まさか再びこの地に足を踏み入れるとは思ってなかった。
路肩に停車し、車を降りる。深い自然の匂いは、あのときと変わっていなかった。ただしすでに11月の半ば。紅葉の季節はちょっと前に過ぎ、木々の多くはその葉を落としている。
僕が歩き出すと、ナオちゃんも黙ってついてきた。彼女は真新しい長袖長ズボンのスポーツウェアを身につけている。ほぼ新品なのは、ナオちゃんがこの手の服を持ってなかったため、僕のやつを貸したためだ。休日に運動するために買っていたものだけど、全然着てない。まさかこんなタイミングで必要になるとは思わなかった。
見覚えのある側道に入り、しばらく歩く。
すると、まるであのときと同じ場所に、僕のフォルツァが置いてあった。鍵は差しっぱなしだ。
ナオちゃんがぎゅっとしがみついてきた。
僕は踵を返し、来た道を戻る。ナオちゃんはなにも言わず、ただ僕の後ろをついてきた。
ふたりで道なき道に入り込む。僕が「足もとに気をつけて」と言うと、ナオちゃんは消え入りそうな声で「うん」と返事をした。
道なんかないけど、僕はなぜか進むべき方向がわかっていた。覚えているわけでもない。
ただ、わかるのだ。
やがて、開けた場所に出た。枯れかけた森林が終わり、無骨な岩肌が姿を見せ始める。さらに進むと、あの樹が見えてきた。
岩場の隅に屹立している大きな樹。僕が首を吊ろうと決めた樹。さっちゃんと出会ったシンボル。
樹の十数メートル手前で思わず立ち止まり、呆然として佇んだ。
息が止まる。時間すら止まったような感覚に包まれ、周囲の光も匂いも音もすべてが僕の五感から消える。
さっちゃんの姿はなかった。
自分が幽霊にでもなったかのような気分のまま、僕は目の前のごつごつとした岩を危なっかしい足取りでのぼる。
樹の根もとまで歩き、見上げてみる。安堵と不安と恐怖がごちゃごちゃに混ざった感情が心を支配して、叫びたくなった。
「……この樹?」
後ろにいたナオちゃんに問われ、僕は振り向いてうなずく。この特徴的な樹の下でさっちゃんと出会ったことは、以前に話していた。
ふと、ナオちゃんがなにかに気づいたように、僕の背後の一点を凝視した。彼女の視線を追いながら振り返る。
樹の幹の後ろ。正面からではわかりにくい場所に、なにかがぶら下がって揺れていた。まわり込んで見ると、枝にくくりつけられたビニール袋だとわかる。まだ真新しく、トラロープで厳重に縛りつけられている。
苦労して枝からビニール袋を外し、中を覗いた。すると防水仕様とおぼしき分厚い封筒がひとつ中に入っている。それを取り出し、封を開けた。
手紙が2通、丁寧に折り畳まれて入っていた。
『たーくんへ』
『ナオちゃんへ』
丸っこい文字で、表にそう書かれていた。
僕とナオちゃんは目をゆっくりと目を見合わせた。泣きそうな僕の表情が、ナオちゃんの揺れる瞳に映っている。
怖い。
哀しい。
読みたくない。
でも読まないといけない。
たぶんナオちゃんも僕と同じような気分だろう。無言でナオちゃんに手紙を渡すと、彼女は震える手でそれを開く。
僕も自分宛の手紙を開いた。
たーくんへ。
たーくんはあたしにとって、世界の片割れでした。
あなたと出会えて本当によかった。あたしに降り注ぐはずだった幸福を、すべてあなたに捧げます。
大好きです。
これからもずっと。
でも、さようなら。
永遠にさようなら。
生まれてはじめて、僕は泣き崩れた。
兄貴が死んだときですら、ここまで取り乱してはなかったはずなのに。
視界が涙でぼやける中、ナオちゃんもしゃがみ込んで肩を震わせているのが見える。彼女の手紙になにが書かれているのか、もちろんわからない。
もう僕たちは悟っていた。
さっちゃんとはもう、永遠に会えないのだろうと。