった。
記憶を失っていることは惺にしか話してない。絶対に、ほかの誰かが知っているわけがない。蒼一ですら例外ではない。
しかし蒼一の瞳に宿る光は、確固たる自信でみなぎっている。すべてを知悉した瞳。
次の瞬間、彼のその瞳から熱い涙がこぼれた。
「わたしはおまえを――――救ってあげたかった――すまない――ア――」
それは明らかに、アヌビスに対して言っている。
はじめてアヌビスが動揺した。
《蒼一ぃぃぃぃぃぃぃっっっっっっ! どおいうことよぉぉぉぉぉぉっっっっっっ!?》
今度こそアヌビスが振りほどこうとするが、蒼一の右手はなぜか離れない。
刹那、蒼一とアヌビスの足もとに光の渦が発生する。渦から発生した無数の「光の手」のようなものが、蒼一とアヌビスの全身に絡みついていく。
《ちょっと、なにこれ!? あ、あんた! どこにこんな魔力残ってたの!?》
「切り札は、最後まで取っておくものだよ――セオリーだろう?」
蒼一がクリスとセイラを見る。
優しい笑みを浮かべていた。その穏やかな表情を見て、クリスは呼吸を止めた。目の前で息を引き取った、親友の顔が浮かぶ。
あのときのレイリアと、同種の表情。
「わたしはここまで――っ――のようだ――セイラ、幸せにな――もう誰も、おまえを縛ったりはしない!」
セイラの心が震える。いままで知らなかった感情が、彼女の全身を駆けめぐった。
「クリス――惺を頼む」
「蒼一ぃぃぃっ!? だめぇぇぇぇっ!?」
彼がなにをしようとしているのか、なんとなく察してしまった。
だが蒼一は静かに笑うのみ。
そして彼は、愛する息子に視線を投げる。
「聞こえるか、惺――」
惺の体がぴくっと反応し、顔を上げる。さまよう視線はすぐ、光の手の中にかき消えそうな父親の存在をとらえる。
父はいままで見たこともないほど優しく、温かく、そして孤高な表情だった。
「――おまえは生き抜け。そして、幸せにな――悠を――頼む」
そうして最後、蒼一はアヌビスに向く。再びにやりとしながら「勝利」を確信する蒼一に、アヌビスは心の底から震撼した。
「――さあ、ともに眠ろう、アヌビス。わたしと――一緒に――」
次の瞬間、光の手が輝きを増した。大陽が出現したかのような膨大な閃光となり、周囲の空間すべてを呑み込む。
その閃光は、星櫃から生じていた闇と光を完全に上書きした。
《やあああああめぇぇてえええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっっっっっっっっ!?》
アヌビスは全力でもがくが、逃れられない。
《やぁぁぁ――――めぇぇぇぇぇ――――っっっっ――――――!》
アヌビスの「声」すら、光に呑まれる。超越的な煌めきが、空間を縦横無尽に支配していく。
――瞬間、閃光が弾けた。