今回の記事を読む前に、↑の2つを読んでくれよな!
面倒だ、って人は帰ってくれてOKだぜ☆
主な登場人物と前回までのおさらい
僕
シナリオ、企画書制作、ホームページ運営を主に担当。
S
名目上はサークルのリーダー。企画をはじめ、外部の絵師さんとのやりとりなどを担当。
H
経理や作品のパッケージ制作などを担当。
すべてが悪い方向へ転がった2012年。
辞めるためにがんばれ? そんな無茶な。
- 全年齢作品(ゲーム、ドラマCD等)を制作するブランド
- 成人向け作品(エロCG集、同人誌等)を制作するブランド
- グッズを制作するブランド
2011年、僕たちのサークルは上記のようなブランドに分割(笑)されました。
しかしすべて中途半端で結果が伴わない。出来上がる制作物もほぼゴミ。グッズ製作はその中ではまあまあうまくいってたかもしれないけど、黒字ではなかった。
そして前回の記事でも話したとおり、僕に限ってはこのあたりからサークルの方向性に疑問を感じ始めていました。
いま思い返せば。
結局、このサークルで僕がなにをしたいのか、そもそもこのサークルそのものがなにをしたいのかわからなくなった、っていうのが大きいと思います。
だから2011年の後半以降、もう辞めたいとぽつりぽつり口にしていたと思います。
でも辞めなかったんだよな?
その都度止められてたからね。
「このサークルはなにがしたいのかわからないって言っても、サークルの方向性はみんなで話し合って決めたことだからおまえにも責任がある」とか言われると、最初の頃はまあそうだよなってことで納得してたんです。
みんなで話し合って決めた、っていうのがこのサークル最大級の判断ミスだったと思う。
結成当初から僕が離脱するまで、サークルに関するあらゆることをみんなで話し合って決めてました。
でもそれって、責任の所在が曖昧になるんだよね。おまえにも責任があるって言われるとたしかにそうなんだけど、逆に具体的で明確な責任は誰にもない、とも言える。
優秀な人たちの集まりだったらそれでもまわるかもしれないけど、僕たちはそうじゃなかった。
直截に言って、このサークルは2012年になったあたりで解散するべきだったと思います。そしたらあんな結果(=裁判)にはならなかったと思う。
2012年は特にグダグダで、エロCG集の新作を作っても、クオリティはどんどん落ちていく一方。もちろん売れません。グッズの販売も、既存在庫の使いまわしが多くなってた気がする。当然、完全な赤字続き。
結局、目的があるからサークルを続けているのではなく、続けるためだけにとりあえず続けているみたいな状況になってました。主従逆転というか、あのサークルが同人活動を続けることにもはや意味はなかった。
日本人の悪いところかもな。
やめたり撤退する決断ができないって、実は相当リスキーなんだぞ。
目的や目標もなくだらだらと続けていくと、最後はだいたい取り返しのつかないことになる。
こんな状況が続くから僕はどんどんモチベーション下がっていって、心底サークルを辞めたいと願うようになります。
そして辞めたいと言う僕と、辞められると困るSとHとのあいだで不穏な空気が漂い始めます。2012年の半ば以降、サークル内でガチの喧嘩が増えていきましたね。
ちなみに、僕がサークルを辞めるための条件っていうのを、SとHから出されました。おおまかに以下の2つ。
- サークルが黒字化して、経営が安定すること
- 僕の代わりになりうる人がサークルに入ること
要するに黒字化するまで僕が責任もって働くか、それとも有能な新しい人材を見つけるか、ってこと。それがおまえの責任だ、みたいなこと言われた気がする。
どっちか片方だけでも達成できれば辞められたのか?
そういう話だった気がする。
でも、この条件はそもそも無理筋なのです。前回の記事にも書いたけど、新しい人なんかいくら探しても見つからない。だから結局僕がいろいろやるしかないんだけど、そのままの状態で黒字化するのはまず不可能。
だって、やる気もモチベーションも、僕はもうゼロだったんですよ。ゼロになったから辞めたいわけで。そんな状態で「辞めるためにがんばるぞ!」ってなると思う?
無理だって。
何度も言うけど、僕ら才能なかったもん。
wwwww
でもさ、同人サークルって別に会社とは違うんだよな。契約だとか雇用関係とかじゃないだろ。音信不通になってばっくれればよかったんじゃね?
それができればいちばん楽だったけど、僕ら全員同じ市内に住んでいて、しかもみんなお互いの家の場所を知ってるって関係だったのさ。ちなみに、みんな実家暮らしだね。だからばっくれは無理。
いま思えば、家に来られようが「僕もう辞めるから」って言い切って動かなければよかったのかもね。僕が動かなければどうしようもないんだから。無理にでもそうしなかったのは僕の落ち度だと思う。
ダメな意味で真面目だったんだろうなぁ……。
あと、僕が辞めた時点でサークルが立ち行かなくなるのは目に見えていました。だからSもHも僕が辞めるのは認められなかったんじゃないかな。このあたりは後述します。
この世から消えたいと考えるようになった2012年後半。
辞めたいけど辞められないっていう状況がさらに延々と続きます。SもHも、だんだん僕に対する態度が高圧的になっていきます(あくまでも僕の主観)。
「この状況を招いたのはおまえ自身だ」
「おまえにさんざん振りまわされたから、その責任を取ってもらう」
「おまえにはもう人権がない。だからおまえは俺たちに反論する自由なんかない」
等々、いろいろ言われ続けます(これらの言葉と一言一句同じことを言われたんじゃなくて、こういうニュアンスだったよ、ってところは強調しておきますが)。
サークルを黒字化させないと辞められないので、僕は無理してがんばるわけです。人材募集も引き続きやってたけど、もう期待はしてなかったかな。
当然、僕の心はさらに病んでいきました。どうやって死ぬのが楽なんだろうとか、遺書の内容とか、そんな暗いこと延々と考えていたり。
やがて僕の心は臨界点を迎えます。
それが2012年12月25日の、僕の自殺未遂。
誕生日じゃんかよ……
SとHが近くにいるところで、包丁をおなかに当てて死のうとしました。コミケも近かったから、打ち合わせしてる最中だったかな……。なんかの理由で僕が責められて、プッツンってしちゃったんです。
もちろんその場はSとHに止められました。それで、ふたりに連れられて近所の交番に連れていかれることに。
ちなみに、
人生初の警察沙汰wwwww
笑えねえよ。
交番でお巡りさんに話を聞いてもらって、さらにうちの母親が呼ばれて迎えに来てもらって、その日は解散しました。お互い冷静になるまで待って、それからまた話し合ったらどうかってアドバイスされたのかな?(よく覚えてない)
その後、2、3日もしないうちに僕は心療内科を受診して、「うつ状態」と診断されるわけです。
あー……今日の記事でも終わらなかった。
まだ続くのか。
自分で始めたことだろ。
しかし、そろそろ核心に迫るっぽいな。
というわけで続きは次回! またな!